ままちゃんのアメリカ

家族の歴史、家族、アメリカ社会についての日々雑記と写真

ハートのある人

2017-08-24 00:00:00 | 家族

末娘ものが続いたが、これはその夫のおまけ話。

娘の少し年上の夫は、大学は卒業したが、これから法科大学に進むので、あと三年は、働きながら学生もする。そんな彼の交通手段に娘は職場の人から、このバイクを安く買った。普通なら5,6千ドルはする、というのを500ドルで。500ドルでも高いと思うが、私はなにぶんその世界を知らないから、余計なことは言うまいが、自転車通勤・通学はなにか危険そうで、私自身が運動音痴だからか、恐れ多くて自分はできないし、人にも勧めたくない。

ご本人は大喜び。颯爽と街に乗り入れ、学校に仕事に、と走り回っていた。手入れも欠かさず、大事にしていた。ある朝、街なかを走っていたら、傍を通りがかった女性ドライバーの車に接触され、はねられた。彼は投げ出され、大好きなお気に入りの自転車は見事に捻じ曲がった。はねられた彼は、立ち上がり、自分をはねた女性のほうへ歩み寄り、尋ねた。「貴女にお怪我はありませんか?大丈夫ですか?」そしてその女性をハグして、「お怪我がなくて、本当によかったです。」と言ったのである。

その後救急車が来てはねられた彼を病院へ連れていった。本人は、大丈夫,と言ったが、すぐ娘の顔が浮かび、それでは念のために、と病院へ向かったのだった。下の写真は娘が駆けつけた時の彼である。かなり痛々しいが、頚椎、背骨、頭、などなどいろいろ検査された。こんな時でも、携帯電話がまるで手から生えているようなのは、さすが現代っ子である。

検査結果ではどこも異常はなく、打ち身程度で、後日筋肉通があるかもしれない、ということだった。そしてようやく夕方退院した。最初連絡を受けた娘は、どれだけ心配したかわかるから、夕方,大丈夫と連絡が来た時は、受話器のこちらも本当に安堵した。

事故直後の話は、相手の女性ドライバーが話してくれたので分かったことだった。この人は。。。咄嗟に相手に怪我ないかが気がかりだった、なんて。そして相手に怪我はないと分かった時の安堵から、思わずハグしたそうである。夫も私も他の子供達も、彼ならそうするだろう、と妙に納得し、うなづいた。無事でよかった。

今はすっかり元通りの元気な人になって、またマラソンも完走できるだろう。ちなみにその後、娘達は、二台目の車を買った。二輪ではない、四輪を。

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Eclipse Day!

2017-08-23 00:00:00 | アメリカ事情

A map of the United States showing the path of totality for the August 21, 2017 total solar eclipse.

Credits: NASA/Goddard/SVS/Ernie Wright

 8月21日月曜日は午前中に皆既日食が始まり、終わる。オレゴンからサウスキャロライナまで。私の居るところでは、72%の日食だが、さほど暗くはならずに、少々精彩を欠いた日照だった。キャンパスのリスたちは何時にも増してせわしげに芝を駆け回っていた。1987年にもあった部分日食は、場所はカリフォルニアの南の果てだったが、薄暗くなった。暗くなると温度が下がり、小鳥たちが突然けたたましく庭の大きな木々に群がったのを覚えている。庭に出てスプリンクラーに濡れたコンクリートの上にできた水溜りに映る欠けた太陽を見た。あの薄暗さは一種独特で、夜と少し違う。動物は微妙に暗さを感じ取る。蚊も刺し始めるから、しばらくして家に引っ込んだ。

今年はオレゴンが全皆既日食のある場所なので、わざわざオレゴンに赴いた人々もたくさんいる。長女の義弟家族もその人たちにはいる。もともと父親がオレゴンに住んでいるので、訪問ついでであるが、日食そのもののために休暇を取って出かける人も少なくない。滅多に起こらない天体のショウは、一度見ておきたい、と思う人がたくさんいる。私のボスは海洋学畑出身の科学者の学部長なので、いくつかの日食用ゴーグルを持っていて、それで皆外に出て観測することが出来た。

下は、午前10時くらいの太陽。

1997年にかなり長い間、肉眼で見え続けたへール・ボップ彗星を思い出す。1995年に二人の観察者によって別々に発見されたばかりなのに、二年後には誰もがはっきりと夜空に浮かぶ彗星を目にできた。思えば、日本で天の川を見たことがなく、見上げる星空に雲状の光の集りを最初にはっきりと観たのは、ニュージャージー州南部に住んでいた姉の庭でだった。そういえば、そこで蛍も初めて見たのだ。ブラウスのポケットに入れると、ぼーっと光っていたのを思い出す。

弟は、少年時代に父から天体望遠鏡を貰い、だんだん本格的な物にしていき、凍れる冬の月夜に、月面や土星の輪をみせてくれた。それでも、天の川を肉眼で見たことはなかった。弟は、七年前ガンで急逝した。初めて天の川と蛍を見た庭のある家に住んでいた姉も、43の若さでガンで逝った。

亡くなって星になるわけではなく、遠い空の彼方に行ってしまうわけでもない。亡くなった人は私達の眼には映らないだけで、この地にいて、ただ次元が異なり、どちらからも、ふとした偶然がない限り見えないのだと思う。肉体を失っているから、今まだ肉体のある生きている者に託する気持ちもまだ持っているかもしれない。天体ショウの朝、そんなことをふと思ったりした月曜日である。


 

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結婚・末娘の場合 その2

2017-08-22 00:00:00 | 家族の結婚

 

荘厳な結婚式を終えて晴れ晴れとした二人

新郎・新婦となった二人は幸せいっぱいで、新しいスタート。

これが12月末のカリフォルニア。朝晩は冷えるが、昼間は暖かい。

 教会のフォイアー飾り付け。お客様からメッセージをインデックスカードに書いていただき、こうして吊るした。

 昨夜の準備。Gのアイデアの一つ。こうして豆電球チューブをテーブルの下に入れて、

この上にはケーキを置いた。

さあ、披露宴の準備は整った。

 

各テーブルの上にはこうしてメイソンジャーの飾りを置いた。

出来上がり。

このメインテーブルにレフレッシュメント・軽食・レモン水を置いた。

 次々とやってくるお客様。

 

 こうした披露宴の準備は、全て教会の知人・友人が大勢手伝ってくださった。 

披露宴後、友人たちの作るアーチを抜けて旅立つ二人。 

こうして二人は新婚旅行にコーストへ。

と思いきや、ホテルで一泊した二人は我が家に朝食に来た。それからコーストへ向かった。。。彼女らしいと言えば、彼女らしい。。。

 


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結婚・末娘の場合

2017-08-21 00:00:00 | 家族の結婚


と言うわけで、(ここ を参照)娘は結婚の承諾をしたのが5月で、挙式は12月末と日も決まった。まず考えねばならないのは、ウエディングガウンである。6月スウエーデンの次男の結婚式後、フランスのレース専門店へ寄ることにした。然しながら、パリの店は、行ってみると、時節柄ヴァカンス中で、開店するのは私達が去ってからのことだった。帰国後良いレースをインターネットで探すことにして帰路に着いた。

披露宴の場所は教会のカルチャーホールを使用するので、娘は早々に予約を入れて確保した。私は娘の採寸後、彼女の希望を聞きながらデザイン画を描き、インターネットでフランスのシャンテリーレースを売る店を探して、気に入ったレースを必要な量より多めに注文した。それらは直ちに日本のFに送られた。Fは日本に住む姉の義理の妹で、型紙起こしから複雑な縫製もこなす非常に腕の立つプロフェッショナルである。Fはレースの裏になる日本製の絹を用意し、レースに付けるパールビーズも探して、素晴らしい世界でただ一つのガウンを仕上げてくれた。

ひと月少しで丁寧に包まれ、注意深く梱包されたガウンを受け取り、試着した娘はそのフィット感や望み通りのデザインで作られたことに感嘆の声をあげた。娘と共に心を込めた礼状をしたため、多分に勉強されている代金と共に郵送した。次は披露宴に関しての準備である。アメリカでは普通結婚披露宴は新婦側が費用を負担し、準備する。教会は、聖書にあるように、質素な披露宴を勧めるが、それはあちらの家族も私たちも華美や派手ではないが、二人の門出を祝う喜びを表したものであることを願っていた。

幸運なことに、娘の婚約者の母親ーGと呼ぶーは、披露宴の飾り付けなどに非凡な才能を持ち、彼女のプロジェクトを助けるのは、人の良い夫と成人した六人の子供達である。今回息子の披露宴だから、是非やりたいと申し出てくれたのである。私が提案したのは、手持ちの古い青いメイソンジャーがたくさんあったので、それに火のいらない蝋燭と二人の写真を入れて各テーブルに置く、ということだけだった。そこからアイデアを得て、Gはその才能とセンスの良さを最大限発揮してくれた。

結婚式の二日前の夜、Gと私は我が家のダイニングルームで最後の打ち合わせをしていると、その日朝からロサンジェルスへ買い物に出ていた娘夫婦が戻ってきた。私達の三人息子はとてもよく似ていて、親でも見間違えることがあるが、私はてっきり娘夫婦と今朝出立した長男も入ってきたと思ったのだ。しかし家に入ってきたのは、小柄な金髪の女性で、そこで初めて子供達がスウエーデンからやって来た次男夫婦を迎えに行ったのだとわかった。思わず席を立ちあがって次男夫婦と抱き合って再会を喜んだ。こんなサプライズを長女夫婦と長男が計画していたとは!私達夫婦は最初から末娘の結婚式に、スウエーデンから出席できないものと諦めていたのである。クリスマスにスカイプをしたばかりだったのに。人は嬉しいと、たくさん涙が溢れるものだ。

挙式の日までの二日間は両家だけでなく、助けを申し出た同じ教会に属する人々やその家族で、皆がコマネズミのように働いたものだった。Gの才能には実に圧倒された。こうして日が暮れていき、いよいよ明日は挙式と披露宴である。

明日に続く。

メイソンジャーに火のいらない蝋燭を入れ、ワイヤーで吊るし、装飾用の豆電球の入っているビニールチューブも天井から吊るした。

 

 

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デート映画

2017-08-20 00:00:00 | 国際恋愛・結婚

ベンチを見つけた末娘

後に結婚することになった人とのデートで、最初に観た映画は、印象深いものだ。夫と私の最初の映画は、Close Encounters of The Third Kind(邦題は、未知との遭遇)である。スタートレックにもスターワーズにも、全く興味がなかったのに、この映画は大好きだ。その次に観た映画も大好きな作品。二ール・サイモンのThe Goodbye Girlである。これはChic Flics(女性観客をターゲットにしたロマンチックコメディやドラマ)だが、主演のリチャード・ドライファスがアカデミー主演賞を受賞したくらいよく出来ている映画だと思う。と言うことは、私は彼の演技が好きで、この二作を選んで二人で観に行ったのかもしれない。

とにかくあの頃は映画は、今ほど高くなく学生の身分でも、簡単に観にいけた。勤める大学の敷地の果てに、新しい映画館ができたが、そこは、ゆったりして、綺麗なので、最近よく利用するが、火曜日は一日中ひとり5ドル50セントで入場できる。火曜日が暇であれば、の人に限るが。

子供達にも、そんな思い出に残る映画デートがある。長女は、Shallow Hal (愛しのローズマリー)だと言った。これには笑いこけた。長女夫婦らしい。三男はWalk The Line (ウォーク・ザ・ライン)で、まとも。息子たちはこの映画から、皆ジョニー・キャッシュのファンになったが、彼はこの映画の二年前に亡くなっている。長男はディズ二ーのUp! (カールじいさんの空飛ぶ家)で、彼女も気に入り、クリスマスのプレゼントに彼女は長男にUp!のお手製のスクラップブックをあげた。あのソーダボトルのキャップのピンも入手して、結婚披露宴の時、背広につけていたくらい、気に入っていた。この映画は、誰でも苦痛なく観ることができると思う。

当時ハワイの大学生だった次男と妻は、なんとデートで映画には行っていなかった。そりゃあ、外へ出れば、魅惑的なビーチだったから、無理はない。結婚して初めて二人で行った映画は、Skyfall(007スカイフォール)だと言う。そして末娘は、Where The Wild Things Are (かいじゅうたちのいるところ)。ご存知のように、モーリス・センダックの多くの作品はアメリカの子供達に好かれ、愛されている。私はこのWhere The Wild Things Areの怪獣のコスチュームを依頼されて制作したことがあり、フェイクファーを扱うのに苦労したのを思い出す。

映画の筋はともかく(主人公のトム・ハンセンの。。。いや、ここでは言わないほうがいいだろう)500 Days of Summer (500日のサマー)に使われたベンチを偶然見つけた末娘夫婦は、なんとなくそのベンチに思いいれがあるらしい。その映画が二人の最初のデート映画だと思っていたが、封切られた時、娘はイスラエルに行っていたので、見逃していると言う。この映画は、ダイアローグを楽しむタイプの映画である。

私は見終わって憂鬱になる映画も、たまにはいいが、Simpleton(阿呆)なので、ああ、面白かった、センスのいい映画だった、と幸福になる物が好きである。ハッピーエンディングを好むのは、現実でしっかりと悲しいことは見ているからだろうな。さて、貴方の思い出のデート映画はなんでしょうか。

 

末娘の夫が座るベンチ

 

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