横浜の秘密

知らなかった横浜がいっぱい ~鈴木祐蔵ブログ~

今だからこそ、日本を見つめ直す。年末年始からお花見、端午の節句、母の日まで、日本ならではのしきたりの雑学が満載!

2024-04-05 11:40:50 | 

『大人の常識 日本のしきたり・年中行事』(KADOKAWA)。100万部突破の大ベストセラー「日本人のしきたり」の著者として知られる飯倉晴武先生に監修をお願いして私が執筆し、2016年10月中旬発売となりました。

四季折々に、何気なくふれ、親しんでいる、さまざまな日本の風習・しきたり。ところが、それらの由来や本来の意味などをご存じの方は、意外に少ないのではないでしょうか。

元号が『平成』から『令和』へと改まり、新たな時代を迎えたこの機会に、わが国・日本の風習やしきたりを振り返ってみるのも一興です。

2020年夏に予定されていた東京五輪(オリンピック、パラリンピック)は、2021年夏に延期され、紆余曲折はあったものの開催の運びとなりました。ただし、猛威を振るっていたコロナウィルスの影響で、五輪史上初の無観客に。世界中の方々とふれあい、交流を深め、友情を育む機会が奪われてしまったことは、日本にとって大きな損失でした。しかしながら、やがて人類がコロナに打ち勝った暁には、世界と交わる機会はますます増えていくことでしょう。そうした折に大切なことのひとつは、私たち日本人が日本をどれほど理解しているか、そしてそれを国境や文化、言葉の壁を越えていかに伝えるかです。海外の人々は、自分の国にはない日本ならではの文化・風習・習慣に高い関心をもっているからです。

本書では、中国の習慣が伝来して日本風のしきたりが加わることで生まれた「ひな祭り」や「端午の節句」「七夕」などの五節句から、日本古来の風習である「お正月」「お盆」「お花見」、主に明治時代以降に欧米から伝わった後に日本流にアレンジされた「バレンタインデー」「エイプリルフール」「母の日」「父の日」「ハロウィン」「クリスマス」などの比較的新しい習慣、日本独自の風習である明治時代からの「忘年会」や昭和に生まれた「ホワイトデー」まで取り上げ、それぞれの意外な発祥の歴史やエピソードなどを200以上も収録。


お求めやすい気軽な価格で、持ち歩きもしやすい文庫本に、日本人なら絶対に知っておきたい日本の年中行事にまつわる興味深い秘話・逸話をコンパクトに読みやすくまとめました。いつでも、どこでも、手軽に読める一冊です。2023年という新たな一年に、そして今後を見据えて、本著『大人の常識 日本のしきたり・年中行事』を手に取り、世界に目を向けながらも、日本を改めて見つめ直す時間をもってみてはいかがでしょうか?


大人の常識 日本のしきたり・年中行事(KADOKAWA)
KADOKAWA
カドカワストア
紀伊國屋書店

■定価:560円(税別)


<大人の常識 日本のしきたり・年中行事(KADOKAWA)の内容一例>


一月
■一月一日・・・かつては全国民の誕生日だった
■正月・・・一年の幸福をもたらす年神様を迎える行事
■元日と元旦・・・元日は一月一日、元旦は一月一日の朝のこと
■松の内・・・関東で一月七日までなのは、「明暦の大火」が原因
■年賀状・・・もともとはがきではなく封書だった
■年賀状・・・明治二〇年ごろから習慣として定着
■年賀状・・・元日に書いて投函するものだった
■年賀状・・・真冬なのに「新春」「迎春」などと書くわけは?
■初日の出・・・年神様をお迎えする新しい風習
■初詣・・・もともと大みそかの夜に行うものだった
■初詣・・・人気寺社に行くのではなく、「恵方詣」が正式
■七福神めぐり・・・由来は中国の「竹林の七賢人」
■おもち・・・正月におもちを食べるようになったわけは?
■鏡もち・・・なぜ丸く、大小二段重ねにして飾る?
■鏡開き・・・鏡もちを包丁で切るのはタブー
■鏡開き・・・徳川家光の月命日を避けるため、一月一一日に行うようになった
■お雑煮・・・関東は角もち・しょうゆ味、関西は丸もち・みそ味
■おせち料理・・・かつては年六回も食べられていた?
■おせち料理・・・重箱に詰めるのは「福が重なる」から
■おせち料理・・・それぞれの料理に込められた願いとは?
■お年玉・・昔はお金ではなく、おもちを渡していた
■お雑煮とおせち料理・・・大みそかの夜から食べるものだった
■お屠蘇(おとそ)・・・年少者から飲むのは毒見のため?
■初夢・・・大みそか、元日、一月二日、どの夜に見た夢のこと?
■初夢・・・いい夢を見るため、宝船の絵を枕の下に敷いて寝た
■初夢・・・「一富士 二鷹 三茄子」が縁起がよいとされる理由は?
■書き初め・・・恵方に向かって書いたものを、どんど焼きで燃やすと字が上達
■かるた・・・男女の出会いのツールでもあった
■かるた・・・女性の教養を示す嫁入り道具だった
■羽根つき・・・災厄や病気を祓い、福を招く遊び
■羽根つき・・・「悪い虫がつかない」ように、女の子に羽子板を贈る
■タコ揚げ・・・戦にも使われたタコで、男の子の健康と成長を願うのが由来
■タコ揚げ・・・「イカのぼり」から「タコ揚げ」になった意外な理由(※もともとは「イカのぼり」と呼ばれていた。)
■こま回し・・・吉凶を占い悪霊を払う、宮中行事が由来の遊び
■双六・・・禁止令が出されながらも、嫁入り道具になるほどの人気だった
■七草がゆ・・・もともとは七草のお吸い物だった
■七草がゆ・・・「春の七草」にこだわらず、自由に具を選ぶこともできる
■七草がゆ・・・台所道具から作り方まで「七」づくし
■七草がゆ・・・新年で初めてツメを切る「七草爪」
■成人式・・・二〇歳が成人と定められたのは、課税と徴兵の基準年齢だったから
■どんど焼き・・・健康と字の上達をかなえるが、江戸では火事の原因になるため禁止

二月
■節分・・・豆まきは、大みそかの行事だった
■節分・・・炒った豆で鬼退治するのは、「魔目を射る」から
■節分・・・寺社で豆をまく際、「鬼は外」とは言わない
■節分・・・相撲取りが豆をまくのは、四股で鬼を踏みつけるから
■節分・・・豆は年齢より一粒多く食べる
■節分・・・イワシとヒイラギも鬼退治に有効
■節分・・・恵方巻を丸ごと一本食べるのは、縁を切らないため
■節分・・・恵方巻きを食べるときは、福や運が逃げないよう無言で
■針供養・・・医者や音楽業界人も行った風習
■バレンタインデー・・・チョコレートを贈るのは日本だけ
■梅見月・・・花見といえば、桜より梅だった

三月
■ひな祭り・・・当初は、男の子の行事でもあった
■ひな祭り・・・ひな人形は、もともと男びなと女びなの二体だけ
■ひな祭り・・・関東と関西で異なる、男びなと女びなの並べ方
■ひな祭り・・・ハマグリを供えて良縁祈願するわけは?
■ひな祭り・・・菱もちは、なぜ赤・白・緑の三色で菱形?
■ひな祭り・・・ひなあられ、関東と関西の違いとは?
■ひな祭り・・・白酒と甘酒はまったくの別物
■ひな祭り・・・婚期が遅れないよう、ひな人形は海や川に流す代わりに早く片付ける
■潮干狩り・・・意外にもルーツはひな祭りと同じ
■ホワイトデー・・・チョコレートのお返しは、はじめマシュマロだった
■お彼岸・・・もともとは墓参りの日ではなく、修行のための日だった
■お彼岸・・・春は牡丹が咲くから「ぼたもち」秋は萩が咲くから「おはぎ」

四月
■お花見・・・桜の木に宿る田の神様に、豊作祈願をする行事が由来
■お花見・・・徳川吉宗の政策で、一般庶民に浸透
■お花見・・・東京の開花宣言は靖国神社から
■お花見・・・満開より散るころが人気だった
■お花見・・・今はソメイヨシノ、昔は山桜
■お花見・・・娘たちにとって、玉の輿の大チャンスだった
■お花見・・・花見だんごの赤・白・緑は何を意味する?
■お花見・・・桜もち、関東と関西では大きく異なる?
■エイプリルフール・・・もともと、四月一日は「不義理の日」
■エイプリルフール・・・ウソをついてもいいのは、四月一日の午前中まで
■新学年・・・四月スタートになったのは、国の都合
■新学年・・・四月二日生まれから新学年になるのは、法律の解釈の違いが原因
■花祭り・・・仏教徒が祝うべきお釈迦様の誕生日
■十三参り・・・帰路に振り返ると、いただいた知恵が戻ってしまう
■山菜狩り・・・男女の縁結びの行事でもあった。

五月
■五月晴れ・・・もともとは、梅雨時の晴れ間のこと
■端午の節句・・・じつは女子の節句として始まった
■端午の節句・・・関東は新しい「柏もち」、関西は伝統の「ちまき」が主流
■端午の節句・・・かつて、鯉のぼりはなく、菖蒲づくしだった
■端午の節句・・・鯉のぼりの起源は、鯉の絵を描いた紙
■端午の節句・・・鯉のぼりは、数よりも高さを競った
■端午の節句・・・鯉のぼりと一緒に飾る「吹き流し」と「矢車」は、魔除けのため
■八十八夜・・・長寿を招く新茶は贈り物としても人気
■母の日・・・カーネーションを贈るのはなぜ?
■母の日・・・日本の「母の日」は皇后誕生日だった

六月
■衣替え・・・衣服や小物を変えて、心身の穢れを祓う行事だった
■衣替え・・・江戸時代は、年四回行った
■衣替え・・・明治以降は夏と冬の二回が定着
■和菓子の日・・・神様にお菓子を供える平安時代の行事「嘉祥喰」と同じ六月一六日
■父の日・・・母の日と同じく、アメリカ南北戦争が由来
■父の日・・・父が健在なら赤いバラを贈り、他界していれば白いバラを墓に供える
■夏越の祓(なごしのはらえ)・・・「茅の輪くぐり」で半年間の穢れを祓う

七月
■七夕・・・裁縫や書道がうまくなるよう願う行事が起源
■七夕・・・笹飾りは日本独自の風習。笹に飾り、高く掲げるのはなぜ?
■七夕・・・「七夕送り」も日本ならではの風習
■七夕・・・機織(はたおり)の糸にそっくりな、そうめんを食す習慣があった?
■七夕・・・日本で一時廃れた七夕が「仙台七夕まつり」で復活
■お中元・・・天神様を誕生日にまつる道教の習慣が仏教と融合して誕生
■お中元・・・贈る時期は東日本と西日本で異なる
■花火大会・・・戦のための火薬を、故人の鎮魂のために利用
■花火大会・・・「たまやー」「かぎやー」の語源は、江戸の人気花火師の屋号から
■風鈴・・・涼を得るだけでなく魔除けの効果も
■ゆかた・・・本来、屋外で着るものではなかった
■怪談・・・お盆に浮かばれない霊を慰めるのが目的
■打ち水・・・暑さ対策ではなく、商店が開店前に場を清める心遣いだった
■暑中見舞い・・・喪中でも出せる便利なあいさつ
■土用の丑の日・・・うなぎを食す習慣は、平賀源内の発案
■土用の丑の日・・・うなぎの蒲焼き。関東は背開き、関西は腹開き
■土用の丑の日・・・うなぎ以外の「う」のつく食べ物も食べた
■土用の丑の日・・・「滝浴び」で夏バテ防止と無病息災を祈願

八月
■立秋・・・真夏なのに立秋と呼ぶわけは?
■お盆・・・旧暦では七月中旬、新暦では八月中旬に行われるわけは?
■お盆・・・玄関に灯す迎え火・送り火は、先祖が家に帰り、あの世へ戻る目印
■お盆・・・野菜で作る精霊馬は、故人の霊が現世と来世を往来する乗り物
■お盆・・・精霊流しは、送り火のひとつ
■盆踊り・・・地獄から逃れて喜び踊る死者を表す
■盆踊り・・・明治時代初期、政府に禁止されたこともあった
■残暑見舞い・・・立秋から八月いっぱいに出すのがマナー

九月
■お月見・・・かつては「十五夜」と「十三夜」の両方観るのがしきたりだった
■お月見・・・水に映る月が風流、見上げるのは無粋
■お月見・・・月見だんご、関東は丸型、関西はイモ型
■お月見・・・月見だんごはいくつお供えするといい?
■お月見・・・月見だんごは盗まれるほど縁起がいい?
■お月見・・・十五夜の月を「芋名月」、十三夜の月を「栗名月」「豆名月」と呼ぶわけは?
■お月見・・・ススキを供えるのはなぜ?
■放生会・・・逃して功徳を積むため、わざわざ生き物を買う人もいた
■重陽(ちょうよう)の節句・・・菊を重用するため、現在の新暦では根を張りにくい
■重陽の節句・・・秋にもひな人形を飾る「後(のち)のひな」で、一年中の厄除け祈願
■虫の音・・・日本人には風流、西洋人には雑音
■敬老の日・・・兵庫県の「としよりの日」が由来

一〇月
■秋の七草・・・食べずに観賞するのは、万葉の歌人・山上憶良に由来
■体育の日・・・一〇月一〇日が「体育の日」になったわけは?
■亥の子祭り・・・子だくさんの猪にあやかり、旧暦一〇月の亥の日・亥の刻にもちを食す
■こたつ(開き)・・・江戸時代、こたつを出す日は一〇月の亥の日と決まっていた
■恵比寿講・・・留守を守る恵比寿様を慰め、商売繁盛を祈願
■恵比寿講・・・東京名物「べったら市」の由来
■誓文払い・・・特売行事の由来は、商人・遊女の客への罪滅ぼし
■ハロウィン・・・仮装するのは、本来、魔除けのため
■ハロウィン・・・本場・欧米では、仮装した子どもが家々を訪ね、お菓子をもらう
■ハロウィン・・・飾るのはカボチャでなく、もとはカブ(※当初、魔除けのために飾ったのはカボチャでなくカブだった)

一一月
■文化の日・・・もとは明治天皇の誕生日、日本国憲法公布の日を記念した祝日
■紅葉狩り・・・「観る」のに「狩る」と称するのはなぜ?
■紅葉狩り・・・江戸では男の遊びの口実だった
■酉の市・・・熊手で名高い「酉の市」のルーツは、日本武尊(やまとたけるのみこと)の東征
■酉の市・・・縁起物の熊手は、値切った分をご祝儀として置いて帰るのがしきたり
■酉の市・・・熊手と並ぶ縁起物は黄金もちと八頭(やつがしら)
■七五三・・・三歳・五歳・七歳それぞれが独立した行事だった
■七五三・・・一一月一五日になったのは、五代将軍・徳川綱吉に由来
■七五三・・・千歳飴は七五三の縁起物ではなかった
■勤労感謝の日・・・皇室行事「新嘗祭(にいなめさい)」に由来

一二月
■師走・・・一二月を「師走(しわす)」と呼ぶわけは?
■お歳暮・・・新年用の祖先や年神様へのお供え物を、本家・家元に届ける行事が由来
■お歳暮・・・贈る時期は、昔と今では異なる
■お歳暮・・・仕事などの利害関係者に盛んに贈り始めたのは明治時代
■お歳暮・・・「新巻き鮭」を贈るわけは?
■冬至・・・柚子湯には金運を願う意味もあった
■冬至・・・「ん」のつくものを食べると運を招く?
■冬至・・・かぼちゃを食べるのはなぜ?
■雪見・・・雪見は日本ならではの娯楽
■忘年会・・・明治時代に始まった日本独自の習慣
■クリスマス・・・本場・欧米では家族と過ごす日
■クリスマス・・・クリスマス・イブが重要なのはなぜ?
■クリスマス・・・赤いイチゴと白い生クリームのクリスマスケーキは日本発祥の風習
■クリスマス・・・かつてのプレゼントの定番は「歯磨き粉」だった?
■大そうじ・・・江戸時代は一二月一三日に行うものと決まっていた
■正月の準備・・・門松・しめ飾り・鏡もちを飾るのも、もちつきも一二月二九・三一日はタブー
■大みそか・・・一二月三一日をなぜ「大みそか」と称する?
■大みそか・・・江戸時代は大みそかを過ぎると、前年の借金は帳消しとなった
■年越しそば・・・かつては年越しそばでなく「年越し膳」
■年越しそば・・・健康と長寿を願って食す、江戸時代中期ごろからの習慣
■年越しそば・・・年を越してから食べると縁起が悪い
■年越しそば・・・「年越しうどん」を食べる地域がある?
■除夜の鐘・・・一〇八回つくのはなぜ?
■除夜の鐘・・・最後の一回は新年につく
■年ごもり・・・大みそかの夜は、元日の朝まで徹夜が常識だった
■新年の始まり・・・かつては大みそかの夜が、新年の始まり




大人の常識 日本のしきたり・年中行事(KADOKAWA)
KADOKAWA
カドカワストア
紀伊國屋書店

<大人の常識 日本のしきたり・年中行事(KADOKAWA)の本文一例>
参考のために、本文の一部を抜粋して、ご紹介します。


■母の日・・・日本の「母の日」は皇后誕生日だった。

日本で「母の日」の風習が広まったきっかけは、アメリカの「母の日」の提唱者アンナ・ジャービスがキリスト教系の学校・青山学院に働きかけ、大正二年(一九一三)ごろ、キリスト教会などで母の日礼拝が始まったことにある。

(中略)

母の日といえば五月の第二日曜だが、日本では大正時代に貞明皇后の誕生日である六月二五日が「地久節」といって国民の祝日になったことが礎となり、皇后陛下の誕生日である地久節を母の日と定めることが大正一五年から提唱されていた。

そして時代が昭和に代わり、昭和六年(一九三一)、大日本連合婦人会が結成されたのを機に、香淳皇后の誕生日である三月六日が「母の日」と制定されたのである。

それ以降の数年間、日本では皇后陛下の誕生日・三月六日と五月の第二日曜という二つの母の日が祝われることになった。昭和一〇年ごろからは、五月の母の日を「万国母の日」、「国際母の日」と名づけ、三月六日の母の日と区別して呼ぶようになった。

ところが

(中略)

が評判を呼び、母の日は五月の第二日曜という認識が一般的になっていった。

第二次世界大戦後は、地久節が廃止され、昭和二〇年代前半(一九四〇年代後半)あたりから「母の日」はアメリカにならって五月の第二日曜に限定されるようになり、現在に至るまで定着している。

なお、地久節とは、戦前に天皇誕生日を天長節といったのに対してつけられた名称である。


■年賀状・・・真冬なのに「新春」「迎春」などと書くわけは?

年賀状に大きく書かれた「新春」「迎春」「初春」「賀春」といった言葉を目にして、寒さが厳しさを増す真冬を迎えているのに、どうして「春」が到来したかのように書くのだろうと疑問を抱いた経験はないだろうか?

日本では、明治時代初期まで採用していた太陰太陽暦(旧暦)では、一年を約二週間ごとに分けた二十四節気のひとつ「立春」から一年が始まっていた。

(中略)

立春が正月であったことから、旧暦では、現在の季節感とは異なるが、一~三月は「春」、四~六月は「夏」、七~九月は「秋」、一〇~一二月は「冬」とも定義されていた。

このように、かつては一年の始まりである正月は、春の始まりでもあった。そのため、年賀状にも「新春」などの春の訪れを喜ぶ言葉が記されたのである。そして新暦となったいまでも、その習慣が受け継がれているというわけだ。


■お年玉・・・昔はお金ではなく、おもちを渡していた。

いまの時代、「お年玉」といえば、正月に大人が子どもへ贈るお金のことだと誰もが認識している。しかし、昔はお年玉として渡すものは「おもち」だった。それには鏡もちが深く関係している。

正月には、新たな一年の幸福や恵みをもたらす年神様に鏡もちをお供えする風習がある。各家にやって来た年神様が居場所とする鏡もちには、年神様の魂が宿る。こうした鏡もちを家長が家族に分け与えることを、年神様の魂をいただくという意味で「御年魂(おとしだま)」と呼び、やがて「お年玉」と称するようになった。年神様の賜り物(たまわりもの)であるとして「お年玉」になったという説もある。

お年玉がおもちからお金に変わったのは、

(中略)

が由来とされる。それから時代を経て、昭和三〇年代後半の高度経済成長時代ごろから、お年玉としてお金を子どもに与える習慣が都市部を中心に広がり、まもなく日本中に普及することになった。いまや、お年玉の本来の意味は忘れ去られてしまったようである。


■お雑煮・・・関東は角もち・しょうゆ味、関西は丸もち・みそ味(のわけは?)

正月料理のお雑煮は、地方によってさまざまな特色がある。大きく分けると、関東は「角もち」でしょうゆ味、関西は「丸もち」でみそ味が主流といえよう。

江戸時代にお雑煮を正月に食べる習慣が広まったが、当時、江戸は人口が多く、手で一つひとつ丸めてつくる丸もちより、伸ばして切り分けるだけで手早く多くつくれる角もちが好まれた。鏡もちを模した丸もちは円満の意味があって縁起がいいが、

(中略)

帯びるため、焼いて入れるようになったという。味付けはしょうゆ仕立てのすまし汁。

(中略)

が連想されて縁起がよくないという理由で、みそは使わなかった。江戸のこうしたお雑煮文化は、いまも東日本に多く見られる。

一方、関西では縁起物の丸もちを焼かずにそのまま入れ、味付けは白みそ仕立てである。ただし、関西以外の西日本ではすまし汁仕立てが多い。江戸時代に参勤交代で全国各地から江戸にやって来た大名が、江戸のお雑煮を食べ、地元に帰った後に伝えたからという説がある。


■節分・・・寺社で豆をまく際、「鬼は外」とは言わない。

節分に鬼退治で豆をまくとき、「鬼は外、福は内」という掛け声を発するのが習わしだが、全国共通の口上というわけではない。全国各地の寺社の多くでは「鬼は外」という言葉を唱えることはタブーとされている。

(中略)

が理由だが、災厄をもたらす鬼も受け入れて、仏の力で改心させ、

(中略)

を運んでくれるよう帰ってもらうという哲学がその裏にあるからである。

そうした背景があり、多くの寺社では節分の豆まきの際に、「福は内」だけを口上としたり、

(中略)

などと唱えたりする。


■節分・・・恵方巻きを丸ごと一本食べるのは、縁を切らないため

節分の夜に、その年の恵方を向いて、願いごとを頭に思い浮かべながら無言で恵方巻き(風呂巻き寿司)を丸かじりすると、願いごとが叶う、あるいは一年を無病息災で過ごせるとされる。

恵方巻きの発祥は大阪で、誕生した時期は江戸時代末期から大正時代初期までの間でさまざまな説が存在する。

節分に恵方巻きを食べる風習が広まったのは、

(中略)

恵方巻きは、七福神にあやかって七種類の具を入れた太巻き寿司が一般的だが、それは福を巻き込むという理由から。丸ごと一本を丸かじりするのは

(中略)

を入れて縁を切らないという意味合いがある。


■盆踊り・・・明治時代初期、政府に禁止されたこともあった

夏の風物詩である盆踊りは、本来、お盆の時期にこの世に戻ってきた先祖や故人の霊を踊りによって供養し、あの世へ送り返すのが主眼である。

ところが、徐々にお祭りや娯楽の要素が加わるようになり、旧暦の七月一五日だけに行われていた盆踊りは、江戸時代には一〇月まで延長して連日、夜通し踊り明かすほどの熱狂的な人気を集めるようになった。

そして、死者の供養の場は、踊りに参加した男女の出会いの場へと変貌を遂げ、ざこ寝をした男女が乱交を行う風習まで生まれた。

明治時代初期、鎖国に終止符を打って世界との交流が広がるようになると、盆踊りは「風紀を乱し、世界に恥をさらす風習」として、明治政府によって全国各地で禁止された。その結果、

(以下省略)


■花火大会(花火)・・・戦のための火薬を、故人の鎮魂のために利用

火薬はもともと、戦国時代の一六世紀中頃に火縄銃が日本に伝来したとき、弾の発射薬として利用されていた。しかし、乱世が幕を閉じ、戦(いくさ)のない江戸時代になると、火薬は人々を楽しませる花火として平和的に活用されるようになった。

日本の花火には、この世を去った人々の魂を供養する意味合いがある。たとえば、日本を代表する花火大会「隅田川花火」は、享保一七年(一七三二)に江戸で凶作による飢饉とコレラが大流行して多数の死者が出たため、翌年の享保一八年(一七三三)に江戸幕府第八代将軍・徳川吉宗が亡くなった方々の霊を慰め、悪病を退散させる目的で、旧暦五月二八日から八月二八日の両国(隅田川)の川開きに花火の打ち上げを許可したのが由来である。当時、江戸の町中では、花火は火事の原因になるとして禁止されていた。

こうして先立った人々、先祖への鎮魂の想いが込められているため、

(以下省略)


■お月見・・・月見だんごは盗まれるほど縁起がいい?

お月見の際に軒先や玄関などにお供えした月見だんごは、盗まれるほど縁起がよいとされていた。月見だんごがなくなっても、お月様が持って行ってくださったと考えられ、逆におめでたいと歓迎されたのである。

近所の子どもたちがお供えされた月見だんごを竹や木の長い棒で突いて盗み食いし、数多く盗んだほうが縁起がいいとする「お月見どろぼう」という風習まであった。

さらには、

(中略)

とする慣習まで存在した。


■体育の日・・・一〇月一〇日が「体育の日」になったわけは?

「体育の日」は、昭和三九年(一九六四)の東京五輪の開会式が行われた一〇月一〇を記念して、二年後の昭和四一年に制定された国民の祝日。「国民がスポーツに親しみ、健康な心身をつちかう」ことを趣旨としている。ハッピーマンデー制度の導入により、現在は一〇月の第二月曜日が体育の日となっている。

一九六四年の東京五輪は第一八回夏季オリンピック大会だが、日本を襲う七、八月の猛暑の最中での開催は、選手の体調が憂慮されることから回避された。そこで夏の厳しい暑さが去り、秋雨前線の活動が弱まって晴天に恵まれる確率が高い日として、一〇月一〇日が開会式に選ばれたという。当日は、朝まで前夜の雨が残ったが、開会式が始まるころには、雲が晴れて青空が広がった。

夏季オリンピックでは、本来は秋・冬のスポーツであるマラソンやサッカーなども行われる。選手たちが本来の能力を十分に発揮できるように、可能な限り日程を調整し、環境を整えることは当然のことである。

現在は、夏季オリンピックの日程を七、八月から他の月に移行することは難しいといわれる。

(中略)

が理由のようだ。

一九六四年の東京五輪は、オリンピック史上初のテレビ衛星放送が実現した大会。テレビがまだ世界的に普及しておらず、アメリカのテレビ局による放映権料のしがらみとも無縁の時代であったため、一〇月の開催が実現した。

二〇二〇年の東京五輪は、七月二四日の開会式を皮切りに八月九日の閉会式まで、真夏の猛暑のなかで開催される。


■ハロウィン・・・飾るのはカボチャでなく、もともとはカブだった

ハロウィンの飾りとして店頭や街中でよく見られるのが、オレンジ色のカボチャを顔に似せて彫り、中身をくり抜いて、内側からロウソクで火を灯す「ジャック・オー・ランタン」。悪霊や魔女を寄せつけないために飾りつけられる。

その由来は

(中略)

じつは、カボチャがランタンとして使われるようになったのは、一九世紀にハロウィンの風習が移民によってヨーロッパからアメリカに持ち込まれて以降のこと。本来、ヨーロッパではカブを利用してランタンをつくっていた。現在でも英国やアイルランドの一部の地域ではカブを使っている。

しかし、カボチャのほうがカブよりも加工しやすく見栄えもよいため、ハロウィン用のカボチャのランタンはヨーロッパでも親しまれるようになった。さらに、世界各地にも普及して、ハロウィンを象徴する飾り物となった。



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4 コメント

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購入! (ままちゃん)
2017-10-18 00:55:31
先月アマゾンで”今だからこそ。。。”購入致しました。アメリカに住んでいますが、日本の行事など、忘れたくありませんし、系図家なので、とても大切なことだと思っています。横浜についてもお書きになっているのですね。私は東京生まれ、横浜育ちですから、この次アマゾンで注文致します。お元気で。
返信する
ありがとうございました。 (鈴木祐蔵)
2017-10-18 23:53:06
『大人の常識 日本のしきたり・年中行事』をご購入いただいたとのことで、ありがとうございます。

『横浜謎解き散歩』は、現在、ウェブサイトでは品切れとなっている場合もありますが、有隣堂など在庫がある書店もあるので、そちらもチェックしてみてください。
返信する
Unknown (陶工房手嶋)
2018-04-29 19:06:50
身近なのに知らないこと
ばかりでした。
勉強になります。
返信する
ありがとうございます。 (鈴木祐蔵)
2018-04-29 19:24:46
ご購入いただいたのでしょうか?
ありがとうございます。
2020年には東京五輪も開催されますし、
日本人は日本のことをもっとよく知って
おいたほうがいいのではないかと考えて、
こうした本を企画・出版した次第です。
返信する

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