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(15)稽古の不思議  ~帰りは身も心も軽やか~生活では心身の「芯」を喪失するようなことが多い

2012-05-10 15:02:32 | 中高年の楽しい合気道中野道場
15 稽古の不思議  ~帰りは身も心も軽やか~



仕事やら何やらに頭がいっぱいで、

そんな日、稽古に向かうときは、

(なんだか、今日は、気分が集中しないなあ・・)

と、体もだるく感じることがある。



それでも、

稽古に入ってしまうと、

(乗らない気分)はどこへやら・・

気が付いたら終わっているから、不思議だ。



合気道の稽古が、身体の動きの精度を磨くことが

主であるから、

肉体的疲労度が軽い、ことがシニアには嬉しい。

だから、

帰り道は、体も心も「芯」をとり戻した感じで、

足取りまで軽くなる。

つい・・

気が付くと、居酒屋でビールグラスを

くいーっと、口に運んでいる自分がいたりする。

たまらないんだよね、これが。



そうか・・

稽古は、心身の「芯」を取り戻すことでもあったか、

とつくづく思うこの頃。



芯を取り戻せば、(頭のお掃除)にもなるわけだし、

このご時世、すっきり感は貴重である。



逆に言うと、

それだけ、普段の生活が煩雑で、

心身の「芯」を喪失するようなことが多いのだろう。

一般的にも、情報機器に依存しがちで、

生活の不安の種ばかり増殖し、頭はいつもパンパン・・

一方で、労働までガジェット頼みで、

体を使うことが激減したこともあろう。



そういえば・・

合気道をはじめてから、

人のちょっとした動きが気になることが、ままある。

たとえば・・

少し混みだした電車内、

隣に乗ってきた女子大生くらいの女性。

ドアにもたれて耳にヘッドホンステレオ、

片手でスマホを操作している。

電車が動いても腰がつっ立ったままで、

足を踏ん張ってバランスをとる気配がない。

??

いきおい、電車が揺れると、隣に立っていた私に

体全体がズルズルともたれかかってくる。おいおい・・

(通常この段階で気が付いて体勢を立て直すのだが、

本人はスマホに夢中で、他人にもたれている自覚もないらしい・・)

肩をたたいてやり、彼女はやっと体勢をとりなおした。

彼女の意識は密室にいて、群衆の中に体があることに

意識があまり向かないらしい。

距離感のスイッチがOFFになっているのだろうな。



若者の体が、どこか(幽体離脱)のように、

浮遊している・・と感じることが急に増えた昨今。

何やら人間の「芯」にかかわることで、

ただならぬことが進行しているのでは・・とオジサンは気にかかるのだよ。



合気道の稽古は、最初から終わりまで

身体の中心感覚を意識させられる。

腰と肚を意識し、その上に背骨を正しくのせて、

一文字腰に落とす。しっかり軸を立てる。

あらゆる技は正中線にはじまり、正中線へ向かう。

稽古の度に、(中心感覚の精度が技の精度だ)

と身をもって実感。

(もっとも、それだけずれてることが多いのだ)



思えば日本人は、

「へっぴり腰」「腰くだけ」「および腰」「逃げ腰」「弱腰」・・と、

腰の表現だけでもたくさんある。

先人たちは、とりわけ、「腰」「肚」「息」を中心とした身体感覚を、

(体と心の結びつきの様態)として捉え、

生活の中で(技化)することで磨いてきた。

生きることを(身体知)で捉えてきた歴史がある。



(浮遊する身体)を目の当たりにすると、

なにやら、この数十年で日本人が失ってきたものの大きさを

何かにつけ感じるこの頃である。



そんなわけで、

うまいビールを飲むためにも、

シニアの(極楽合気道)はばんざい、なんです。


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