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投錨備忘録 - 暇つぶしに借りた本のメモを残すブログ

築70年の家をリフォームする(6.台所)

家自体は戦中の建物。台所の様子を具体的に説明するのは簡単で「トトロ」でサツキとメイが引っ越してきた家の台所をイメージしてもらえばほぼ間違いはない。風呂もあんな感じになる。手押しのポンプがコンクリートでできた流し台の右側にあり地下水を汲み上げる。風呂へもそのポンプで水を送ることが出来、台所の流しに水を出すか風呂へ水を送るかは単純な弁を切り替える仕様。子供の時に風呂へ水を張るのは私の仕事だった、いつもではないが、そういう記憶がある。風呂を沸かすのも台所の土間の隅に切り込んだ焚口から行うが、これもサツキが実演する場面が「トトロ」に出て来る。家全体が「トトロ」に出て来る家そのものだと思った方が良いかも。(※1)

 昭和30年代までは台所の外の軒下に小さな釜がしつらえられ、そこで炊事を行っていたが(私の物心ついたころの初期の記憶だが・・・)、プロパンガスの普及でガスコンロになり、手押しのポンプは電気モーターで動くものに代わり、上下水道が引かれる。長らく親しんだ土間も父が15センチほど嵩上げし床を張った。コンクリートの流し台は父が自ら既成の流し台に変更。それでも風呂も含め基本的な家の構造は建てた当時のまま。今回、この風呂と台所、それに続く食堂、西側の納戸を改装することにした。家の北側半分にあたる。

 さて台所。これはB社の提案内容に擦り寄った感じになった(※2)。B社はたいへんオーソドックスでほぼ部屋の機能・構造は変えずA社よりはるかに隙がない提案をしてきた。A社のコーディネーター女史のようにあれもあるこれもあるというものではなく、こうしましょう、こうなりますという完成形で早い段階から電気系統の配線図もついた設計図が出た。什器を置く場所も想定し壁のしつらえにも工夫があった。下見からの経過時間は1ヶ月。このレベルにA社が達したのは下見から5ヶ月かかったことを考えるとB社は優秀というかA社がおかしいというか。B社は勝手口の位置変更を行い妻が希望していた対面キッチンも実現していた。見積り額が高くなければ、いや私が用意できる予算がもっと潤沢であればここに頼んでいたに違いない。

<理想>


 部屋の機能・構造はそのままにすることになったので自ずと台所の使い方も今を引きずることになる。実をいうとここの改修を一番楽しみにしていたのは誰あろう私自身だと思っている。こうしたいというイメージがあって、それは欧米の乾いた感じだといえば通じるだろうか。大きな広い台所が出来ればそれに越したことはないのだが、私自身はシステムキッチンなどはなから眼中になくて業務用のステンレス調理台の中古で上等だと思っていた。いや、それが良いとさへ思っていた。なんなら理科の実験室の流しに調理台をくっつけてコンロは簡易な2連のIHヒーターで良いと考えていた。しかし妻に考えを話すと即却下。取りつく島もない。妻の希望は対面式のシステムキッチン。この時点では部屋の構造を変えないということには至っておらず大きなシステムキッチンを置ける可能性はまだあったし、どれだけ費用が掛かるのかも不明で漠とした希望はあった。ただ妻が言うシステムキッチンは値段がかなりお高いものだったので無理だろうなとは思っていたが口には出さなかった。

 IKEAに行くこと数度、メーカーのショールームに通うこと数度。理想の形態に組み上げられたシステムキッチンはカッコよく、それを見に来る若いカップルは希望にあふれてオジサンにはまぶしくて照れくさくて。買えもしないものについて質問する気にもならず、そんな風だから店員さんも声をかけてこない。だがちょっと待ってほしい。温帯モンスーンの湿潤で夏冬の気温差の激しい日本の風土で日本人が作る料理はかなり多種多様。オーブン、アーガ、ディープフライヤーが中心の欧米の食生活とはかなり違う気がする。私が頭に描く欧米の乾いた台所は日本では無理があるのではないか。(日本の昔の台所も竃や囲炉裏が主体で調理というものは簡単なだったはずだが・・・)

 加えて我が実家、母が溜め込んだものが溢れかえり、そうとう整理させたがそれでも母からすれば合理的に、傍から見ればなんとも散らかった台所という現実がある。少々器を変えてもそこを使うのは人であり、その使い方には人の個性や生活慣習が出てしまうのは世の常。母が溜め込んだ機器を置くとどんなツンと澄ましたシステムキッチンであろうと即歴戦の勇士に変身してしまうに違いない。

 日本の家の台所は戦後の食生活の変化、生活様式の変化による使用機器の多様化でそれに応じた調理器具もあふれかえる。台所が広い狭いに限らず必要なものは必要だから、狭ければ散らかるのも仕方なし。それに加えてここは田舎。こじんまりとした野菜の束ではなく畑から採ってきた土が付いた野菜がどーんと台所に入ってくる。バシャバシャと水を使うウェットな台所。どうも私が思い描く乾いた台所の姿はここの田舎生活ではありえそうもなかった。現実に起こりうる姿を想像して頭を抱えた。

<こういうのは嫌いではない>

 ためしに他所さまではどういう状況なのか調べてみることにした。他家の台所を見る機会などそうそうなかったし、あったとしても興味が無かったので覚えてもいない。伝手を頼って戸建でシステムキッチンを置いている、まあ今時はどこの家も置いているんだろうけど、そういう家の台所を幾つか拝見させていただいた。結果は想像どおり。システムキッチンはショールームに置かれていた澄ました姿とはうって変わって日本の台所らしい、ある意味活気あふれた姿になっていた。もはやシステムキッチンはただの流し台と調理台、棚。そこに何か期待した整理されたとか合理的なという姿はない。ドイツ生まれもスウェーデン生まれもその面影はない。絶対生まれ故郷で過ごしていたらあり得ない姿。少し安心するとともにやはりシステムキッチンである必要ないじゃない、そう確信。

<せめてこうでありたい>

 予算のこともあり器となる空間をまずは作り上げることにした。それに私たちは即帰ってくる予定はない。当面は母一人の暮らしが続く。そこに妻の希望したシステムキッチンを置いたとしても意味は無い。帰って来た時にそこはまた考えようと難題は後回しにすることを妻と相談し、流し台もコンロも今のままのものを使うことで工事を進めてもらうことにした。(※3)



※1 思えば我が家の台所は70年前であれば当時の最新式だったに違いない。当時の食生活や生活様式に合った合理的でシンプルで使い勝手の良い台所だったことだろう。それが戦後の食生活の変化、生活様式の変化、技術の発展による使用機器の多様化、加えて経年劣化で使いづらいものになってしまった。母がこの家に住むようになったのは終戦から10年ほど経ってから。何もない倹しい生活で食器も二人分しかなく偶に義理の姉とかが訪ねて来て食事を振る舞う際には、母の食器が無くて同席を促す義理の姉に作り笑いで後からいただきますからと言って凌いだとか、そんな話しを聞いたことがある。母があれもこれもと買い揃え積み重ねるのは、その頃の反動もあるのかもしれない。

※2 A社からの初期の案では大胆に間取りを変更するものが3つ出てきたが、ことごとく母が却下。今の位置では流し台の長さが短いので部屋の内向きに流しを据える案もあったが、これも窓に面していないのはいかがなものかと母が却下。長さを確保するためにL字のシステムキッチンの提案も居間からコンロが見えるのはいかがなものかと母が難色を示す。この辺りからA社のコーディネーター女史は少しやる気をなくしてきた。それより私が母に対し怒り始めた。

※3 D社に依頼することにしたため少し予算が余ったこともあるが、今の使い古しの流し台を置いた場合、母の使い方は今と同じになるに違いないと想像し流し台を買い換えることにした。廉価版のシステムキッチンのばら売り。コンロ組込済の流し台だけ購入。10万円。感心なさげだった妻はこのカタログを見て今後もこのままでいいという話になった。将来的に工事費も含め100万円近く安く上がった気分。

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