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旧横浜正金銀行本店の関東大震災 - 「関東大震災 -原点は100年前 -」(神奈川県立歴史博物館)

2023年08月26日 | 展覧会(その他)
関東大震災  -原点は100年前-
2023年7月29日〜9月18日
神奈川県立歴史博物館
 
 
 神奈川県立歴史博物館の建物は、旧横浜正金銀行本店本館として建てられた旧館部分と、博物館の開館にあたって増築された新館部分とからなる。
 
 旧横浜正金銀行本店本館の建物は、1904年の竣工。外壁に石材を使用した煉瓦造りで地上3階地下1階からなる。
 
 
 
1923年9月1日(土曜日)。
11:58 本震(相模湾)  M8.1
12:01 余震(東京湾北部)M7.2
12:03 余震(山梨県東部)M7.3
12:48 余震(東京湾)  M7.1
 
 
 旧横浜正金銀行本店は、地震によっては、建物自体に別状はなかった。
 しかし、火災による火が刻々と近づく。
 午後1時頃、行員100名、雇い人40名、地震の発生と同時に銀行に逃げ込んできた避難民200名の計340名は、建物の全部の扉を締め切って籠城することとする。
 間も無く、建物の上の方に火が入ったことが分かる。
 計340名は、建物の南側に隣接する弁天通りの川崎銀行横浜支店に面した側の地下室に降り、鎮火を待つ。
 午後3時頃、建物内の火が燃え降りてきて、暗闇の地下室内はだんだん息苦しくなる。たまたま地下室の炊事場に汲み置いてあった小さな桶1杯分の水で皆の唇をわずかに濡らしてしのいでいたが、ますます呼吸が苦しくなり、皆しゃがみ込み、やがて地面にうつ伏せになる。
 3時間も経過すれば近辺の火災も下火になるだろう、との重役の励ましのもと、タイミングを計って少しだけ地下室の戸を開けて新しい空気を建物に入れたり、地下室の廊下をつたって通用口へ出てガラス越しに外の火災の様子を確認してそれを知らせたりしつつ、そのときを待つ。
 午後4時半頃、建物の内部は1階以上が全部焼け落ち、付近の火も概ね消えたことが確認され、一同は地下室を出る。
 一面が焼け野原のなか、桜木町駅前広場まで移動し、各自の自由行動として解散する。
 
 
 本展は、以上のとおり、建物内部の状況を、西坂勝人『神奈川県下の大震火災と警察』1926年刊(本書籍自体も本展に出品)に基づき説明している。
 
 関内地区付近での火災は、『神奈川県震災誌』の付図「横浜市火災延焼状況図」(本展出品)によると、地震発生直後から随所で発生し、主に陸側(南西)から海側(北東)へと焼け進んだという。
 横浜正金銀行本店のある南仲通5丁目付近では、14時から15時頃に火の流れが通過したほか、16時頃と18時頃に火災旋風が発生したという。
 
 そんななか、横浜正金銀行本店は、1階から3階の内装と屋上ドームを焼失するが、13時過ぎ頃から16時半頃まで約3時間半の地下室への籠城により、避難民200名を含む340名が揺れと火災から生き延びた。
 
 
 その一方で、横浜正金銀行本店の付近では惨状があった。
 
 逃げ遅れた避難民は、周囲が広く、また耐火建築である横浜正金銀行本店に殺到するが、銀行は既に門扉を閉めていて建物内に入れない。そのうち四方から火が襲ってくる。140名が正門前や周囲の石垣内に折り重なって倒れて焼死する。
 
 この惨状は、広く長く伝えられ、横浜正金銀行本店の関東大震災=惨状のように知られていたようである。
 
 大震災絵葉書は、焼けた横浜正金銀行本店の姿の写真とともに、この惨状について必ず触れる。
 地震後すぐに撮影されたらしい12分ほどの映像『横浜大震火災惨状』では、焼けた横浜正金銀行本店の姿とあわせて、焼死した人の姿が数カット入れられる(本展の出品作の一つとして見ることができる)。
 震災で両親と妹を失った女性の手記(本展出品作)。本人は両親に促され先に避難するが、たまたま両親と行動を共にした知り合いの女性から当時の様子を聞く。近づく火災により自宅の下敷きになった妹の救助を諦めざるを得なかったこと、ともに銀行に行くが既に閉ざされていて中に入れなかったこと、別のところに逃げようと促すも呆然として動こうとせずやむなく二人を置いて移動したこと。
 
 
 横浜に縁がなく、同館の常設展示を見たことがない私は、神奈川県立歴史博物館の建物の関東大震災にかかる話を初めて知る。
 
 一方で気になるのは、横浜正金銀行本店の南隣にあった川崎銀行横浜支店。
 
 川崎銀行横浜支店の建物は、地震によっては別状がなかったのは横浜正金銀行本店と同じだが、火災によっても焼けなかった。
 
 横浜正金銀行本店と川崎銀行横浜支店でなぜ火災による被害に差が出たのか。
 火の流れもあって川崎銀行横浜支店周辺の火が相対的に弱かったのかもしれないし、上述の『神奈川県下の大震火災と警察』に記載のとおり、川崎銀行横浜支店の窓や扉が横浜正金銀行本店とは違って二重鉄扉であったため屋内への引火を防止できたのかもしれない。
 
 川崎銀行横浜支店の建物(現、損保ジャパン日本興和横浜馬車道ビル)にも、関東大震災にかかる似た歴史があったと思うのだが、ネットで調べる限りは情報は見当たらない。
 
【損保ジャパン日本興和横浜馬車道ビル】
 
 
 
 さて、本展は、神奈川県を中心として、関東大震災の被害、復興、現代につながる都市の骨格づくり、などを紹介する。
 
1章 震える大地
2章 奮う人たち
3章 原点は100年前
 
 吉田初三郎の横4.2メートルの大型作品《神奈川県鳥瞰図》1932年など、多様な展示があるのだが、私的には、横浜正金銀行本店関連のインパクトが強く、他は霞んでしまった。
 
 このポスター(画像は部分)だけは、印象に残る。
《大震災5周年ポスター 受難の惨苦をかへり見よ》1928年、太陽舎印刷所
 
 
 本展は、神奈川県博物館協会の「神奈川震災100年プロジェクト」の展覧会の一つ。
 同協会に加盟する19館園がそれぞれの切り口で関東大震災関連の展示を行うという。会期はそれぞれだが、すべて、9月1日は会期中あるいは9月1日以降の開幕となっているようだ。


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