Chateau Grand Vin日記

◯◯◯プロデューサーJの日常のつれづれ

もとや食堂 京橋本店(大阪市都島区) 後編

2017-01-04 17:46:02 | Weblog
店内には四人掛けテーブル6卓と二人掛けテーブル2卓が配置されていました。
 
 
私が入った時はまだ空いていましたが、あっという間に満席になりました。入れ替わり立ち代わり次々とお客さんが来られます。
 
 
そして油物を控えている私が頼んだのは
 
 
刺身定食 380円
 
 
あまりに申し訳ないので、こちらも追加オーダーしました。
 
麒麟ビール 大瓶 430円
 
 
料理の味はと言いますと予想に反して悪くありませんでした。少なくとも赤身と中トロが入って380円なら全然、リピート有りかと。
 
 
因みに麺類や丼物の価格は下記の通りです。
 
 
天ぷらうどん 280円、きつねうどん 180円
 
 
かつ丼 330円、天丼 330円、親子丼 330円
 
 
 
「こんなに安くて大丈夫かな??」
 
と思ってしまいますが京橋駅寄りの徒歩数分の所に「もとや南店」もオープンし、帰り道に外から眺めたら超満員でした。
どうやら杞憂のようです。
コスパを重要視する大阪人にぴったりのお店だと思われました。

もとや食堂 京橋本店 (大阪市都島区)前編

2017-01-04 15:44:38 | Weblog
今年、正月明けの初出は1月5日です。
バタバタするのが目に見えていたので一日早く本日から休日出勤することにしました。

でも、せっかくの休日ですので、お昼御飯は知る人ぞ知る、今話題の店「もとや食堂 京橋本店」に初訪問しました。




一見、普通の大衆食堂ですが、何故、話題かと申しますと





海老フライ定食 380円



もとや定食 430円



A定食 530円



トンカツ定食 380円



天ぷら定食 380円



焼肉定食 480円



上定食 680円


と高校や大学にある学生食堂並みの値段なのです。
聞くところによると 40年前から値上げしていないそうです。







それでは、いよいよ、もとや食堂内へと潜入することにします。





つづく



清和荘(京都市 伏見区)のおせち料理

2017-01-01 12:25:16 | Weblog
新しい年となりました。
皆様、本年もよろしくお願い申し上げます。

今年の我が家のおせち料理は京都市 伏見区に有る料亭「清和荘」のものをいただいております。









京料理ですので基本的に薄味ながら「旨味」がしっかりと有ります。
ここ数年のおせち料理の中では家族内で一番、評判が良かったと思われます。
(無くなるのも早かった)


こちらの二段で 五万円+消費税です。

西天満 中村 (大阪市 北区) 後編

2016-12-31 13:14:44 | Weblog
料理の最後は河内鴨の朴葉焼き と 加賀蓮根に ブランド牛蒡(産地失念)






その後、御飯と香の物。



大根と菜っ葉の御飯にホタテが添えられていた。


デザートはバニラのアイスクリームと、酒粕のアイスクリームと、ラフランス。




これでコースは終了となった。


全体として
① 食材の質が良い
②調理の技術が確か
③品数が多く、かつ一つ一つの料理に手が込んでいる

という印象を受けた。


店主、中村明美さんは40歳前後。
20歳の時に料理の世界に入り 上本町の料亭「和光庵」、宗右衛門町「懐石 本多」、心斎橋「海櫻」、北新地「割烹まつもと 永楽店」、「割烹まつもと 北新地 堂島店」等での修行を経て独立された。


通常、一般的に女性が店を始める際、ご主人であったり、「影のオーナー」であったり、「スポンサー」であったりの助けを受けるという話を良く聞く。

しかし 中村さんは未婚であり、かつ影のオーナーやスポンサー等は全く無く、よって全てを自らの力で切り開かれた。
つまり中村さんの完全かつ純粋なオーナー店ということである。

これだけの店を開くにあたって相当な借入を起こさなければならなかった事は想像するに難くない。
余程の勇気が必要だったであろう。

本日の料理からは、中村さんの そんな勇気と覚悟が感じられたのである。








西天満 中村 (大阪市 北区】中編

2016-12-31 11:24:06 | Weblog
店内は思いの外広く重厚感がある。
客席は白木のカウンター7席のみ。
カウンター正面に錫製の大きな板状のオブジェが渋い光を放っていた。





当店の料理は一万円の懐石料理コース 一本のみである。


まず一品目は蕪蒸し。
中心部分がくり抜かれ味噌が添えられている。










刺身は左手から北海道産 松川ガレイ、中トロ、山口県産ケンサキイカ。
因みに松川ガレイは鯛よりも高級な食材である。





お椀は鱈の白子のすり流し 道明寺麩を添えて。





八寸は左から生湯葉の柚香焼き、蘇(古代のチーズ)、和三盆をつかった厚焼き玉子、足赤海老、海老芋、鯛の昆布締め明太子和え、河豚の唐揚げ、クラゲの土佐酢漬け。






焼き物は石川県産 天然ブリの酒盗焼き。






餅花という料理。餅の周りに蕎麦粉があしらわれている。熱を加えると割れて餅が花のように開くことからこの名前が付いたそうである。



この後 コースは終盤へと向かって行く。





つづく

西天満 中村 (大阪市 北区) 前編

2016-12-30 18:49:01 | Weblog
地下鉄 御堂筋線「淀屋橋駅」で下車し北に向かって歩く。
大阪市役所で東に折れ川沿いに歩くと「水晶橋」という美しい橋が見える。
その橋を渡った辺りが「西天満」というエリアである。

近年、この西天満に名店が続々と誕生している。大阪屈指の繁華街である「北新地」から程近く、その割に環境が良くて静寂であることも、その要因と言えよう。

フレンチレストラン「ユニッソン・デ・クール」、ワインバー「コネクション」、串揚げ「キュイジーヌ・オオサカ・リョウ」はその一例である。今は大阪・福島エリアに移転したミシュラン二つ星「アキュイール (ポワンに改名)」も、かつてこのエリアに存在した。


数日前に学生時代の後輩と連絡を取った。
年末、彼が東京から帰省する度毎に大阪のどこかで会うのが我々の決まりごとである。
そして今回の待ち合わせ場所が先月 11月11日にオープンしたばかりの和食店「西天満 中村」であった。


大阪地方裁判所沿いの道を通り越し「老松通り」から路地に入った。





そのまましばらく進むと路地裏に一軒の店が姿を現わす。











店内へと足を進めた。







つづく



オーブッシュ (島根県 浜田市)

2016-12-30 11:26:03 | Weblog
先日の山陰出張でお客様から良いと聞き訪問してきました。(一匹で)




ニース風サラダ




鮮魚のカルパッチョ




ミラノ風仔牛のカツレツ





バゲット


(女性)店主は東京のレストランで修行を積んだと聞きます。

これだけ食べて、ビール1杯、白ワイン1杯飲んで 3千円代半ばという安さ。

カウンターが無いので一人で行くには少し居心地が良くないかもしれませんが、それでもまた再訪したいと思えました。

日本一の大判焼きかも! 蜂楽饅頭 (熊本県水俣市)

2014-11-13 20:05:51 | Weblog




皆様、大判焼きって食べられますでしょうか?あの丸いアイスホッケーの玉みたいな食べ物です。地域によっては回転焼き、とか今川焼きと言いますね。

私、酒飲みなので普段あまり甘いものを食べないのですが蜂楽饅頭という名の大判焼きは、かなり好きです。価格は1個 90円で黒餡と白餡の2種類有ります。
蜂楽饅頭が、どの位のレベルなのか検証する為、日本各地の大判焼きを試食してみましたが今のところ

「蜂楽饅頭、向かう所、敵なし」

つまり

「暫定 日本一の大判焼き」

ということになります。

美味しさの秘密は
1、「ニオ干し」という方法で自然乾燥された北海道 十勝産の小豆を使用していること

2、小豆をコンピューターと手作業で選別していること

3、この会社が戦前より養蜂業を営んでいて、そこで出来る国産純粋蜂蜜を使用していること

らしいです。

水俣が発祥ですが今では福岡県、熊本県、鹿児島県、宮崎県の計17ヶ所に、お店が有ります。

あなたも一度、九州で蜂楽饅頭を食べてみてはいかが??




蜂楽饅頭 水俣本店

熊本県水俣市旭町2丁目1-1

久しぶりの天文館 その3 (最終話)

2014-11-12 20:02:44 | Weblog





夕食の宴会は「一代 (鹿児島市樋ノ口町10-40」という店。
扉を開けた瞬間

「濃い」

と感じてしまう大衆酒場でした。昭和の雰囲気が有り、いい味出してます。店主夫妻らしき方は、ご年配で随分長く続く店なのだろうと察しました。

料理について言えば、おでんは私の好みではなく次に出てきた鳥の唐揚げは可もなく不可もなしのレベルでしたが、その後のカキフライはカリっとしていい感じで締めの鰻の蒲焼きと御飯は、さすが特産地だけあって美味しくいただきました。

ここは料理というよりは雰囲気と、「あらかじめ前割りされた美味しい焼酎」を楽しむだけで充分満足だと思えました。



その後、伺ったのは「櫂・・かい (鹿児島市千日町3-2 かまつきビルB1」という焼酎BARでした。
櫂とは焼酎を仕込む際にかき混ぜる木の棒のことですが店内には本物の櫂が何本も飾られています。こんなの普通に売ってるものでもないし、きっと焼酎の蔵元さんとの結びつきが強いのだろうと想像しました。

店主「まなみどん」はとても面白いキャラクターの持ち主で彼女の陽気な言動に客一同、笑いっぱなしでした。
笑い過ぎて涙が出そうな程。
「笑いあり涙あり」で楽しい鹿児島の夜は更けていきました。





久しぶりの天文館 その2

2014-11-11 17:48:40 | Weblog







今回の珍道中にはコセド酒店 従業員の米盛さんも、ご一緒されました。コセド酒店で蔵元廻り担当をされていた方で焼酎業界では名の知れたお方。浅草 ◯吉八店主 水谷さんのご主人にあたる方です。

その米盛さんが私に
「お酒を飲む前にちょっと 出汁飲んで行きません?」と一言。
その瞬間、私、転げそうになりました。
「お、お出汁ですか??」

連れて行かれたのは「巧房 (鹿児島市東千石町11-6)」という、そばつゆの店でした。サーバーから、お出汁が出てきます。一杯 110円。まずはそのまま飲んで、お出汁を感じた後、そのままだと薄いので鰹節、醤油、柚子胡椒をお好みで入れて味を整えます。
「こ、これは珍しい」
飲むと何か、ほっこりしました。味噌汁を飲んだ時に感じるのと共通する何かが有ります。
水谷さんいわく
「この巧房の そばつゆで黒豚しゃぶしゃぶをしたら、すごく美味しいんです」


その後、「宴会の店に行く前、10分間だけワインバーに行きませんか?」という米盛氏の提案で訪れたのが「シャルル・マーニュ (鹿児島市東千石町2-18) 」でした。

こちら立ち呑みワインバーでガレットやチーズにも力を入れられているとのこと。
シードルをボトルで頼んで皆で分けて飲みました。アルコール分が 2パーセントなので酒豪が多い◯吉八一行にはジュースみたいな感覚でしたでしょう。

さあ、食前酒も飲んだので、その後は夕食の店に向かって少し歩きました。



つづく


久しぶりの天文館 その1

2014-11-10 20:31:43 | Weblog






東京 浅草雷門前の「◯吉八」店主 水谷さんに「11月9日は鹿児島にいらっしゃいますか?」と以前尋ねられたことがありました。
鹿児島で何かの会があるのだろうと思っていましたが、その日たまたまと言うか運良く鹿児島県北部で商談があるので足を伸ばして鹿児島市内に一泊することにしました。


待ち合わせ場所は コセド酒店 天文館店 (鹿児島市東千石町8-26タカダビル1F)。

コセド酒店は多数の幻の焼酎を世に送り出したことで有名な鹿児島を代表する焼酎地酒屋です。

そこで待っていたのは◯吉八の店主夫妻とスタッフ、常連の皆さんでした。水谷さんの鹿児島帰省に合わせてスタッフと常連の皆さんが付いて来たようです。私を含めた総勢10名程での珍道中の始まりです。






つづく

万龍 (北九州市小倉北区)

2014-11-06 22:13:07 | Weblog






本日、小倉泊。
以前より宿泊先のホテル近くに「小倉一美味しいラーメン屋」があると聞いていたが検証する為、訪問してみた。

まず頼んだのがビール。
アサヒか麒麟かと聞かれて迷わず麒麟と答える。ビールには自動的に高菜が付いてくる。辛くはなく優しい味付け。


次に名物 鶏のから揚げ。噂によれば「唐揚げの町、中津」の唐揚げ専門店に勝るとも劣らない味らしい。大きなのが7個も入っている(750円)。
これを全部食べるのは私には絶対ムリ。




最後にラーメン登場(600円)。トンコツベースだが濃くもなく薄くもなく優しい味で丁度いい感じ。このラーメンにはコショウなど余分な物を添加しない方が私は好きかも。小倉一かどうかは分からないがレベルが高いのは間違いない。




残った唐揚げは、おみやにして明日の朝食に。



万龍 (ばんりゅう)

福岡県北九州市小倉北区古船場町7-8

20:00~翌3:00

日曜は休み

101BRIO (広島市中区橋本町)

2014-11-05 21:27:52 | Weblog






ホテルから駐車場までの距離が徒歩7~8分。一泊4,000円ほどの安宿だから文句も言えない。チェックアウト後、駐車場に向かう道中、歩いていると右手に何か感じのいい店がある。前日は暗くて、その店に気付かなかった。

店内には美味しそうなパンが所狭しと並んでいる。その内の2つ程、買って食べてみたところ頭にマメ電球が灯った。

それからは広島に来るたび、この店を訪れている。
パンは嫌いではないが、ある町のパン屋に、その町に来る度、訪れるのは稀である。

後日、広島の飲食店でこの店の噂を耳にした。広島では知る人ぞ知るパンの有名店で遠方からも買いに来る人が多いとのこと。
確かに、いつ伺っても客足が多い。




101BRIO

広島県広島市中区橋本町5-7

7:00~20:00

日祝日は休み






iPhoneから送信

ブリトーを食べてしまった!

2014-11-03 15:49:56 | Weblog
 
先日の沖縄出張中に変わったものを食べましたよ~。
 
那覇市内から国道58号線を北上して約30分。北谷町の北谷交差点を左折して少し走ると屋台カーが右手に現れます。
 
ブリトーの屋台でした。
ブリトーとはメキシコの伝統的な軽食で小麦粉で作られたトルティーヤに具材を乗せて巻いたものです。その後アメリカ全土に広がりアメリカの地方独自に進化したものも有るとのこと。日本では、ほとんど知名度がありません。
 
一番人気という「ポークブリトー(700円)」をオーダーしました。
オーダーしてから調理される様で6~7分で出来上がります。
 
 
このまま かぶりつくのが本当でしょうが中に何が入っているのか確認する為 オープン!
 
トルティーヤの上にポーク肉を炒めたもの、トマト、レタス、アボカド、タマネギ、スパニッシュライス、サワークリーム等々が乗っています。お好みで辛いサルサソースを付けながら食べることも出来ます。
 
店主はアメリカへの留学&メキシコ旅行歴、メキシコ料理店での勤務経験があり本場のレシピそのままに再現したとのこと。1日100個限定で売り切れ次第終了されます。
客層は日本の方もいらっしゃるそうですが9割がアメリカ人の兵隊さんや、その家族と聞き驚きました。
アメリカの方にとっては懐かしいソウルフードなのでしょうね。
 
味的には、また沖縄出張の際に再訪したいと思える私好みでした。
 
 
 
 
店名 guacamole (ワカモレ)
 
沖縄県中頭郡北谷町北谷1丁目12-1 ETWS北谷店駐車場
 
電話 090-7293-4624
 
営業時間
水、木、金
16:30~21:00 (売り切れ次第終了)
 
土、日
11:30~ (売り切れ次第終了)
 
月、火は休み

慈恩弘国   ランバラル大尉(中野新一)と フラウボウ5号       (後編)

2010-10-30 14:43:07 | Weblog
   私はフラウボウ5号さんが降りて行った地下への入り口へと向った。

左手に重たいキャスターバッグを引きずりながら階段を駆け降りたところ、そこにはもうフラウボウの姿は無かった。

  半ば諦めぎみに地下街を歩いていたところ


  「フラウボウ・・・」


  フラウボウ5号さんは、飲食店内の椅子に腰掛けていた。本場タイの料理人が作る本格的な「屋台料理店」。屋台料理店だけあって雑然としているが味は悪くない。特に「グリーンカレー」や「レッドカレー」は本場の味で、とても美味しく私も何度か通ったことがあった。


  でも、フラウボウは店内ですっかりくつろいでいる。午前中の厳しい仕事をやっと終え、せっかくの昼休みを楽しんでいる彼女を邪魔するような声かけ(挨拶)が、とても気の毒で、かわいそうになり私は諦めて次の仕事場へと向った。



  出張から帰宅した私は東京の街角で遭遇した出来事が何故か頭から離れず、中野新一さんが過去に綴られたブログを読み返した。

  
  そして、今年の3月10日に書かれたある一つの記事を読むことになる。


下記がそのブログ記事である。








   (以下、中野新一さんのブログをそのまま転載)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

慈恩弘国営業日報00100310(5号釈放)





わたしの名はランバラル。
数知れぬ死線をくぐり抜けてきた
ジオン公国の元軍人だ。

宇宙世紀0010年 3月 10日 雨のちくもり



先の2010年2月19日(金曜)をもって
フラウボウ5号が釈放された。

5号がわが国の捕虜に志願してきたのは、
2008年の8月27日であった。

およそ1年半も前の事になるが、
わたしは昨日の事のようによく覚えている。

美大の学生だった彼女は、
イラストが上手で、
本当に初々しく、かわいく、
おもしろかかった。

一生懸命がんばっている本人には気の毒ではあるが、
一言で形容するなら、
ドジっ子という言葉がもっともふさわしかった。

入店当初の5号のウーロン茶こぼしは、
ちょっとした話題になった。
わが国のウーロン茶はビンに入ってて
少し細身で安定が悪い。
それでも今までのフラウボウたちは、
誰一人お運びに失敗した者はいなかったのだが、
5号があんまりこぼすので、
しまいにはその行為が名物になってしまい、
お客様がわざとウーロン茶を大量に注文し、
ひと目、5号のウーロン茶こぼしを見ようと、
その視線を集めた。
わたしが記憶している限り、
5号がウーロン茶を実際にこぼしたのは3回で、
うち2回はお客様に直接こぼしていた。

他にも、
コップやビンなど、
とにかくよく割った。
マスタードのビンを割って、
大量のマスタードをダメにした事もあった。

掃除機で掃除をさせたら、
なぜかテレビを壊し、

お好み焼きを焼かせたら、
鉄板の端のゴミを入れる小さな穴に、
見事に放り込むし、

たこ焼きを焼かせたら、
油を大量に使いすぎて、
店内に油煙が充満し、
みんなの目が痛くなった事もあった。

皿は生ゴミと一緒に捨てようとするし、

ビールのピッチャーにビールを注いでいる事を
すっかり忘れて、奥の和室でお客様と盛り上がってしまい。
店内をビールまみれにした事もあった。

そうかと思えば、
頭からビールサーバーのビールをかぶってしまい、
目に入って痛くて開けられず、
「目が~、目が~」とムスカのように店内をさまよったり、

自分の好きなキャラクターの話などで
お客様と盛り上がり。興奮しすぎて、
気分がわるくなったり、

とにかく5号は、
誰からも愛される、
頑固でおっちょこちょいな、
お調子者のドジっ子であった。

ただ、本人の名誉のために言っておくが、
本人はふざけている訳でも、
能力が低い訳でもない。
ただ、そう、ただ、

おっちょこちょいなのだ。


昨年の春、
リーマンショックに端を発した不況は、
就職難と言う形で5号を悩ませた。
結局5号は、
大学卒業までに就職先を決める事ができなかったので、
わが国に居残ることになった。
その時の彼女の決意は、
以前の営業日報で報告したとおりである。

2009年の4月からは、
平日はわたしのアシスタントとして、
デザイン業を、
週末はお好み焼き屋で働く毎日となった。

しかしその労働条件は、
決して恵まれたものではなかった。

休みは木曜の週1日だけ、
給料も大学卒の正社員の平均からは程遠く、
社会保険や雇用保険も整えてやれず、
まさに、名ばかり正社員だった。

その原因はわたしの本業の不振にあった。
今回の不況は、
5号の就職活動のみならず、
わたしの本業である広告制作業にも
大きな影を落としていた。

大手の取引先は広告宣伝費を削り、
小さな取引先は倒産した。

わたしは、軍人から足を洗い、
広告制作業を生業として15年。
はじめて、請求額ゼロという月を経験した。

それでもわたしは5号に、
一日も早い給料のベースアップと、
社会保険や雇用保険の整備。
デザイン業への専念。
それに伴う週末の休日の実現を約束した。

もちろん、何かあてがあった訳ではない。
それは5号のキャリアを考えれば、
当然の待遇であり、
わたしが実現しなければならない、
責務であった。

4月以降、
5号は、ますますがんばって働いてくれた。
がんばりすぎて、
体調を崩すくらいがんばってくれた。
よく頭痛を訴えていたのはこの頃だ。

わたしがいろんな病院を紹介したが、
結局それらが功を奏する事は無かった。
5号が自然に頭痛と付き合う術を身につけたのは、
秋になったころであった。

頭が割れるほど痛いといいながらも、
出社し、店に立ってくれた5号。

いつの間にか、
最も仕事のできるフラウボウへと成長していた。

たこ焼きを焼かせたら、
独自の調合で、外パリ中トロの
絶品のたこ焼きを焼いた。

アブドゥル焼きなど、
5号にしか作れないメニューを
つぎつぎ開発した。

ただ、5号は、手柄を独り占めする所があったので、
それらの5号が開発したメニューの製造方法を、
いくら聞いても、
細かい点はごまかして教えてくれなかった。

今となっては、幻のメニューである。

そんな、5号のがんばりに応えるためにも、
わたしは5号の待遇の改善に迫られた。
夏になっても、
一向に回復する兆しの無い景気。
減り続ける仕事。
わたしは思い切って融資を申し込んだ。
しかし、
実際に受けられた融資額は、
希望額の1/3にも満たず、
5号の給料のベースアップにまでは
まわすことはできなかった。

店の売り上げが良いときに、
少しずつ貯めた5号貯金を、
夏と冬に、ボーナス代わりに渡してやるのが
精一杯で、

結局5号には、
その努力に対して
十分な対価を支払ってやることは、
最後までわたしにはできなかった。


夏をすぎた頃、
わたしは、この不況が去った後、
おそらく業界の構造は変化するだろうと考えた。

つまり、
地方における、グラフィックデザインという仕事の大半は、
この不況下での、
印刷業界の激しい値引き競争によって、
安さとスピードを当然のサービスとしてしまったために、
以前のようには、
ギャランティーも、仕事量も回復せず、
質の低下をともなった、
専門性を必要としないワークフローへと
進むと考えたのである。

そこで、
時間だけはあったので、
5号には、未来の仕事を託した。

3年後を見据えた仕事と、
10年後を見据えた仕事である。

日々の収入は、
店の売り上げと、
少ないながらも、わたしのデザインの仕事でまかない、
5号にはとにかく絵をかかせた。
美大生の描く自己表現の絵ではなく、
人にウケる、お金になる絵である。

5号は、パソコンには疎く、
アプリケーションの習得も不得手ではあったが、
美大の入試で培ったデッサン力は、
私以上のものを持っていた。
その5号の持つ最大の武器で、
5号自身がこれからも生きてゆける術を身につけ、
かつ、我々が新たな市場へ進出するこの計画は、
誰に話しても馬鹿にされそうな、
まさに雲をつかむような試みであった。

それが功を奏するかどうかは、
今後の努力しだいというところではあるが、

少なくとも5号の絵は劇的に変化をとげた。

わたしのところへ来るまで、
漫画やぷるるん戦士のようなキャラクターを
ほとんど描いたことが無く、
当初、本当に悩みながら描いていた5号だが、
もともとデッサンのスキルは人一倍なので、
ちょっとコツをつかむとすぐに上達した。

5号がコツをつかむ瞬間は見ていておもしろい。

こんな風な絵を描いてくれと、
5号にスケッチをわたす。
5号がそこから自分なりに描きおこす。
仕上がったものをわたしが見て、
例えば、線が死んでいる。と言う。
5号は漫画を描いたことがなかったので、
意味がよく理解できない。
わたしが描き直したものを見せる。
しばらく無言でじーっとそれを眺めている。
その表情からは闘志が見てとれる。

そして無言で一心不乱に作業をしだして、
次には必ずわたしの見本を超えるものを出してきた。

5号はメカが下手だった。
しかし、それなりにがんばって描いていた。
5号の作業が大変そうだったので、
わたしが1枚、手伝って描いてやった。

するとやはりわたしの描いたメカを、
しばらくじーっと眺めて、
背中から怒りのようなオーラを放ちだし
ある日作品を見てみたら、
それまで自分の描いていたメカを全部消して、
わたしの見本よりかっこよく
描きなおしていた。


とにかく、
5号の成長のステップには、
負けず嫌いに端を発した、
闘志のエネルギーが必要らしい。


一方で、
5号には考えの甘いところもあった。
平気で1時間ほど遅刻してくるし、
勝手に自分の判断で仕事をするし、
相談しない、連絡しない、報告しない。
気に入らないと、
すぐに機嫌が悪くなった。
それでも、
わたしと5号は親子ほども年が離れているので、
そんな5号の振る舞いも
全て可愛らしく思えたものだったが、
誰かが教えてやらねば、
この娘はずっとこの調子だと思い、
5号の心にちゃんと刻み込むために、
時折きつい言葉で叱ってしまった。

できるだけわかりやすく、
1度だけ、短い時間で叱った。

後から聞いた話では、
5号はわたしに叱られた夜は、
風呂場でぽたぽた涙を流していたらしい。

悔しくて泣いていたのか、
反省して泣いていたのかわからないが、
わたしは損な役回りである。
こんな待遇でがんばってくれている5号には、
せめていつも楽しい話だけを
してやりたいと思っているのに、
上司としての建て前が、
わたしに嫌なことを言わせる。

わたしが思う美しい指導者の態度とは、
嫌われようと、好かれようと、
10年いてくれようと、
明日にも退社するとしても、
ただ粛々と後進を指導することであった。

しかしそれはまた、
相反する気持ちと態度、
本音と建前に悩まされる日々でもあった。

そして昨年の暮れ。
5号が良い求人を見つけてきた。
例の連邦軍のおもちゃ屋さん関連の
東京のコンテンツ制作会社である。
わたしは5号にそのチャンスを逃がさないように言い。
いろいろと5号を応援した。

5号が一次面接を終えた後、
5号から先方の反応を聞いたとき、
わたしは5号の合格を確信した。

5号がわたしの前から居なくなる。
その未来を直感した時、
わたしは急に握力を失い、
モノをよく落とすようになり、
ひざの震えを覚えた。

わたしが、
早々とお別れのメールを5号に送ると、
「そんな早合点しないでください。
 何処にも行くって決まった訳じゃないんですから。」
と、笑ってた5号であるが、
その後、先方から出された課題をこなし、
二次面接、最終面接を経て、
新たな人生の旅立ちを迎えることになった事は、
皆の知るところである。

わたしは、
心の底から5号の合格を喜んだ。
まるで、自分の作品が入選したかのような
誇らしい気持ちだった。

そして、
5号が一ヶ月後には東京に行ってしまう事が決まったこの頃から、
わたしは、同じ夢を何度も見ることになる。

それは、
いつものように5号がわたしの斜め後ろの席で、
機嫌良く絵を描いていて、
わたしが5号に、
「5号が東京の会社に就職する夢を見た。」
と話しかける夢だった。
すると、5号がわたしのほうに向きなおって、
「そんな就職先があったら紹介してほしいですよ。
 第一、なんでわたしが東京なんて行くんですか。
 行く訳ないですよ。」
と笑いながら話し、
きまってそこで目が覚めるのだった。

いよいよ5号が京都を離れる日が近づいてくると、
夢の中で、
「5号ー、行かんといてくれーーー!」
と地面にひざまづいて
大声で泣き叫んでいる夢を見て、
目が覚めると、
本当に大粒の涙が出ていた。

「5号とずっといっしょに仕事がしたい。」
と願いつつ、
「ここにいても5号は気の毒なだけだ、
 5号にふさわしい待遇の会社へ
 一日も早く就職させてやらなければならない。」
と考える現実的な立場のバランスが、

5号の就職決定によって崩れ、
「居てほしい。」
という思いだけが
大きくわたしの心を支配してしまっていた
ようである。


夏と冬に寸志として渡してやる5号貯金とともに、
わたしのポケットマネーで貯めていた
5号用福利厚生貯金があった。
もちろんこんな景気なので大して溜まってはいなかったが、
そのお金で、
わたしと、ハモンと、5号の3人で、
劇団四季の美女と野獣を観にいった。
わたしがサラリーマン時代に、
よく上司に芝居やコンサートに連れて行ってもらい、
その経験が、今でも生きているので、
同じ事をしてやりたかったのだ。

華やかで美しいステージには、
夢と愛が満ち溢れていた。

心の琴線にふれる音楽、
美しい言葉、
華麗なダンス、
豪華な衣装、
趣向を凝らした舞台装置、

そのどれもが、
わたしたちを魅了し、
エンディングでは、
涙が出るほど感動した。

5号は結局、
うちを辞めさせてください。とは、
一度も言わずに行ってしまった。
ただ、
好きな言葉があって、
「船というものは、
 港に泊めておいても絵になるものだが、
 それは、船というものが造られた
 本当の目的ではない。」
という言葉だと話してくれた。

今5号は、その言葉だけを信じて、
未知の土地でがんばっている。
態度が大きくて、
お調子者のくせに、
ものすごい人見知りで、
小心者の5号。

なにもかもが敵に見えるのに、
その恐怖心を笑顔でごまかしている姿が
目に見えるようだ。

わたしが彼女にしてやれる事はもう無い。
また、彼女にしてもらう事も無くなってしまった。

新生活がはじまってすぐ、
5号から便りが届いた。
活気のある職場で、
明るいスタッフに囲まれ、
うちにいたとき同様、
ガンダムやザクを描かされているらしい。

それを聞いて、
わたしは本当にさよならを言うときが来たと感じた。
悔しさ、寂しさ、喜び、安心、
いろんな気持ちがいりまじった、
切ない心境である。

さようなら5号。
さようなら。






5号が東京へ行って1週間がすぎたころ、
大きなダンボールが届いた。
送り主は5号であった。
中を開けてみると、
つい先日買ったばかりの新品のパソコンが、
緩衝材もろくに入れずに、がさつに放り込まれていた。

理由を聞けば、
ソフトをインストールしたら動かなくなった。
直してくれ。
という事だった。

わたしは嬉しかった。
わたしには、まだ5号にしてやれる事があったのだ。
こんなに嬉しいことは無い。

しかし箱には、
本体といくつかのケーブル以外、
リカバリディスクも何も入ってなかったので、


とりあえず今は
何もしてやれない。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   (以上、中野新一さんのブログをそのまま転載)











 「喜び」と「悲しみ」、「幸せ」と「憂鬱」が交錯した、とても複雑で不思議な気持ちになった。  
 そして、中野新一さんに東京での、ひと時の出来事について電子メールを送った。


 

  
  その翌日、一通のメールが中野新一さんから届いた。







『本人に確認しておりませんが、
十中八九、まちがいございません。
温かく見守っていただきましてありがとうございます。

特に手塩にかけたフラウボウでしたので、
今も毎日思い出しますし、
その度に元気にやってるか気になっているのですが、
ご報告をいただき、安堵いたしました。

本当に安堵いたしました。
その様子が目に浮かぶようです。
ありがとうございました。


またいつでも遊びに来てやってくださいませ。


ランバラル               』
       


          









 「大尉、また近いうちに遊びに行きます」

 と心の中でつぶやいた。



 そして東京のあの街角の、あの辺りで、またフラウボウ5号さんに、ばったりと出会うかもしれないという予感めいたものを感じていた。
   













     お好み焼 慈恩弘国   http://www.ms-06zaku.com/ 


   住所:京都市南区西九条大国3

   電話:075-693-9092

   営業時間:毎週金・土・日曜   18:00~23:00(22:30LO)