合気道 楽心館 中野道場 熟年ばんざい!

中野体育館は中高年シャンゼリゼ、合気道で熟年ばんざい!

26 63才”にして初段へ精進中・・・

2013-11-24 21:12:42 | 中高年の楽しい合気道中野道場
26 63才”にして初段へ精進中・・・



入門してまもなく4年。よれよれの熟年オヤジに、

ようやく初段の門が見えてきました。

根気も根性も人並み以下の私が続いてるのは

ひとえに、師をはじめ、先輩諸氏の包容力のおかげに他なりません。

そして、稽古が私にもたらしてくれたものがなければ頓挫していたでしょう。

そう、それはまるで予想してなかった「賜物」でした。



「力まないチカラ」「加速しない迅さ」「等速直線運動」

「落下の力とゆるみ」「相手とのつながりと接点」「軸を立てて」「相手の軸を崩す」

・・稽古で口酸っぱくいわれてきた楽心館合気道の術理の基本です。

私にとっていつの頃からだったか、それら身体運用の術理の(相互作用)が、

ことごとく(日常生活での様々な場面)とだぶるようになったんです。

奇妙なことでした。



どういうことか言うと、

どなたでも、日頃の人間関係を振り返れば

(伝えたいんだけど、なんでわかってくれないのか)

(声高で押しつけがましい意見など聞きたくもない)

(あいつとは性格があわない)

・・夫婦、家族、友人、職場の人間関係で様々なすれ違いを

経験しているはずです。

稽古を通して、すれ違い、行き違い、誤解・・苦い記憶の一つ一つが

徐々に腑に落ちるようになりました。

思えば、原因の多くは、「力に対して力で応戦」です。

「伝えようと熱が入るほど相手が引いてしまったり」

「正しいと思って言ったことが、自分の一人相撲にすぎなかったり」

およそ、稽古で指摘される様々なポイントと重なります。

「もっと力を抜いて」「方向が違う」「加速しない」「軸を立てて」

「つながりを感じながら」「対立点でぶつからずに」「緩んで・・」

・・同じなんですよね。

自分の言動は案外自分がわかっていません。

自分の姿勢や動きのクセが師や仲間から指摘されないとわからないように。



つまりは、

私にとって楽心館合気道の術理は、

人間関係をめぐる術理とコインの裏表だったんです。

落語でも、歌でも、小説、芝居や映画でも

錬達の表現者は、(それぞれの合気道)を工夫しているのが

今ならよくわかります。

一教~六教、小手返し、四方投げ、天地投げ、剣の節理も・・すべて通底します。

上手い人の技にかかった時の圧倒と気持ち良さはなんともいえません。

「心を打つ」「胸に響く」「感動する」・・合気ですよね。



人間だけではありません。

酒を飲むときだってそうです。

(グイグイ押しちゃいかん、ぶつからずに、

酒とのつながりを感じて、加速せず・・ほど酔いに等速直線で)

・・なんて具合。

(おかげで酒との関係は良好になってきて、肝臓の数値も回復しつつあります。はい)



ペットと、パソコンやスマホと、自動車と・・

自分と関係を結ぶものはすべてに通用しそうです。

ゆめゆめ、「思い込み」「勘違い」の一人相撲だけは用心せねばなりませんね。

ですから、稽古は、自分に浸み込んだ身体運用、表現や思考の「クセ落とし」であり、

プログラムの書き換えでもあるんですね。



中高年にとっては日常生活もまた稽古場の延長、

手ごわい古女房らを相手にどう技を繰りだしてやろうかと

せいぜい研鑽に励む所存です。



「日暮れてなお道遠し」

初段とは、(ようやく門の前に立った段階)かと思います。

(昔、自動車の免許取得へ、教習所から公道に出たときを思いだします)

人生に残された時間がそうあるわけじゃありませんが、

道場でも日常生活でも、(精度の次元を本物にする)

ことを念頭に置いて稽古に精進したいと思います。




現在、「合気上げ」の研究中です。
写真はそのノート。

いつになったら、合格するのやら?


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