投錨備忘録 - 暇つぶしに借りた本のメモを残すブログ

2014年5月 吹屋、広兼邸、西江邸




5月6日、十数年ぶりに吹屋を訪ねる。岡山県高梁市成羽町吹屋。江戸時代末から明治にかけて発展した、かつての鉱山町の跡。吉備高原に位置する。周りの山が低く見えるがこの街自体が標高550mにある。写真はちょうど正午頃だが連休も最後の日だからか人影がまばら。

吹屋の街のそばにある旧吹屋小学校。TVドラマ等でも使われることが多いという。この小学校は平成23年に廃校になった。今回、吹屋行を思い立ったのはこの校舎が見てみたいと思ったから。泉大津在の従姉妹家族がこの連休にこの地を訪ねたと教えてくれて、十数年ぶりに母を連れて訪れる気になった。




吹屋の近くにある鉱山地主の邸宅跡を訪れた。広兼邸。二回目の訪問。外観は城そのもの。初めて見たときは見とれてしまった。あり得ない!というような感覚もあった。この近辺、高梁川流域は傾斜地に石垣を積んだ家屋が多いのだが、ここの石垣はしばし見とれる価値はある。豪農の屋敷はいくつも見てきたが鉱山地主というのもあったのかという驚き。日本について知らない事が多いなと思った。酒田本間家は自分の家から遠く離れた鳥海山まで他人の土地を歩かずに行けたとか。戦前の話である。GHQの担当官が農地解放で解体するにはあまりにも惜しいと言ったとか。本間家の規模は特別だとしても日本中至る所にこの広兼家のような企業家はあったのだろうと思う。



壮大な石垣があるので実際より大きく見えるかもしれない。幅はあるが奥行きはあまり無い。岡山であれば塩田経営の大橋家とか平地に建つ壮大な屋敷はある。それより規模は小さいが、このロケーションである。見るものを圧倒するものがある。

向かって右から蔵、離れ、茶室、主屋、長屋。その他味噌倉等から構成。茶室は庭木に隠れて写真には写っていない。主屋と茶室を結ぶ廊下の途中に隠居部屋がある。ちょっと陰気で暗い。うちの母はこんなところで隠居したくないと身も蓋もないことを言っていた。長屋は2階建。1階は石垣部分にある。用途は牛小屋、馬小屋か。2階には部屋があり向かって右から下男部屋、番頭部屋、便所、下女部屋、蒟蒻の種芋の貯蔵庫、物置と続く。下男部屋、番頭部屋の仕切りは襖。この家の向かいの丘にはこの家の神社が祀ってある。立派な神社である。



石垣下から門を臨む。石垣は半分ほど埋まってしまい草に覆われているらしい。その昔、この石垣の下、今の駐車場付近は鉱山で働く人たちの住居が並び、ちょっとした村になっていたそうだ。

主屋は6間取り。ありふれた間取りといえばそうである。屋根裏部屋あり。表の三間を茶室側から見た風景。後で訪ねた西江邸の方が規模としては大きい。



裏の三間を茶室側から見た風景。



裏の三間を台所側から見た風景。いつも考えるのだが日本の民家というのは、どんな大きなものでもそこの主のものでしかない。主人のためだけの家なのだ。家族はいったいどこに住んでいたのか、どのような暮らしをしていたのかと考えてしまう。



裏庭にある井戸というか湧き水、清水。生活用水。家の裏はこのような岩肌。石垣用の石は全てこの山から切り出したそうだ。



屋敷から見た風景。中央に神社が見える。



神社部分を拡大。



この吹屋から西に下ったところに坂本という集落がある。ここは鉱山町の吹屋に対する麓の拠点だった所のようで今でもその痕跡はあるというか十分往時が想像できる地形。当時は旅館、演芸小屋、娼家が並んでいたそうだから、人の往来の多さが想像できる。京都から舞妓が出張に来ていたというお話を聞かせてくれたのは坂本にある西江家18代当主。この方は弁柄を復活させて商品化している。7年前にここに戻られたそうで精力的に文化活動をされている。



上の写真は坂本にある西江邸。広兼家と同じく鉱山、弁柄で財を築いた。こちらも先ほどの庄内の本間家ではないがスケールは大きい。18代当主にかつて所有していた土地の面積を尋ねたら家を中心にして南北それぞれ25kmと笑いながらお返事いただいた。おじい様はそうおっしゃっていたそうだ。ここは個人が住まわれている住居だが見学可能。現在も過去も自治体等からの補助金無しで運営されている。こちらの主屋は表に5間の座敷がある。その表側だけこの日は見学させていただけた。裏の構造は不明だが、現代風に手を入れて住まわれているようだ。表に5間あるということは裏も5間分あるということで、この形の家を私は知らない。江戸時代には惣代庄屋として代官御用所を兼ねており、簡易白州の間があるため表に1間多いと説明いただいた。惣代庄屋としては日本で唯一現存している家だそうだ。裏はこの日は見せていただけなかったが、ネット上にはその写真がある。参考:http://sasazuka.blog.ocn.ne.jp/nakano/2009/06/2_b1a1.html ←OCNブログ人サービス終了ということで残念ながらページは閉鎖されている。

ここの屋敷には主屋の裏に別の建物がある。主屋と同規模の大きさだ。どういう用途なのか知りたいものだ。かつては40人の使用人がこの家で暮らしていたというこの建物群を維持するのは大変なことだと思う。できる限り長く維持していただきたいと願うばかりである。
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