ペティ・パオ・ロード 「中国の悲しい遺産」 草思社
- この四十年の検閲なき証言 -
金美齢(訳)
1992年11月10日第一刷
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著者は1938年上海生まれ。作家。中国国民政府よりアメリカへ派遣された父親のもとへ1946年に発つ。1949年の中華人民共和国の成立により帰国を断念。1973年に中国を訪問、1979年に再訪、1985年11月より1989年4月まで駐中米国大使夫人としてウィルソン・ロードに同行。6月4日の天安門事件の数日前までCBSのコンサルタントとして北京にとどまり、天安門の民主化運動を取材する。著者の末の妹は1946年当時幼かったため中国にとどまっており、その彼女を描いたノンフィクション「Spring Moon」は全米で200万部のベストセラーとなる。
本は著者が中国で直接対面して聞き取った19の実話で構成されている。
「紅衛兵に用具室へ監禁された著者の叔母はある日、用具室にあった藁を入れ替えるから掃除しろと命じられる。藁はその部屋にあった唯一の物で便を覆ったり布団になったりと重宝していた。それを取り替えてくれるというので大喜びで掃除したが、結局代わりの藁は提供されずそれを質したら紅衛兵から歯が折れるまで殴られた話。」
「ある女性は右派と決め付けられた父親を憎み、父親が農場に送られてから一度も口をきかなかった。それでも数年後に父親が自殺したことを聞いた母親が笑みを浮かべていたことをいぶかるが、それは死を選ぶことにより苦痛から解放された夫に対しての安堵の表情だったことを知る話。」
「右派と決め付けられたある男性は、それを承知で結婚してくれた女性と農場で働くことになるが、妻と子への周りからの仕打ちに悩み、どんなにつらい仕打ちにあっても自分と別れようとしない妻を心配する。ある嵐の夜、妻と子を家から閉め出す。右派の夫から逃げたことにするために。一晩中扉を手でおさえて妻と子を追い出すが、男性の髪の毛は一晩で全てぬけ落ちていた。」
「密告を恐れるある男性は密告の対象となるようなことを絶対喋らないと決めるが、あまりにもそれを意識するあまり寝言で喋り続けるようになる。集団生活での就寝時間は恐怖だ。結局密告をされるのだが、その密告者は彼の妻だった話。」
「長征に参加したことのある元紅軍兵士は今は不遇な生活を強いられている。毎日職場へ出勤するがすることはなく、日がな一日お茶を飲みながら同じような仲間たちとトランプをしてすごす。飽きれば成長した子供の家に押しかけ勝手に入り込み(部屋の鍵は父親も持っている)、勝手に物を持ち出して使っている。そんな男は最近思うのだ。毎晩子供たちに字の練習に書かせていた文章があったが、実はあれは文盲の自分が書くはずだった自己反省文だったことを子供たちは気づいていたんじゃないのかと。」
・・・こんな話が19話。
中国人は右と言われれば右へ左と言われれば左へ、黙れと言われれば黙り喋れと言われれば喋るのか。「中国人は一生仮面を付けてすごす」という記述もあった。
驚くのがここに登場する実在するであろう人々が、過去にどんな目にあっても、それが身内の死にかかわることであっても恨んでいる様子のないこと。実際、著者の叔母はそう言っている。自分から藁を取り上げて歯が折れるまで殴りつけた紅衛兵の子供に会っても(毎日会っている様子なのだが)あっさりしたものだ。あの時はああいう時代だったんだと許している。