いっぷく亭

ジョウカンおじさんの独り言。
話題になった事を時期遅れで書いて行きたいと思います。
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占い・3、易占と予言

2005年06月15日 | Weblog
よく占いは未来を予知すると言いますが、未来予知の目的だけの為の占いと言うのはすべきではないと思います、それは不可能でもあるからです。
唯、一般に何かを占った結果、将来の予知の結果が出ると言うことはあります。
しかし「私は何時結婚するか」とか「富士山は何時噴火するか」とか「競馬の予想」とかは実際わからないし、占うべきでないと思います。
これに似たものに「失せもの」を占うと言うことがあります。
「落とした金は何処に」とか「逃げた女房はどこに居るか」とか言うやつです、これも必ず予測できるとは限らないし、占わないほうがよいと思います。
占った以上外れては不味いからです。
このようなものの占いは正確性が要求され、外れると目立ちます。
たとえば「来月東京で地震がある」と言う占いがあって、実際に大きな地震があったとする。
そこで人々が「占いが当ってよかった。」と安心したときにもっと大きい巨大地震があり未曾有の被害が出たとしたら・・・。
この場合、もう地震はないだろうと言う安心の為により大きな被害が出たとしたら、その占いの責任はどれくらい重いでしょうか?
地震が二度来ると言う正確な占いでないこと、ある程度は当ってしまったことが却って災いを生むわけです。
外れた訳ではないから責任はないと言えるでしょうか?
私は未来を具体的に予知するだけの占いはすべきではないと考えます。
易占は「当らずと言えども遠からず」が基本です。
前に述べたように「陰陽」の消長から物事の傾向を捉えるのが得意なのです。