先週の日曜の3月30日(日)に横浜ミントホールにて開催された松尾一彦さんとSINONさんの「カーペンターズとオフコースの時代」♪
横浜ミントホールは、横浜駅西口近くの相鉄ムービルの3Fにあるホールです♪
わりとレトロな建物内になるホールです♪
この日は、日中の第一部と夜の第二部がありましたが、私はバタバタの時期ということもあり、ただひと段落つきつつある、というのもあり、夜の部の第二部に参戦しました♪
サポートメンバーはお馴染みのピアノび竹田元さん、サックス&フルートに園山光博さん、ギターに朝井泰生さん、そしてもう一人にコーラスのHana Ardieさんという方が参加しました♪
当初、出演メンバーに記載がなかったと思いますが、とても綺麗なコーラスを聴かせてくれました♪
そして、トークコーナではスペシャルゲストに名プロデューサーの新田和長さんが出演しました♪
もう言わずもがな、小田さんやオフコースはもちろんのこと、たくさんのアーティストのプロデュースを手掛けた方です♪
今回は企画イベントですので、主に印象に残ったMCやトークを中心に書かせていただきます♪
カーペンターズやオフコースの他の洋楽、邦楽も披露しました♪
ちょっと、分からない洋楽もありましたので、そこら辺はご容赦ください♪
最初2曲はカーペンターズとオフコース以外の洋楽から入りまして、松尾さんは「カーペンターズとオフコースの時代」というタイトルで、カーペンターズ、オフコースの曲を期待していた皆さん、最初はそれ以外で入ってすみません💦
みたいなことを言っていました(笑)
3曲目は「愛を止めないで」♪
オフコースが5人になり、本格的にバンドサウンドになっていった頃の曲です♪
竹田さんのピアノとギターサウンドが心地良く、そこにSINONさんのボーカルが伸びやかに会場に響きます♪
4曲目は「めぐる季節」♪
1976年10月にリリースのシングル曲ですが、松尾さんが初めてハーモニカでレコーディングに参加した曲ですね♪
で、ハーモニカを実際に演奏して見事に当時の再現をされていました♪
感激です♪
ボーカルはSINONさん♪
実はこの2日前の28日(金)に、ラインキューブ渋谷(旧渋谷公会堂)にてBS朝日主催のライブイベント「シティポップ・スタジオ」が開催され、その時の話を松尾さんはされていました♪
とても楽しかったのと、横でヤスさんこと鈴木康博さんとSING LIKE TALIKINGの佐藤竹善さんとの「青春」のコラボを見て、とても素晴らしかったと♪
本当に小田さんとヤスさんはいい曲を書いてるなぁ、と感心しきりでした♪
でも、このライブイベント、松尾さんが作曲した「雨のリグレット」を佐藤竹善さんとコラボしたようできっとスゴく素晴らしかったと思います♪
その後、エルトン・ジョンの「Your Song」を披露して、こちらは松尾さんのボーカル♪
スゴく良かったです♪
続いて、由紀さおりさんの「夜明けのスキャット」♪
作詞が山上路夫さんで、オフコースのデビューシングルの「群衆の中で」(1970年4月5日)の作詞を担当しましたね♪
トークコーナーでは先に記述した、スペシャルゲストの新田和長さんが登場♪👏
新田さんは1969年に東芝音楽工業(後の東芝EMI、現ユニバーサル・ミュージック)に入社。
以来、数多くの大物アーティストのプロデュースを手掛け、名プロデューサーとなっていきます♪
とはいえ、当時は右も左もまったく分からない若造、と謙遜していました(笑)
同年に行われたアマテュアバンドが競う、「第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」について言及していて、偶然タクシーの中でジ・オフ・コース(アマシュア時代~デビュー時に名乗っていたグループ名)の演奏、コーラスが聴こえてきて、ものすごく上手い、と思って何とかこのグループの担当になりたい、と思った、との事♪
当時のメンバーは小田和正、鈴木康博、地主道夫の3人。
3人は横浜の山手にある聖光学院で中学、高校の一貫校で同級生で、高3の学園祭で彼らのコンサートが開かれ、喝采を浴びました♪
大学進学後は小田さんと地主さんは東北大学進学のため仙台へ、ヤスさんは東京工業大学へ進学して、小田さん地主さんは仙台、ヤスさんは関東と、離れ離れになってしまいました。
しかし、休みや休講を利用してヤスさんが車に楽器を積んで仙台に行って、バンド活動は続けられました♪
しかも、当時は東北自動車道がない時代だったため、かなり時間がかかったものと思われます💦
そんな中、自分たちの実力を試すために「第3回ヤマハ・ライト・ミュージックコンテスト」に出場♪
関東地区からではなくて仙台地区からの出場とし、地区予選を勝ち上がって、全国グランプリ大会に進出。
会場は新宿厚生年金会館で行われ、ジ・オフ・コースはPeter Paul and Mary(PPM)の「Jane Jane」、ジョニ・ソマーズの「One Boy」を演奏♪
それをタクシーで聴いて、何とかジ・オフ・コースと専属契約を結べないかどうかと思った、との事♪
小田クンと鈴木クンの声の組み合わせ、そこに地主クンの声が絡んできて、3人のシンクロがスゴかったと♪
考えてみれば、1969年というとボクが東芝に入社したのもそうだけど、ジ・オフ・コースに初めて出会って、さらにカーペンターズのデビューも1969年。
スゴい偶然、ということを仰っていました♪
それと、5人のオフコースが終わり、活動休止中に中国に旅行に行くときのエピソードも♪
ある時、新田さんのところに小田さんがオフコースの今後について相談しに来たと。
ものすごく神妙な面持ちでどうしたらいいか・・・・・・
との事。
新田さん曰く、小田クンは鈴木クンのことがものすごく大事に思っていた。
小田クンは生涯ずっと鈴木クンと一緒に音楽をやっていくものだと思っていたと。
それを聞いた時、新田さんは返す言葉がなかなか見つからなかったと。
そんな時、東芝の会長が中国政府に招かれている、ということで、小田さんに思い切って中国に行こうか、と打診。
そうしたら、答えが見つかるかもしれないと。
それでメンバー4人とスタッフら全員で中国に行ったそうです。
今も続く日中の文化交流という名目で、北京、洛陽、西安、上海を3週間かけて旅行。
当時の中国の国民の殆どが人民服を着ていて、無数の自転車やバイクが群衆の如く道を走っていたと。
人民大会堂では、共産党の当時の副主席に就任した王震さんの歓迎を受けて食事会が開かれたと。
そして、最後の晩餐会の夜、小田さんが日本から持ってきていたオベーションのアコースティックギターでオフコースのアカペラ曲の「いつも いつも」を演奏。
オフコースのメンバーが日本語で歌い、それに合わせるように通訳の王怡さんが朗読風に読み上げ、観客を含めたその場に居た全員が涙したと。
そういう感動的なエピソードも話してくださいました♪
その後、ご存知の通り、新田さんらは東芝EMIを離れて新レーベルのファンハウスを設立。
オフコースもこちらに移籍。
それと、これまでレコード会社から数々のベスト盤がリリースされてきましたが、小田さん的にはベスト盤のリリースに対して、あまり良く思っていない、不快感を露にしてきたのですが、唯一「グレイテスト・ヒッツ」だけは小田さんは前向きだったそうです。
あの5人の演奏している場面の写真を持ってきて、それをジャケットにしようと。
まさか小田さんがこのベスト盤に対してそんな対応をしてくるとは、ようなことを言っていて驚いていました。
新田さん曰く、今回は「Yes-No」で最初のトランペットを吹いていた富樫要クン、当時のマネージャーの上野博クンも来ていると♪
さらに、開演前は清水仁クンも来ていて、松尾クンの手をマッサージしていたと♪
残念ながら他の仕事あるみたいで、仁さんは開演前に帰っていったそうです。
以上が新田さんとのトークコーナーでしたが、ライブはまだ続いて、ここでようやくカーペンターズのカバーを披露♪
「Super Star」「I Need To Be In Love」(「青春の輝き」)「Yesterday Once More」などを披露♪
本編最後は松尾さんが学生時代に頻繁にラジオでかかっていた「My Sweet Lord」(ジョージ・ハリスン)の曲を演奏して本編は終了しました♪
暫くしてアンコールで出演者全員ステージに登場し、「眠れぬ夜」「やさしさにさようなら」「歌を捧げて」の3曲で終了しました♪
「眠れぬ夜」では盛り上がりが最高潮に達し、「やさしさにさようなら」はオフコースのライブ・ヴァージョンそのままで冒頭の小田さんのキーボードのソロを彷彿とさせる竹田さんのピアノ・ソロから始まり、全員の清流なコーラスでこの曲が始まりました♪
「歌を捧げて」は後年に追加された2コーラス目も披露してライブは終了しました♪
最後、新田さんから改めて挨拶があり、オフコースというとどうしても小田さんがクローズアップされる。
それはそれで当然なんだけど、彼を支えた人たち。
ここにいる松尾クンも当然そうだけど、鈴木ヤスクン、ものすごくギターが上手くてそれをさらに楽曲を引き立てていると♪
というようなことを仰っていました♪
という今回のライブイベント。
スゴく楽しかったです♪
また、このイベント、やってほしいです♪
でわでわ👋