いっぷく亭

ジョウカンおじさんの独り言。
話題になった事を時期遅れで書いて行きたいと思います。
皆様の返信をお待ちしています。

日本人・3、現代の日本人

2010年01月17日 | Weblog
 日本が「資源の乏しい国である。」と言う観念は明治以降現在でも常識とされているようですが、私にはどうしてもそうは考えられません。
確かに耕地や地下資源には恵まれていませんが、雨量や海洋資源は大変恵まれていてこの事が大変大きいと思います。
大体地下資源といっても恵まれている国は世界でもアメリカとロシアの二国だけです。
中東は石油はあってもその他の地下資源は皆無なのですから。
逆に少量でもほぼすべての地下資源に恵まれている日本の方が有利だと思えます。
石油は重要な資源ですが自給できている先進国はロシア以外は一国もありません。
日本だけが石油がないわけではないと言うことです。
アメリカ、中国、ドイツ、イギリス・・・・主だった国すべてがほとんどを輸入に頼っています。
資源の豊かな国は世界でも例外的少数であると言う事実を素直に受け止めれば、
日本がとりわけ資源のない国であると言うような劣等意識は生まれないでしょう。
四季のある自然による適度の雨、そして植生、豊かな土地そして海洋・・・此れほど資源に恵まれた国はありません。
皆さんは日本のどこでも空き地に雑草が生えて、刈っても直ぐ又生えてきて困ると言った状況はご存知でしょう。
しかし世界ではこのようなことになる気候と肥えた土地のある国は珍しいのです。
ヨーロッパの国の景観はすっきりして雑草もなくきれいですが、あれは雑草が繁茂するほど雨や土地が豊かではないからです。
もちろん一部豊かな地域はありますが。
熱帯雨林の地域は雨量が多すぎて土地の養分が流されてしまい、土地がやせています。
適度の雨量と四季のはっきりとしたモンスーン地帯と言うのは世界でもそれ程多くなく日本の37万平方キロと言う面積は肥沃大国と言えると思います。
もちろんそのほとんどは山ですが、日本の山は禿山は殆どありません、ほぼ全ての山が豊かで多様な植生で覆われています。

最近になって「観光立国」とか言われますが、此れほどの豊かで多様性のある自然があれば当然の方向性です。
光資源は日本文化だけではなく自然資源が決め手だと思います。
紅葉、うっそうたる森林(世界に数すくない)、多様な景観、温泉、降雪、海岸線、・・・・数え上げればキリがないほどです。
そしてこれらの要素の何をとっても世界有数のものです。
日本は資源の豊かな国だから観光立国は十分可能なわけです。

日本人は恵まれた「日本列島」と言うところに住んでいながら貧しいとか乏しいとかけちをつけています、これでは古来の八百万の神様に怒られますよ。

映画・3  カールじいさんの空飛ぶ家

2010年01月14日 | Weblog
実際の人形が動くように見える3Dアニメです。「トイストーリー」の製法と同じです。
それに対して日本のアニメの主流の絵が動く方法はセルアニメーションと言うらしい。
両者は一口にアニメと言っても全く別物と言う感じがします。

この映画はストーリーがとても大人(年寄り?)向きに出来ています。
私はイーストウッド監督の「グラン・トリノ」を連想しました。
目的を失った老人が死を前にして若者に何を残すか・・。
と言った奥深い背景が表面上の冒険物語に秘められています。

随所に涙もあり、3Dの迫力を存分に楽しめました。

日本人・2、明治以降の日本人

2010年01月13日 | Weblog
久しぶりの投稿です。

美しい日本人とは自然や経済、政治などの現実に対して講和を求める方向性を持つと言えます。
醜いと言うのは現実を受け入れることが出来ないで調和を壊そうとする性向といえます。
これは日本人が美しい人と醜い人に分別されると言うことではなくて、各々の人の中に美醜の性質が混在していると言う意味です。
前の投稿の「日本人・1、美しい日本と醜い日本人」
でいう「日本は貧しい国である。」と言う劣等意識は現在の日本では常識とはいえないかも知れません。
しかし「坂の上の雲」にあるように、つい数十年前までは常識であり、そのためには植民地を持たないと豊かになれないとほとんどの人が信じていて朝鮮、台湾、満州と進出したのでした。
その結果は日本内地は豊かになったでしょうか?

現在でも当時を振り返って朝鮮から植民地搾取したのではなく経済的投資や恩恵を与えたと言う人がいます。
これは私はある意味正しいと思います。
しかしそのことをよく考えれば投資や恩恵の具体的内容はダムや鉄道などの社会基盤の整備であり、このようなことは豊かな国が貧しい国を援助するために現在でも広く世界で行われています。
つまり当時日本が貧しい国であればそのような投資や恩恵は逆に受け取る側でなくてはならない筈です。
結論は日本はやはり当時から豊か(強国)でありその力で貧しい国を植民地化したという事実です。
問題はそのような植民地を持つことで欧米に近づくような強国になれたかどうかということです。
逆に戦後植民地を失った後に現在のような世界第二番目のGNPをもった事を考えれば結論は明らかだと言えます。

以上をまとめると日本はもともと豊かであり明治以降の軍国主義政策で植民地を増す経済力があった。
富国強兵のために植民地が必要なのではなく、もともと富国強兵だから植民地が持てた。
しかしその見返りのさらなる富国の効果は疑問であった。
かえって戦後の植民地を持たない自由貿易によってますます豊かになった。

醜い日本人というのは現実を捻じ曲げて植民地が国を富ませるとして、強兵の理由付けをするような事です。


事件 1 三浦和義氏関連事件 よみがえるジェーン・ドゥ88・・・1

2008年02月26日 | Weblog
2008年(平成20年)2月22日殺人などの容疑で米ロサンゼルス市警は米自治領サイパン島で三浦逮捕

ロサンゼルスの司法関係者によると、カリフォルニア州法では凶悪殺人など重罪に時効はなく、古い事件でも一定の証拠がまとまれば逮捕することがある。この事件は、ロサンゼルス市警の強盗殺人課の未解決事件専門チームが担当している。

三浦和義氏(以下敬称略)関連事件では「ジェーン・ドゥ 88 」事件から追跡する必要があります。
以下時系列で並べて見ます。

1970年 白石千鶴子結婚 、相手は三浦和義の知人。
1977年(昭和52年)千鶴子夫妻別居 千鶴子の姉の紹介で三浦和義と交際始まる。
1978年(昭和53年)二月三浦の設立した会社「フルハムロード」の取締役になった。 六月 二人は同棲。
      6月30日 ダイアナロスの 日本武道館コンサート を白石千鶴子が見に行き、三浦は近くのフェアモント・ホテル ティールームで待つ。そのとき居合わせた佐々木一美(後、三浦婦人)に声をかけ知り合いとなる。
1979年(昭和54年)3月に千鶴子と前夫との離婚が成立。
1979年(昭和54年)3月29日ロスに千鶴子の入管記録。ホテル・ハリウッド ホリデーインに宿泊。三浦は3月27日にロスに入管記録あり、4月6日に帰国している。
1979年5月4日、ロサンゼルス郊外の san fernanndo で女性の白骨死体が発見された。ロス郡検死局は死因鑑定不能とし、Jane Doe No.88 ジェーン・ドゥ 88 と名付けた。
1979年5月8日、千鶴子の銀行口座に前夫から慰謝料430万円が振り込まれる。
1979年5月18日~6月12日の間に、計42回にわたり、三浦がキャッシュカードで千鶴子の銀行口座から総額は426万5000円のを引き出し。

1979年7月三浦は一美と結婚
1980年9月長女生まれる
1981年(昭和56年)8月13日、ロス市内のホテル「ニューオータニ」に三浦和義と妻の一美が宿泊。一美は部屋にきた東洋系の女に後頭部を殴打され、数針を縫う負傷。・・・一美殴打事件

     11月18日、ロス郊外の駐車場で三浦(当時34歳)とその妻の一美(当時28歳)が2人の男に銃撃された。三浦は軽傷で済んだが、一美は弾丸が頬骨炸裂頭蓋へ:前頭葉一部切除、高度障害の「植物人間」になる。・・・・銃撃事件
1982年(昭和57年)1月、一美はアメリカ軍の病院飛行機で帰国し、東海大学付属病院に入院した。
1982年  3月~7月、一美が「植物人間」になったことで、三浦に生命保険会社3社からそれぞれ最高限度額が支払われ、総額1億5500万円になった。
(1)第一生命3000万円(1979年12月加入)
(2)千代田生命5000万円(1981年1月加入)
(3)AIU=海外旅行障害保険7500万円(1981年11月加入)
 これらは後に返還を求められ裁判で(1)(2)は敗訴全額返還命令(1999年7月)、(3)は和解(詳細不明

1982年11月、一美が植物人間のまま死亡。

1984年(昭和59年)、1月~3月『週間文春』全7回にわたり「疑惑の銃弾」の記事が連載される。
1984年(昭和59年)3月29日、「ジェーン・ドゥ・88」の身元が歯型の写真が決め手となって白石千鶴子と断定される。

1984年3月30日 世間での騒ぎの渦中、愛人であった「良枝」と入籍
1984年5月16日、「一美さんさん殺しを頼まれた!」と題したスクープ[サンケイ新聞]。一美さんに対する殴打事件で「東洋系の女」の元女優 矢沢美智子(当時24歳)殺害依頼を告白.「1500万円のカネと「結婚してやるから」という言葉で頼みに乗ってやってしまいました」 世間の騒ぎはピークに達する。
1984年7月 矢沢「サンケイ新聞」と同内容趣旨の「上申書」を警視庁提出。
1985年4月29日[ロス市警]「致死性武器襲撃罪」の容疑で三浦と矢沢を書類送検.起訴保留。
1985年(昭和60年)9月11日、警視庁により三浦和義(当時38歳)を一美に対する殴打事件での殺人未遂容疑で逮捕。続いて矢沢美智子(当時25歳)も殺人未遂容疑で逮捕。
     
1986年(昭和61年)1月8日、東京地裁は妻の一美に対する殴打事件で矢沢美智子に求刑・懲役3年に対し、懲役2年6ヶ月を言い渡した。
1987年7月14日、東京高裁は一美に対する殴打事件で矢沢に対し控訴棄却とした。矢沢は上告せず、懲役2年6ヶ月が確定した。
1987年(昭和62年)8月7日、東京地裁は一美に対する殴打事件で三浦和義に懲役6年を言い渡した。三浦は控訴。
1988年(昭和63年)10月20日、三浦夫妻に対する銃撃事件で三浦和義と実行犯として大久保美邦を殺人容疑で逮捕。
1994年(平成6年)3月31日、東京地裁は三浦夫妻に対する銃撃事件で、大久保に対しては証拠不充分で無罪を言い渡したが、三浦に対しては実行犯を「氏名不詳」としたまま、無期懲役の判決。
   
1998年(平成10年)7月1日、東京高裁は三浦夫妻に対する銃撃事件で、大久保に対し再び無罪を言い渡し、三浦に対しては、逆転無罪を言い渡した。
1998年9月16日、最高裁は三浦に対し一美に対する殴打事件で、1、2審判決の懲役6年を支持し、上告を棄却刑が確定した。
     
2001年(平成13年)1月17日、三浦は刑務所を出所。
2003年(平成15年)3月5日、最高裁は三浦夫妻に対する銃撃事件で2審で無罪とした判決を支持し、検察側の上告を棄却、三浦の無罪が確定した。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ちなみにここでは三浦氏を一連の事件の犯人であると仮定したとしての議論を展開しますので、御了承下さい。
以上列記してみると、フルハムロード設立当時のいきさつに事件の全容を解く鍵があると思えます、以後この辺を中心に考えていきます。

本を読んで・・・3  不動産は値下がりする!―「見極める目」が求められる時代

2008年02月19日 | Weblog
江副 浩正 (著) (中公新書ラクレ 252)

今後の日本の不動産価格についての諸問題は大体書かれていて、この中から読者が値上がりするのはどこか「見極めれ」ばよいと言う冷静なスタンスです。
その書き方は温厚ですが、しかし内容はかなり衝撃的ではあります。
ずばり言うと将来、前回の「バブル崩壊」よりも酷い事になると言っています。
東京を含め日本では今後も埋め立て開発そして法改正で土地は生産され続ける。
一方で近年政府の住宅取得を促す政策によって活発な需要が続いた。
そのため住宅については供給過剰になっている。
そして近く金利は上昇し地価が下落すると言う情勢が紹介されている。

そうなると住宅ローンの変動金利が上昇し返済額が滞る事になる。
前回のバブル崩壊時は金利は6,7パーセントであったが崩壊とともに金利が下降した。その為に返済がある程度楽になり救済されたと言える。
しかし現在は超低金利なのでこれ以上金利で救済することは出来ない、「破産する人が前回より多いと思える」と書いてある。

他に長期固定金利型の住宅ローン「フラット35」の問題が指摘される。
住宅購入者は金利の心配がなく3パーセントと言う低金利なので人気を呼び、現在のマンションブームを起こしている。
このローン債権は住宅金融支援機構(旧住宅金融公庫)が証券化し市中で順調に消化されているが・・・・。
ここが逆ザヤになれば、影響は計り知れないと言う事でも在る。
次に貸しビル事業である不動産投資信託のREITの問題。
日本ではH12に発足しJ-REITとして現在6、6兆円の規模になり、都内オフィスビル、大型高級マンションなどに投資され、その証券、債権が広く売り出されている。
これも空き室の増加、金利上昇で債権の順位の低いものや非公開REITでは大問題になると予想している。

最後に都心の立地の良いマンションは価値は下がらず、(ローンのない)富裕層(著者も含めて)は安泰であると言う東京やNYの魅力についてチラッと触れられている。


本を読んで・・・2   生物と無生物のあいだ  福岡 伸一 (著) 

2008年02月15日 | Weblog
前半は分子生物学の歴史をたどる話が続く、その中に著者のアメリカの生物学研究所の研究員としての体験がエッセイ風に挿入されている。野口英世の業績の問題点とか、DNA二重ラセン構造解明の真相とかが興味深く書かれている。
中盤はいよいよ「生物とは何か?」の問題に入り込んでいる。
とりわけ印象的なのはシェ-ンハイマーと言う人のネズミの研究だ。外から摂取されたたんぱく質や脂肪が体内のものと驚くべき速さで代謝として入れ替わっていると言う事実である。
従って人間の肉体も半年や一年で殆ど入れ替わっていると言えるらしい。
そのような代謝の流れを著者は「動的平衡状態」と名づけ生命の定義としている。その絶え間なく壊される秩序を維持するヒントとして、たんぱく質の相補性に着目する。後半では著者の専門分野の膵臓のたんぱく質の研究の話へと移ってゆく。
専門分野の研究の話は難解ですが、その中に生命について考えさせられるエピソードがあります。
実験用のノックアウトマウスの話です。GP2と言う膵臓に最も多く見られるたんぱく質があり、著者がそれを全く欠いたノックアウトマウスを作る事に成功した実験です。
しかしこのマウスは予想に反して全く正常なマウスでどこにも欠点はなかったと言う話である。
逆に他の実験で遺伝子を少しだけいじって付加するノックインマウスの場合、徐々に異常が現れ致命的なものになったと言う。

この本では生命の本質について、最先端の分子生物学からの奥深い示唆に富んだ内容となっています。
今後、生命に関する衝撃的な発見が続々と出てくる事を予感させる本です。




本を読んで・・・1     抄訳版 「アメリカの鏡・日本」ヘレン・ミアーズ著 伊藤延司訳

2008年02月13日 | Weblog
アメリカ人から観た明治から太平洋戦争までの日米関係の本です。
鋭い指摘の連続でアメリカ自身にとって耳の痛い内容になっています。
開国以来欧米を手本として植民地主義に走った日本が一方的に戦争責任を取らされるのは平等ではない・・・と言ったことが繰り返し資料とともに指摘されています。
責任を追及できるのは侵略を受けたアジアの諸国であって少なくとも欧米ではないはずだという言い方です。
終戦に当たって無条件降伏を要求した根拠に疑問を呈しています。
アメリカの目的は占領する事によって日本を軍事的にも経済的にも二度と立直る事の無いようにする事であった事が明らかにされています。

著者は占領軍GHQの労働諮問委員会の委員で当事者でもあり、終戦当時の様子が生々しく描かれています。
昭和23年に書き上げたという事ですが、当時の日本が絶望的な状態であり復興の手立てが占領軍によって阻まれている状況が指摘されています。貿易をさせない「日本人を島の中に閉じ込める」政策によって人口の何割かが餓死するだろうと予想しています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この本に書かれた終戦直後の状況からは、その後の高度成長に向けての日本の実際に起きた状況とは全く符合しません、従ってその直後に起きた朝鮮戦争(昭和25)等によって日本占領政策に正反対の変更されたことが予想されます。

とにかく「アメリカの視点からみた東アジア現代史」として日本人から見ると目から鱗が落ちるような斬新な内容です。
右翼の方も、左翼の方もとにかく必読でしょう。

社会時評 1 いじめと傍観の問題・・・2 何故いじめが悪いか・・・・・・

2006年12月01日 | Weblog
これは当たり前のことではありますが余り確認されていないので此処で私なりに確認したいと思います。

いじめをしてはならないと言うのは人間の本能です、法律や憲法に先立つ道徳規範とも言うべきもので、人間に普遍的なものです。
まずこの辺に異を唱える人も昨今では多いようです。
虐めをするもしないも人の自由であると言う考えをする人も多いので困ったものです。
前にも「人間の本能・1、道徳起源論から進化倫理学へ 」で述べた様に、人を殺さないとか弱いもの助けると言うのは、広く動物の中に普遍的な感情(本能)です。
中でも人間(ホモサピエンス)には強い道徳的本能としてあります。

考えてみれば当たり前の事です。
例えば我々個人が、仲間にしたり、友達にしたり、配偶者にしたりする時にどんな尺度で人を選ぶでしょうか。
少なくとも「いざと言う時に自分を助けてくれるか?」という事は最大の問題ではないでしょうか。
そういう見方をした時に、弱いもの虐めをしたり、人を助けない人間を選ぶ気にはならないでしょう。いざと言う時に裏切り、頼りにならないわけですから。

やがて虐めや傍観をする人は誰からも相手されなくなるでしょう。
その様な人間こそ結局は自然淘汰されてしまうわけです。

虐めをしないことは社会的に人間が生きていくために守るべき道徳であり、その前提となる道徳的感情は皆が持っているものです。
それを学習によって道徳規範として学ぶのが幼少期であり、小中学校で体得するしかない訳です。
しかし今の学校では「虐めるな」という事は教えても「傍観するな」という事は教えない。
つまり虐められている人を助ける、と言う大事な教育がなされていないのではないでしょうか。

社会時評 1 いじめと傍観の問題

2006年11月24日 | Weblog
いじめの問題が最近大きく取り上げられているが、あまり取り上げられていない重要な側面に傍観者の問題があると思います。
いじめの現場に居て何もしない子供の事です。

私は虐めの発生は根本的には社会や家庭の制度の矛盾から起るとは思います。
しかしそれが此れほどまでに拡大すると言うのは、この傍観の問題が多いと考えます。
現在の小中学校では殆んどの生徒が傍観者なのでは無いでしょうか。その為にこれほど広まってしまったと言う事なのでは。
虐める側にとって、他の生徒が傍観する事が解っていれば歯止めは無いでしょう。
怖いのはいじめ阻止に取り組む一部の教師だけなのですから。

傍観するという事は虐めの現場に居ても何も感じないと言う事です、仲間を助けるべきだと言う責任感を感じれば、行動すればよい事で此れは傍観とは言いません。
いろいろやれる事はあります。
直接虐めっ子に歯向かう事は無理だとしても・・・・・。
後になってから虐められた子に助けられなかった事を謝罪するとか。
虐めの現場で不快感を表わすとか(少なくとも面白そうな顔はしない)とか要するに積極的に支持しないと言う態度をとる。
そのほかの圧倒的多数の傍観者とそのことで話し合い(秘密裡に)意見と交換する。

・・・・・・・などの行動は取れるはずです。

このようなことを少しづつでもある数人でも出来ればいじめは拡大しないし、被害があっても自殺するような孤立した状態まで追い込まれる事は無いでしょう。

しかしながら現在では他の多くのブログでも見られるように、傍観を奨励する考えが多い。
子供には傍観していいんだと言い聞かせる親が非常に多い。

しかし難しい話は置いておいても、いざとなって助けてくれない傍観する人間は誰も友達にしたくないだろう。
つまり親は子供に誰とも友達になるなと言い聞かせているに他ならないでしょう。

私は50台のおじさんですが、自分の経験では昔も虐めはとても多かった。
それに対してどう対処するかが大問題で生徒たちはそのことを生活の重要な課題として取り組んだわけです。
どいつが虐めそうか、いざとなったら誰が助けてくれそうか、以上を判断して日常の交際に気を使うわけです。
しかし此れが教育その物なのでは無いでしょうか、社会人としての発達に必要なものを会得しているわけですから。
いじめへの対処が「人間関係の体得」そのものでしょう。

そう言った対応の中で学ぶ事は、傍観者と言う人種は、虐める側にとっては利用できるし、無視も出来る「虫けら」のような存在であり、虐めに立ち向かい側にとっては当てにならない裏切り者に過ぎません。

それでも傍観を支持する人が多いのは一体どういう世の中なんでしょうか?

古今東西、所謂児童文学といえば「弱いものいじめをしてはいけませんよ」と言う内容ばかりなはずじゃあないかな?
今の子供は児童文学などは読まないし習はないのでしょうか・・・・。

ジョウカンの柔らか運命論 1・「袖振り合うも他生の縁」

2006年05月11日 | Weblog
諺「袖振り合うも多生の縁」について・・・・

http://norabiyori.txt-nifty.com/log/2005/05/index.html
このブログでは

>これは、「袖すり合う」の誤植だと思った。

とありその関連で

>万葉集にある「あかねさす 紫野行き標野行き 野守りは見ずや 君が袖振る 」を思い起こした。
>「袖振る」というのは、求愛の合図じゃないか。
>あちこちで袖を振り合ってどうする。

とある。
しかし私は実はこの求愛の「袖振り」が正しいと思います。
私はむか~し学校で習ったし・・・。
つまり男女の出会いのようなものでも前世の因縁であると言う事。
赤い糸の話を連想させますね。
この方がこのことわざの意味としては正しいし、味わいも深いと思います。

それを「袖擦り合うも」として旅人の袖が触れると言うのでは即物的でつまらない。
諺として面白くない。

其の例として
http://www.eonet.ne.jp/~pilehead/osaka_word/text/honbunso.htm

等では

>これを誤って「袖振り合うも他生の縁」「袖の振り合わせも他生の縁」などというが、振り合う・振り合わせるでは意味をなさない。
>ただし、この誤りは相当古くからのことである。

として多くの古典の間違いとしているが、やはり古典は正しいのであって此処でロマンテックな男女の「袖振り合い」が正しいと断定したい。