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投錨備忘録 - 暇つぶしに借りた本のメモを残すブログ

さまよえる湖 - スヴェン・ヘディン(岩波文庫)

スヴェン・ヘディン 「さまよえる湖」 岩波文庫

20050412


さまよえる湖〈上〉

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さまよえる湖〈下〉

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1990年6月18日第1刷発行
福田宏年(訳)
Sven Hedin 「DER WANDERNDE SEE」 1937




新疆周辺の年代別状況(訳者あとがきより)

1760年 清の乾隆帝、新疆を属領とし監督政治を行う

1860-1870年 ウイグル人の東干人の反乱頻発。左宗棠が反乱を平定

1882年 省制が布かれ新疆省となる

1912年 清滅亡。中華民国。楊増新が省長となり独立した形で専制政治を布く

1928年 金樹仁が省長。民衆蜂起。甘粛のイスラム教徒は将軍馬仲英に救いを求め、1931年馬は東干軍を率い新疆に軍を進め、省都ウルムチを攻撃。1933年、馬は再びウルムチを攻撃、1934年3月ソ連の支援する省政府軍に敗れカシュガル経由でソ連へ逃げる





新疆が朝鮮と異なるのは属領と扱われた後に省政が布かれたことか。それと清が滅亡する前に日本によって属領から外された朝鮮とはことなり、そのまま中華民国の領土として扱われたことであろうか。

ヘディンは1933年民国政府の委託により北西自動車道路探検隊を編成し10月21日に北京を出発。11月10日帰化域から調達した自動車で出発する。ハミ経由でトゥルファン、ウルムチ、ハミから安西を経て1935年2月8日西安に帰着。ヘディンにとって1927-1935にかけての二度目のこの地域の探検旅行になるのだが、南京政府はヘディンの探検隊に考古学的発掘や活動を一切禁じた。あくまでも自動車が通れる道路を見つけることが主目的。であるから携帯できるシャベルは一本のみという旅になった。

1934年2月6日、ハミの手前で東干軍から停止を命じられた。東干人は漢族と異民族との混血でイスラム教徒。漢回ともよばれる。漢人と同じ言語習慣を持つ。1934年4月1日はコルラで一ヶ月にわたって東干人の軍隊に監禁されていた生活から解放される。コルラは東トルキスタンの町の名。この本はこの監禁・解放から話が始まる。ヘディンの手によるスケッチが多く掲載されている。ただし風景と人物ばかり。何度も建築物の話が出てくるのだが、それについてのスケッチは無い。



P127
谷で私たちの突然出現に驚いた東トルコ人は、自分の顔見知りの盗賊団だと「いうのである------たぶんどこかの山の中の秘密の洞窟には、奪った金品も隠してあるのであろう。





まるでアリババの話でも読んでいるようだ。







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