この問題はかなり評判になって面白い話題でした。
その発端は・・・・・・・・・・・
吉外井戸のある村
M'S CLINICAL SOCIOLOGY
>1997年の夏にちょっとした「事件」があった。
>終戦記念日にちなんで、筑紫哲也氏がキャスターを務めるテレビニュース番組『ニュース23』(TBS制作)が企画・放送した
>「ぼくたちの戦争'97」という特集コーナーで、
>高校生たちが大人たちと討論する中、一人の高校生が大人たちに何気なくこの問いを投げかけたのだ。
>しかし、そこにいる大人たちはこれにうまく答えられなかった。
>その後、「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いにどう答えるかが各所で話題となり、
>ノーベル賞作家大江健三郎氏も朝日新聞に一文を認めた
>そこで大江氏はこの問いを発すること自体に不道徳を嗅ぎ取っている。
>つまり、なぜこのような問いを発してしまうのか、それこそが問題だと論じたのである。
「週刊電藝」text/金水 正
>『文藝』誌の1998年夏号で「なぜ人を殺してはいけないのか?」という特集が組まれている。
さらに本にもなった
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奇怪としかいいようがない本
「なぜ人を殺してはいけないのか?」永井均、小泉義之 / 河出書房新社 / 98/10/23
>これを大江健三郎が朝日新聞のエッセイで取り上げて、そのような質問をすること自体がだめだと書いた。
>永井はこのような立場を批判する立場にたった。
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以上の様な経緯で書かれた本があるということです。
・・・・・・さらに一般の私達がどう考えるかは
http://www.page.sannet.ne.jp/mikotan/sango/sango8.htm
教育者が子供の理解能力を過小評価するために物事の上辺だけのきれい事しか教えずに、その本質を教えてこなかったことにある。なぜ人を殺してはいけないかという問題にしても少し考えれば明確な回答が得られるはずである。
・・・・・・・・・・・さらに
教えて!goo等でも参考にすると色々の意見がありますが、
整理すると「なぜ人を殺してはいけないのか」についての答えが有るか無いかに分かれますが、答えがあると言う立場の意見が多い。
その答えを整理してみると以下の通り。
種の保存
群れ(仲間、家族)を守る為
自分を守りたいから
報復の連鎖を避けるため
共同体のルールだから
法律で決めたから
刑罰が怖いから
不利益になる
恐怖を与えるから
殺生はいけない
延命はしないで欲しい時もある
「神が禁じているから」
http://takapan.nobody.jp/tbyk/t_nazehitoo.html
ちなみに私ジョウカンは答えは難しい、無いかもしれないと思います。
少なくとも明確ではないと思っていますが、その様な意見は少ないようですね。
では専門家の意見はどうでしょう
「なぜ人を殺してはいけないか」
古茂田茂氏と加賀乙彦氏との間の往復書簡
・・・・・・・・・・以下まとめると・・・・・・・・・・・・
古茂田茂氏
>突き詰めれば「殺すな!」という命令文に帰着するように思われます。
>一つ「神がそれを禁じておられるからだ」
>二つは"社会が滅ぴるから"
加賀乙彦氏
>なぜ人を殺してはいけないかという説明は、人を納得させるような論理では突き詰めていくとできないと私は思っています。
>「殺すな」は信徒集団や国民国家などの内部における禁則でしかなく、>外部(異教徒・敵国)に対しではしばしば「殺せ」という反対の命令がなされてきた
>人間の心の奥底には他人を殺してしまいたい、すくなくとも父親殺しのエディプス的な暗い衝動がひそんでいる
古茂田茂氏
>「殺すな」という内部規則をもたない社会集団は、諸とうた集団間の淘汰にさらされて自滅していった
>「殺すな」の客観的理由とは別に、それが一人一人の「私」にも納得しうる主観的理由が求められることになるでしょう。
加賀乙彦氏
>殺すなという禁止は、本能のように住み込んでいるのでなく、社会集団の戒律とか法律によって主観を制御されているということです。
>個人の主観も他人の主観との関係において、つまり言葉による相互伝達によって生きています。
>人間は幼いときから、集団の禁止事項を教えられてきました。人を殺すなは、もっとも大事な禁止でした。
>集団内部の戒律や法律を外部から流れこんでくる情報が打ち消しています。
>全世界で飛び交う殺せという言葉は雄弁てじょう舌です。
>人を殺してはいけないという言葉が、集団の内部で無力になり、
>外部からは打ち消されているのが現代の悲しい現実です。
>なぜ人を殺してはいけないかという理由は、じつは受け身で考えれば簡単でしょう。
>だれも殺されたくないのですから答えは出てきます。
>あの高校生には、ではきみは殺されていいのかと問えばよかったのです。>ただし、殺されるのは苦痛で恐ろしいことだと納得させる努力は必要でしょうけれど。
古茂田茂氏
>怒りや憎悪の前には必ず愛がある。
>社会的制裁(刑罰)という憤りや憎悪の表現は
>人間の愛の陰画的表現であるとも言えます。
>人を殺してはいけないという思いが実感として感じられない若者に対して>本当の意味で説得的な言葉がありうるとすれば、
>こうした愛憎のリアリティの了解をとおしてなのでしよう。
加賀乙彦氏
>愛さない人間を殺してもいいという、この世にはびこる言説かおかしい。
>愛するものも憎むものも殺してはならないのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・以上
中々論点が煮詰まっていると思います。
ここで私なりに疑問があります、本当に本能に「殺すな」のメッセージは無いのかと言う事です。
以下・・・・其の2に続く