
ウッチェロ《聖餅の奇跡》
1467-68年、43×351cm
ウルビーノ、マルケ国立美術館
ウルビーノのコルプス・ドーミニ教会のための祭壇画に付随する、連続する6場面からなるプレデッラとして制作される。
この祭壇画は、最初、1456年に地元ウルビーノ生まれの画家フラ・カルネヴァーレ(バルトロメオ・ディ・ジョヴァンニ・コラディーニ、1420/25-84)に委託されるが、同年中に画家はその仕事を放棄する。
ついで、フィレンツェの画家ウッチェロ(1397-1475)に委託される。1465〜69年、画家が息子とともにウルビーノに滞在していた時のことである。
ウッチェロはプレデッラ《聖餅の奇蹟》を仕上げたところで頓挫する。
画家が年齢と健康上の理由により放棄したのか、解雇されたのか、主祭壇画の制作は行われなかった。
ついで、ピエロ・デッラ・フランチェスカ(1412頃-92)の名前が登場する。
1469年4月付の史料によると「ジョヴァンニ・サンティ(注:ラファエロの父親)がコルプス・ドミニ同信会から、同信会の祭壇画を見るためにウルビーノを訪れたピエロの諸経費を受け取った」と伝えているという。
ピエロから作者の選定や見積りといったある種の助言を受けるためなのか、あるいは、ピエロに制作を委託するためなのか。
いずれにせよピエロが制作を受諾したという事実はないが、これ以降、ピエロとウルビーノの関係が深まっていく。
そして、フランドル出身で後半生をウルビーノで活動した画家ユーストゥス・ファン・ヘント(1410頃-1480)が本祭壇画を完成させる。当初のフラ・カルネヴァーレへの委託から17〜18年かかったこととなる。
ユーストゥス・ファン・ヘント
《使徒たちの聖体拝領》
1473-74年
ウルビーノ、マルケ国立美術館

ウルビーノ公フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロとその息子グイドバルドも描かれている。フェデリーコは常どおりの左側からの横顔である。
完成した祭壇画は、コルプス・ドーミニ同信会のサンタ・マリア・ディ・ピアン・ディ・メルカート教会に設置される。1708年に同教会が壊されると、近くのサント・アガタ教会に移される。
プレデッラは、主祭壇画と分離され、1857年に屋根裏部屋で発見されるまで忘れられていた。発見後、修復を経て、1861年に美術館入りする。
ウッチェロのプレデッラは、1290年にパリで起こったユダヤ人による聖餅の冒瀆事件をあらわしているという。同事件は、14世紀のフィレンツェ商人ジョヴァンニ・ヴィッラーニの年代記にも記されているらしい(未確認)。
当時イタリアでは、フランシスコ会主導により、貧民をユダヤ人高利貸から救うことを目的とする公的な貸付機関「モンテ・ディ・ピエタ」設立のムーブメントがあった。ウルビーノでも1468年に「モンテ・ディ・ピエタ」が設立されている。本作品制作にはそんな時代背景があるようだ。
ウッチェロの遠近法への愛が伺われる、単純化されたかわいらしい画風の作品であるが、ストーリーは理不尽。
《聖餅をユダヤ商人に売る女性》
ある女性が、教会のミサで聖体拝領として与えられたパンを食べずに、ユダヤ商人の質屋にこっそりもって行って売ってしまう。
《血を流す聖餅》
ユダヤ商人の一家がそのパンを食べようとフライパンで温め始めると、パンから血があふれ出す。
血は床を伝わりドアから外まで流れ出て、市民たちも異変に気づく。
《聖餅の再奉献の行列》
聖餅を戸外に作られた祭壇に再奉献する。
《女性の絞首刑》
女性は縛り首に処せられるところ、天使が出現する。(絞首刑の直前に、天使によって処刑を免れる。)
《ユダヤ商人一家の火刑》
ユダヤ商人一家は火あぶりの刑に、処せられる。
《二天使と二悪魔による女性の魂の行先の審議》
女性の魂を巡って天使と悪魔が争う。
坂本鉄男
『イタリア 歴史の旅』
朝日選書、1992年第1版
ウルビーノの章、マルケ国立美術館の見物の記述から抜粋。
今回の目指す名画が現れた。ピエロ・デッラ・フランチェスカの「キリストの笞刑」と「セニガッリアの聖母」である。
さて、次はラファエロの「ラ・ムータ(啞の女)」と呼ばれる婦人像である。この絵はウルビーノがラファエロの生まれ故郷だというのに彼の絵を一枚も持っていないのでは気の毒だというわけで、1927年にフィレンツェのウッフィーツィ美術館からここの美術館に移されてきたものだ。
このほか、パオロ・ウッチェッロのウルビーノ滞在期間中の作で祭壇の裾絵「聖パンの冒瀆」も、私の好きな絵の一つである。昔、イタリア人の友人がこの一連の絵葉書を細長い額に入れてプレゼントしてくれ、長い間我が家の壁を飾っていたことがある。
ラファエロの婦人像は、2013年のラファエロ展で来日してくれた。
ピエロ・デッラ・フランチェスカ2作品とウッチェロのプレデッラの来日が今後あるとは思えない。
そもそもイタリア自体が遠いのに、ウルビーノは更に遠い。私が額入り絵葉書を手に入れる日は来るのか。