東京でカラヴァッジョ 日記

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1504年のミケランジェロ《ダヴィデ》の設置場所に関する有識者会議

2018年08月18日 | 西洋美術・各国美術
   壺屋めり著『ルネサンスの世渡り術』の読書記録の記事にて、ミケランジェロ《ダヴィデ》の設置場所に関する有識者会議のメンバー32名の名簿が気になる旨記載したところ、むろさん 様からコメントいただき、日本語文献があることを教えていただいた。
 
   今般、その文献を入手したので、早速メンバーを確認する。
 
 
成城大学「美學美術史論集」19号(2011年3月) 
石鍋真澄氏『ミケランジェロの「ダヴィデ」の設置場所』


   不思議なのはメンバー数、壺屋氏の著書では32名だが、石鍋氏の論文では30名。参考文献が異なっているためだろうか。
 
壺屋氏
政府派遣の使者  2名
画家   11名  
彫刻家・金細工師 11名
建築家  3名
その他(刺繍職人、音楽家、時計職人など) 5名
 
石鍋氏
政府派遣の使者  2名
画家   10名  
彫刻家・建築家  5名
金工家   5名
石彫・木彫の専門家 4名
写本画家、刺繍家、音楽家、日時計制作者  各1名(計4名)
 
 
 
 
   以下、石鍋氏の論文に基づき、有識者会議メンバー30名を記載する。
 
   生没年を分かる範囲で記載。(誤りがあれば申し訳ありません。)
 
   ✳︎印は、ヴァザーリの芸術家列伝に取り上げられた者を示す。全14名。画家9名(10名中)、彫刻家・建築家は5名(5名中)が該当する。他の分野の人はない。(誤りがあれば申し訳ありません。)
 
   《数学》は、有識者会議の記録における発言の記録順番を示す。発言者は21名。欠席者が少なくとも1名いたと思われるほか、記録が省略された者もいる(より短い発言で、他の人の発言と違いがなかった)とのこと。
 
 
【市政府の伝令】2人

メッセル・フランチェスコ
《1》

フランチェスコの甥
《6》



【画家】10人

フランチェスコ・ダンドレア・グラナッチ
Francesco d'Andrea Granacci
1469-1543
✳︎
 
ビアージョ、画家
Biagio d'Antonio Tucci 
1446-1516
《9》
 
ピエロ・ディ・コジモ、画家
Piero di Cosimo
1461頃-1522
✳︎《21》

ダヴィト、画家
(ダヴィデ・ギルランダイオ:ドメニコの弟)
Davit(Davide Ghirlandaio)
1452-1525
✳︎《15》

フィリッポ・ディ・フィリッポ、画家
(フィリッピーノ・リッピ)
Filippo di Filippo(Filippino Lippi)
1457-1504
✳︎《13》

コジモ・ロッセッリ
Cosimo Rosselli
1439-1507
✳︎《3》
 
サンドロ・ディ・ボッティチェリ、画家
Sandro di Botticelli
1445-1510
✳︎《4》

レオナルド・ダ・ヴィンチ
Leonardo da Vinci
1452-1519
✳︎《11》
 
ピエトロ・ペルジーノ、画家
Pietro Perugino
1448頃-1523
✳︎
 
ロレンツォ・ディ・クレディ、画家
Lorenzo di Credi
1459/60-1537
✳︎  



【彫刻家・建築家】5人
 
アンドレア・デッラ・ロッビア
Andrea della Robbia
1435-1525
✳︎
 
シモーネ・デル・ポッライオーロ
(クロナカ)
Simone del Pollaiolo
(il  Cronaca)
1457-1508
✳︎
 
ジュリアーノ・ダ・サンガッロ
Giuliano da Sangallo
1445-1516
《5》
✳︎
 
アントニオ・ダ・サンガッロ
Antonio da Sangallo 
1455-1534
✳︎《16》
 
アンドレア・ダ・モンテ・サンサヴィーノ、画家
Andrea dal Monte Sansovino
1460頃-1529頃
✳︎



【金工家】5人
 
ガスパッレ、金工家
Guasparre
《20》
 
ルドヴィーコ、金工家・鋳造家
Ludovico 
 
エル・リッチョ、金工家
(アンドレア・ブリオスコ)
Riccio
(Andrea Briosco)
1470頃-1532
《7》

サルヴェストロ、宝飾家
Salvestro 
《12》
 
ミケランジェロ、金工家
Michelangelo Brandini
1459-1528
《17》
 
 
 
【石彫・木彫の専門家】4人
 
ジョヴァンニ・コルヌオーラ
Giovanni Cornuola
《19》
 
キメンティ・デル・タッソ
Chimenti del Tasso
1430-1516

ベルナルド・デッラ・チェーカ、木彫家
Bernardo della Ciecha
1455-1529
《10》
 
フランチェスコ・モンチャット、木彫家
Francesco Monciatto
1432-1512
《2》



【写本画家】1人
 
ヴァンテ、写本画家
Vante
(Attavante di Gabriello)
1452–1517
 
 
【刺繍家】1人

ガッリエーノ、刺繍家
Gallieno
《14》

 
【音楽家】1人
 
ジョヴァンニ、ファイフ(横笛)奏者
(ジョヴァンニ・チェッリーニ、彫刻家ベンヴェヌートの父)
Giovanni Cellini
1451-1527
《18》
 
 
【日時計制作者】1人
 
ロレンツォ・デッラ・ヴォルパイア
Lorenzo della Volpaia
1446-1512
《8》
 
 
 
   う〜ん、名前を聞いたことがあるのは30人中10人もいない。
 
 
   有識者会議では、最初に市政府の伝令が発言して議論の方向(≒結論 〜 その後実際に設置された場所〜)を示している。しかし、ジュリアーノ・ダ・サンガッロあるいはフィリッピーノ・リッピなどの発言に賛同する発言が多めで、必ずしも市政府の期待どおりの議事にはならなかったように見える。意思決定の最初のステップとして有識者会議という形を整えることが大切なのだろう。
 


2 コメント

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ダヴィデ設置場所の論文 (むろさん)
2018-08-18 19:36:58
石鍋先生の論文を入手されましたか。私はさっと読んだだけなのでここまで詳しくは確認していません。ベンヴェヌート・チェッリーニの父親が含まれていたのには驚きました。(チェッリーニの自伝は昔読んで今も本棚にあります。カラヴァッジョやフィリッポ・リッピもそうですが、私はそういう性格が破綻しているような芸術家が好きです。)
壺屋氏の著書と石鍋先生の論文でメンバー数が違うのは何故でしょうね。私としては専門家が論文を書く時は原典(フィレンツェの公文書館にある16世紀当時の実物)に当たって書くと思うので違いが出るとは思えないのですが、あるいはどちらかが原典ではなく欧米の論文からの孫引きかもしれません。(石鍋先生の方は論文なので原典を直接確認していると思いますが。)

なお、私は石鍋先生に関係している人間であり、今は夏休みなのでお会いできませんが、9月下旬になって大学の新学期が始まったら直接お話しを聞くことも可能です。この辺の事情について聞いてみましょうか。もっとも何年も前のお仕事なので覚えておられないかもしれません。イタリア語の原典を確認して書いた論文かどうかぐらいは分かるかもしれませんが。

さて、このところ私ばかりがコメントをつけていますが、これでいいでしょうか? 私は自分の興味のあるテーマだけを深く追求するタイプであり、西洋美術ではフィレンツェのルネサンスやローマバロック、クリベッリやクリムト、日本美術では運慶・快慶とそのの周辺などを対象としています。先日願成就院訪問のことが出ていましたが、願成就院・滝山寺・足利樺崎寺(2体の大日如来)のことだけでも書くことは山ほどあります。もし、差し支えなければこのへんの仏像関係(例えば秋の東博大報恩寺展に出る十大弟子のうち、快慶と行快の見分け方とか運慶と快慶の菩薩・明王の衣の違いなど)や前回書いたフィレンツェのホテルのことなどももう少し書きますが、いかがでしょうか。

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メンバー数の相違など ()
2018-08-19 20:00:01
むろさん 様

ダヴィデ設置場所の有識者会議のメンバーについて、むろさん様のコメントを受けて、壺屋氏の著書で参考文献として挙げられている2015年刊行の英文書籍(何故かネットにありました)を確認したところ、確かに32名とありました。

追1)
Betto Buglioni

Benddetto Buglioni (1460–1521), sculptor.

追2)
Bonaccorso di Bartoluccio

Buonaccorso Ghiberti ( .1486–1504), engineer and master of casting, likely Lorenzo
Ghiberti’s grandson.

会議での発言記録は変わりないようで、同じ21人の発言となっています。

本件はこれ以上深入りせず、今後は《ダヴィデ》の運搬について確認していきたいと思います。いろいろ教えていただきありがとうございました。


コメントありがとうございます。人から読まれること、ましてやコメントをいただけることを期待せずに続けている愛想ないブログですので、コメントをいただけること自体ありがたいです。

ただ、イタリア・ルネサンスやローマ・バロックであれば多少は理解できるかもしれませんが、仏像はお手上げ状態になるものと想像します。それでもよろしければ、コメントをいただけると嬉しく思います。


【ご報告】1977年5月の『波』の記事を先日入手しました。
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