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タイトル変えました。iSaonのブログです。

『ほぼ日手帳』のもどかしさ

2008-08-06 10:51:42 | 日々雑感
今年から『ほぼ日手帳』を使い始めている。以前から気にはなっていたんだけど、値段も高いし、なかなか踏ん切りがつかなかった。

しかし、この手帳、使ってみるとなかなか良い。でも、面白いのは、この手帳を持っていると、いろいろな人から話しかけられることだ。

「あ、『ほぼ日手帳』ですね。僕も使ってます」

とか、いきなり初対面の人に言われたりする。中には、後日、メールで

「私も『ほぼ日』ファンなんで、嬉しかったです」

とか送られてきたりして、この連帯感はなんなんだろうと思う。

『ほぼ日』とは、糸井重里氏が主催するWebページ、『ほぼ日刊イトイ新聞』のことで、ここから生まれた手帳だから、『ほぼ日手帳』。

僕は、糸井重里は、『萬流コピー塾』のころから好きだし、『海馬』も読んだ。『ほぼ日』も面白い、手帳も、よくできているし、お値段以上の価値は、十分あると思う。

でもさ、糸井重里的ワールドに、どっぷり浸かるのはイヤなんですよ。イトイ教の信者にはなりたくない。適切な距離を守って、お付き合いをしたいな、と思っている。

でも、この手帳を持っているだけで、彼ら(信徒)はそう思ってくれないようだ。

「いや、糸井さん云々じゃなくて、僕は、この手帳が使いやすいから、使っているだけでね」

なんて言うと、

「えー、えー、僕もなんですよ」

とか、変な相槌打たれたりして、どーも、居心地が悪い。

たとえば、聖教○聞を購読していたら、創価○会の信者と見られても仕方ないかもしれない。でも、十字架のネックレスをしているからといって、みんながみんなキリスト教徒とは限らない。

『ほぼ日手帳』を愛用しているからといって、糸井重里に心酔しているわけではないんである。

思えば、僕が糸井氏にいまひとつ、のめり込めないのは、彼と彼の信者が醸し出す、この啓蒙的な雰囲気のせいかもしれない。物腰はソフトなんだけど、そこはかとなく『上から目線』だったりしてね。

しかし、いつから手帳は単なる文房具ではなく、そのひとの、思考や、ライフスタイルを象徴するような存在になってしまったんだろう。

出入りの業者さんから貰った手帳をそのまま使っていたりすると、それだけで『向上心のない奴』と思われるような気がする。

僕は、生来、不精で、メモをとるのが極端に下手くそだから、いままで、一年通して、一冊の手帳を使いとおせたことがない。でもって、それは、僕の小さなコンプレックスだった。

人が手帳の使い方について熱く語っているのを見ると、とてもうらやましかった。

しかし、今は8月。この『ほぼ日手帳』を使い続けている。僕にとって、これは間違いなく記録だ。

喜ばしいことなんだけど、なんとなく、落ち着かないんだよなぁ。

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