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アベちゃん

名付けてアベちゃんブログでございます。オフコース関連情報やメンバーの皆さん、野球のことなど、そんなことを語るブログです。

石井琢朗のコーチ就任について

2021-11-20 23:59:45 | スポーツ

今年の日本シリーズ、初戦からスゴい試合になったようだ♪

オリックスが9回表まで劣勢で負け寸前で土壇場の9回裏に劇的逆転サヨナラ勝ち♪

いや~、いい試合をお互いにするよねぇ。

 

そんな盛り上がっている日本シリーズだが、今季、最下位に終わったわが横浜DeNAベイスターズ⚾

何とかテコ入れをと、コーチ陣の大幅な入れ替えがある。

斎藤隆に鈴木尚典、石井琢朗、そして相川といった面々。

 

その中で、石井琢朗がコーチとしてベイスターズに復帰した。

14年ぶりのベイ復帰である。

2008年、当時若返りを図っていた球団が石井に引退勧告をしたが、現役続行を望む石井はこれを拒否し、広島に移籍した。

わだかまりを残したままの退団だったため、もう二度とベイ復帰はないものと思っていた。

こうした球団の対応に怒ったベイファンも多かっただろう。

そしてこのたびのベイ復帰を喜んでいるベイファンは多いようだ。

俺にとっては案の定、という感じの反応か。

 

しかし、俺の中でまだ石井に対して腑に落ちないところがある。

ハッキリ言ってしまえば、今でも石井に対して良くは思っていない、というのが俺の気持ちだ。

昔からのベイファンであれば、石井の約20年前、正確的にいえば優勝した後の行為、というか暴走を知っているであろう。

そして、その後チームの辿った運命も知っているであろう。

それなのに、石井の復帰を喜んでいる。

きっと、石井が日本人受けするタイプであるからなのだろうが、よくもまぁ許せるよなぁと・・・・・・

歓迎できるよなぁと・・・・・・

もう年月が経ったんだからいいじゃん、とか、氷河期が解けてまたチームに恩返ししたい、と思っているのだから、いいじゃん、とか、そういった声もあるんだろうなぁ。

もちろん、それを否定はしないし、スゴく分かる。

 

でも、優勝した後の石井のした行為を見たら、心からベイの復帰を喜べない自分がいる・・・・・

改めて、振り返ろう。

今さらそんなこと振り返るなよ、という声も聞こえてきそうだが、この記事だけ勘弁してもらいたい。

 

1997年、シーズン2位になったのに、当時監督の大矢氏に対して契約更新せずに退団。

その後、ヘッドコーチだった権藤さんが秋季キャンプに間に合わせる形で、そのまま監督に昇進した。

ずっと長年投手コーチをやっていて、且つ現役時代の登板過多で肩を壊し、早くに現役引退に追い込まれた経験から、投手事情をよく分かっていて、とにかく登板過多はさせない、というスタイルを確立。

たとえば、先発投手は短いイニングまで、中継ぎローテーションの確立などなど。

そして何と言っても、攻撃面ではバントしない攻撃型野球、そして選手の自主性に任せ、特にこれといって細かいことは言わなかった(しかし、行き詰った選手に対してはコミュニケーションを取っていた)。

その奔放主義がマッチして1998年、38年ぶりのリーグ優勝、そして日本一を達成することとなる。

 

そして、優勝した翌年の1999年も強力打線は絶好調で得点を重ねまくったが、肝心の投手陣の不調でシーズン3位に終わる。

そして、この頃から石井琢朗の中で、ノーサイン野球、選手の自主性に任せるといった権藤野球に不満を募らせることとなる。

この年、石井はFA権を取得していたため、オフにFAを交渉カードにして球団に詰め寄る。

「権藤野球はダメだ!もっと緻密な野球をしてくれ!」と・・・・・・

 

この石井の主張が翌年の権藤さんとは180℃違い、西武の黄金時代を指揮した森祇晶の監督就任に繋がることとなる。

そして、権藤体制3年目で、監督最終年の2000年も3位に終わった。

もうこの頃になると、チーム内はもう完全にバラバラ、挙句の果てに石井を中心にした"反権藤派"が、権藤さんへの不満がピークに達し、監督室に立てこもり、権藤さんに詰め寄るという出来事も起こった(通称:監督室立てこもり事件)。

このように、チームは空中分解していき、その後のベイに暗雲が立ち込めた。

 

そして、ある意味、石井自身が招聘したといってもいい森が監督に就任。

しかし、権藤さんを「最高のボス」と慕っていたローズは退団した。

ベイ最終年も打率.332、リーグ最多安打を記録したにもかかわらずだ。

権藤さんとは180℃真逆の管理型野球にベイの選手は戸惑った。

特に、森と正捕手の谷繁とはウマが合わず、確執があった。

保守的なリードを好む森に対し、自由自在のリードで投手陣を牽引する谷繁。

この2人の距離が広がっていき、オフの谷繁のFA宣言&中日移籍となる。

森は谷繁のいないところで、「よくあんなリードで正捕手が務まってたな」とか、「あのリードはねぇだろ~」と裏でグチグチ言っていたし、その森の性格に嫌気が差した谷繁はFA移籍を決断する。

 

こうしてバラバラになっていったチーム状態のベイスターズは、翌年の2002年にご存知のとおり、暗黒時代に突入していくのであった。

権藤野球を真っ向から否定し、球団に詰め寄り、暴走した石井の責任は重い。

確かに石井は走・攻・守の3拍子が揃った素晴らしい名選手だった。

同時に、自分の考えを後先も考えずに首脳陣、球団に押し付けて暴走する"不満分子"でもあった。

 

石井のこうした行為がチームに空中分解をもたらし、暗黒時代に導いた張本人であることも事実なのである。

良かれと思ってやった行為は分かる。

しかし、それが完全に裏目に出てしまったのである。

 

そういう意味で俺は石井のベイ復帰は正直驚いたし、心から喜べない自分がいる。

マスコミ、ファンの間では98年のメンバーが勢揃い、と大騒ぎしているが、これでチームが強くなるほど事は単純ではない。

あくまでプレーするのは現役選手だし、その選手よりも指導者が目立ってはいけない。

というようなことを当時阪神の金本が引退するとき、当時監督だった"中畑ベイ"に忠告したよね(笑)

 

もう一人、鈴木尚典も石井と同じく、"反権藤派"の一人であったが、さっそくマシンガン打線を否定する発言をしている。

打つだけではなくバント、進塁打もやるようなことを言っている。

そして、当時を振り返り、1998年はハマったが、翌年の1999年は連覇できなかったと・・・・・・

イヤ、違う。

99年はマシンガン打線は98年以上に絶好調だったが、逆に先ほど言ったように、投手陣の不調により3位に終わっただけだ。

当時、バリバリの現役だった鈴木はそのチーム事情を知っている筈である。

終わっただけだという言い方は語弊があるかもしれないが、98年1位、99年3位、00年3位と、何気に大洋ホエールズ、ベイスターズの全歴代監督の中で球団史上最高の成績を残した権藤さん(その次がラミレス)。

鈴木の言うバント、進塁打で打線が機能するのか。

不安になってきた。

今年の2月、春季キャンプで監督に就任した三浦大輔がバントの練習をさせていることについて、このブログで不安を口にしていた。

その時と同じ気分です。

来シーズンもま~た初回バントなんていう、愚策をやるんじゃないだろうね・・・・・・

 

とまぁかなり辛辣なことを書いた。

でも、石井に関していえばいちどベイを退団し、外をジックリと見てきて、あれから長い年月が経った。

大人になっていると信じたい。

 

そんなこんなんで、新コーチ陣がどのような戦略を立てるのか。

感じたことを引き続きブログの記事にて書いていきたい。

 

でわでわ👋

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