投錨備忘録 - 暇つぶしに借りた本のメモを残すブログ

7大陸最高峰、15年かけ制覇 明石の登山家

2013年の新聞記事。ここで書かれている彼、年賀状を交わすだけの付き合いが25年続いている。彼が北米のマッキンリーに行く前に私は一緒に仕事をしていた。某企業の2000年対応を一緒にしていた。1999年だったか。とても思い出深い人物。一緒にいた時間は短かったけど良く覚えている。

半年日本で働いて半年は海外、そんな生活が出来た時代。彼以外にも別の部署に若い二十代の女性がいて彼女は秋から春にかけて日本で働き春から秋にかけてアメリカのフロリダでテニスをしていた。良い時代だった。小泉首相の時からそう言う働き方が出来なくなり地方が衰退していく日本になったと記憶している。メモとして置いていたけど公開メモに変えます。名前は差し障りがあるかと思いAに変えました。

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7大陸最高峰、15年かけ制覇 明石の登山家
(02月04日 16:02)

 世界七大陸の最高峰制覇に挑んできた登山愛好家Aさん(41)が1月上旬、最後に残っていた南極大陸のビンソンマシフ(4897メートル)の登頂に成功した。挑戦開始から15年をかけて手にした「セブンサミッター」の称号。兵庫県山岳連盟は「県内の登山家で達成した人はほとんどいないはず」と“偉業”をたたえる。

 Aさんは会社員だった1997年、長期休暇を使ってアフリカ大陸最高峰のキリマンジャロ(5895メートル)に登るツアーに参加したのがきっかけで、七大陸最高峰制覇に挑み始めた。

 99年までに、南米・アコンカグア(6962メートル)▽欧州・エルブルス(5642メートル)▽豪州・コジオスコ(2230メートル)▽北米・マッキンリー(6194メートル)に次々と登った。世界最高峰のエベレスト(8848メートル)には7年の準備を経て2006年にアタックし、見事、一回目の挑戦で頂に到達した。

 仕上げとなるビンソンマシフは日本発のツアーがわずかで、多くの資金が必要なため足踏みが続いたが、昨年ついに登頂を決意。システムエンジニアの職を辞して準備を整え、昨年12月26日に空路で日本を出発し、南米経由で南極大陸に降り立った。

 現地は夏で、異常気象も重なり想定より気温は高めだった。それでも山の中腹になると氷点下20度ほどに。頂上へのアタックに必要な荷物を運ぶため、約800メートルの高低差がある道のりを2日かけて往復するなど難関を乗り越え、無風の快晴となった1月4日、最後の頂を攻略した。

 Aさんは真っ白な山々をバックに、友人たちが寄せ書きしてくれた旗を頂上で掲げた。「15年がかりの挑戦が終わる達成感がこみ上げた。どの山の景色とも異なる南極は一番の絶景だった」とAさん。今後について「記録とは離れ、自然が作った美しいものを見る旅を続けたい」と情熱を燃やしている。

[神戸新聞社]

http://eonet.jp/news/kansai/kobe/article.cgi?id=65861
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