沢田研二ザ・タイガースのギネス記録ゲームで一緒に楽しく遊ぼう③参加者募集中

ゲーム参加詳細はブログ①を見て下さい。https://blog.goo.ne.jp/sige93warabe

沢田研二 真駒内アイスアリーナ

2018-10-04 06:34:09 | 古稀ライブ

後半のMC  大変お待たせしました。ただいまこの姿に着替えておりました。だいぶ時間がかかったようで鵜s。もう終わったと思って、帰った方もいらっしゃるかもしれません。もうちょっとだったのですが。ホントお待たせいたしました。今日はほんと大変な時にありがとうございます。暖かいご声援、ありがとうございます。こんな時こんなことをしていていいのかと思っておりますが、温かいご声援ありがとうございます。こんな時にぐだぐだと説明するのもなんかだと思いますが、構想12年、二人だけで歌とギターだけでやろうと、最初に思ったのは、還暦の2年前でした。12年がまんしました。人気も落ち着いている。素直に言えば落ち込んでいる。そういうな時期でございました。60を前にして人気が爆発的になるということは2度とないだろうと、おもいまして、還暦になったジュリーがジジィになったということで、いいじゃないかと、還暦コンサートをやろうと全国を周らせていただきました。そして、いつもよりたくさん歌を歌いましたが、その時には、ヒット曲がほとんどで、東京ドームと大阪の京セラドームで、最後の花火といたしまして、80曲も歌わせ得ていただきました。そんなことをしたら、ふつう、業界的にはのどをお潰すのでやめろというのですが、私のところでは周りは誰も止めることはありませんでした。本当は、還暦ですから60曲で済まそうと思っていたら、知ってます、泉谷しげるというやつが、還暦で、池袋の名画座という映画館でで、一晩かけて60曲歌いやがったんです。同じことしたら、真似したと言われかねないでしょう。思い切って88曲しようとしたら、10時近くになる。かたずけなどを含めると、2日間になり、東京ドームを貸してもらうお金が倍になるということで、弱小私一人の事務所なので、辞めようとなり、では何曲ならいいんだ。げんのいい数字がいいということで、80曲にした。あのころは、ワンコーラスでいこうなんて智恵なんてなかった。お昼の3時から初めて、1部をする、6時から第2部をすることにした。

一番高い席がSS席が12000円 1曲150円ですよ。それだけでもお得感満載でしょう。後半にいけばいくほど声が伸びていくでしょう。

いつもは意地悪に書くようなマスコミが良く書いてくれた。そして、想定外の事が起きた。沈んでいた人気が浮いてきた。普段見に来ない人が見に来てくれるようになった。その人気が続いた。人気というのはほしくて手に入るものではない。そういう体験を私はしてきた。

自慢話。私は18歳ですごく売れた。それもグループでザ・タイガースの一員のジュリーとしてうれた。あんな爆発的に売れることはもうないと。タイガースはたった4年間だけですよ。私は51年ですよ。印象はザ・タイガースのジュリーでしょう。またやってくれと言われる。だが、もうメンバーのなかで、またやろうと言ってくれる人はなかなかいないんですよ。もういいって、そして、もともとですけど仲がいいというわけじゃないの。だから、しょうがないね。これは、置いておいて。ソロになって、そんなに甘くないよと思っていたら、ところが売れちゃった。すべて自慢話になってしまいますが、尾ひれ羽ひれをつけずに話してます。事実のみを話しております。自慢話のようになって申し訳ございませんが。そのあとの、危険な二人ころ、勝手にしやがれのころ、ストリッパー、TOKIOのころ、40代のころまで、それこそ、若作りしているとか、あの手この手でして、最後は、救急車まで、出しましたからね。結局胃潰瘍になって入院してしまいました。いいことばかりではありませんでしたが、50年やってきました。還暦のあと、こんなに人気が出るとおもっていなかったので、このスタイルでやろうとしていたが、人気が出たので、この人気に流されるようと。すごい余裕のあることを言っていますが、物事を極端に変えない方が良いとかんがえて、そういうことになった。

僕は80曲、バンドはもっとすごい、かれらは、僕が登場するときも演奏したので、81曲えんそうした。鉄人なんですよ。それから、2年3年たつと、一人は、病気にたおれ、また一人が病気にたおれ、もう鉄人バンドと呼べないなあと思ってきたりすると、そうだ、あと何年かすると古稀だ、70だ、古稀だ。70になって好きなことをしないとどうするの。おいらは、ほんとは、61の時にやりたかったのにと思ったわけです。世の中の人は、ぼくのことを、短気な男だと思ってますが、12年も待てる短気な男奈緒です。3年か4年ぐらい前に69歳の時が50周年、70歳の時に古稀のおいわいで、この時にもう好きなことをやろう。それもすきなギターリストと2人だけでやろうと。ギターが50、歌が50のバーサスのような感じのステージをやりたいとおもった。それをカズさんに最初に話したのは、もう8年前ぐらいに、岡山のとある隠微なお姉ちゃん一人でやっているバーにスタッフと共に行って、スタッフはスタッフで盛り上がっているときに、ぽっんとカズさんと二人だけになった時に、突然、「じつはカズさん、近い将来なんですけど、カズさんとふたりだけで、ギンギンの音だして、やんちゃな音をだして全国をまわりたいというのをやりたいんですけど、どう思います」というと、カズさんが「オゥー」と言って、突然でしたけどね、僕もガンガンお酒飲んでました、カズさんはそのころはお酒を辞めていて向こうは素面でしたよ。かと言ってみんなの前でいると飲んでいる息を吸って、酔っている気分になっていると思うですけど、考えて下さいますかといって、そして4年ぐらい前に福岡のホテルの一室で正式にカズさんに話をして、事務所的にもこうやりたいんだとはなしをして、カズさんに考えておいて下さいますかとはなしをした。必ずしも僕の音楽人生の締めくくりをそうしたいんだと。でもカズさんにはカズさんの計画があると思うので、かならずしも、やるということの答えでなくていいんですよ。NOでもいいんですよ。そうなったら、そうで、残念ですけど、またちがう別のことを考えるますとわかれたのですが、一週間もたたずにやりましょうと返事をいただき、その時の私の感想と言ったら、カズさんが花咲か爺さんに見えて、僕のまわりは桜の花が満開状態でした。今もそれが続いているんですよ。こうして、最初からここまで聴いていただき見ていただいて感じたことがたくさんあると思いますが僕たちもこれがすべてだと思いませんが、まだ伸びしろがあると考えております。ですから、こうご期待ということであります。それにつきましても、この突飛な発想に付き合ってくれた稀有な方だと僕は思います。ご紹介いたします。柴山和彦さん。 ありがとうございます。これからもっともっとお互いに切磋琢磨して、もっとやんちゃな音新しい音そういうものを追及して行くことが、これからも皆様方に楽しいで頂けること喜んでいただけることになると信じて、努力を重ねて重ねて重ねていきます。ので、これからもよろしくお願いいたします。どうそよろしくお願いいたします。どうぞよろしくお願い致します。それでは皆様よろしゅうございますか。おまけです。

 


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。