Chateau Grand Vin日記

◯◯◯プロデューサーJの日常のつれづれ

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PINCO PALLINO~ピンコ・パリーノ(大阪市北区曽根崎)

2009-07-14 08:30:28 | Weblog
 数年前、宮崎の名ワインショップ「外山酒店」の田中治専務が私に言われた。
「先日、大阪出張の際、面白いワインバーに行ったよ」

田中さんはお店の内容については、あまり詳しく語られない。「自分の目で確かめろ」ということなのであろう。田中さんをその店に案内したのが優良なインポーターとして名高い、あの「ヴィナイオータ」の太田社長と聞き、より一層の興味を覚えた。


大阪市北区の新御堂筋と梅田新道が交差する「梅新東」交差点から程近い雑居ビルの地下一階にその店は有った。

 究極的にカジュアルな店内はとても落ち着ける上に何処か懐かしい感じもする。店内には大きな樽が二つ配置されており、その周りを椅子が囲む。樽の上に置かれたリーデルグラスに(5杯取りで)なみなみと注がれたワインは「現存する自然派バローロの造り手の中でも最高ランクの一人」と言われている「アッコマッソ」のキュベ。 他にもイタリアワインとして評価が高い「マッサ・ヴェッキア」のワインもグラス売りされている。
ここは大阪でも珍しい「イタリアワイン専門のワインバー」なのである。


店主の浅井美加さんは大学卒業後、単身イタリアに渡り、ピエモンテ州の星付きレストランでソムリエールとして6年間修業された。ソムリエールの資格も現地のワイン学校に通い、現地で取られたとのことである。

時間を見つけては彼女の隠し芸とも言える「馬術」の経験を活かして、ピエモンテ州のバローロ村やバルバレスコ村の葡萄畑を馬で駈け回り生産者を訪ねてワイン造りについて学び、人間関係を構築した。

 帰国後、その堪能なイタリア語力を活かして貿易会社や旅行会社で勤務したのちこのワインバーを開店されたという訳である。


この店の特徴としては「情報の直接性」ということが挙げられる。 つまり情報には「人から聞いたり、本等で読んで得た間接的な情報」と「自ら足を運び、その目で確かめるというフィールドワークによって得られた直接的な情報」の二種類あるが、当店で供されるワインについての情報は明らかに後者である。 イタリア時代の人間関係が多い上、大阪に試飲会等の仕事で訪れる多くのイタリアワイン生産者が仕事後この店に来店するため、情報収集をし易いという優位性を持つ。疑問がある時は生産者にイタリア語で電子メールを打つ。

よってワインについて語る浅井さんの遠い目の先には「イタリアの大地」や「葡萄畑」「ワイン造りに情熱を傾ける生産者の顔」があり、その言葉にはどこか重みがある。


一方で、地震や災害があれば店内に募金箱を設置し集めたお金を被災地に送られる。冬には集めた募金を500円玉に両替し、自ら西成区等、大阪市内のホームレスのもとを訪ね歩き、「手作りのおにぎり」や「古着」と供に配り回るという心優しき活動もされている。


この類稀なる感性の持ち主である浅井美加さんの店「ピンコ・パリーノ」は隠れ家的ワインバーという性格上、今まで余り語り広められることは無かった。 しかし最近、遂にメディアの目の留まるところとなり、去る6月には優良グルメ誌「Meets(ミーツ)」に初登場され、来週の7月23日には、あの大阪で最も信頼できるグルメ誌と言われている「あまから手帖(8月号)」にも初登場されることになった。

今後どの様な活躍をされ、どの様に進化していくのかが、とても楽しみなお店である。




PINCO PALLINO (ピンコ・パリーノ)


大阪市北区曽根崎1-2-8 B1
TEL:06-6365-5656
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岩倉酒造場 (宮崎県西都市下三財)

2009-07-02 23:19:41 | Weblog
 宮崎市から北西に約一時間、車で走った、西都市下三財という田園地帯に「岩倉酒造場」さんはあります。 2004年4月の初回から数えて今回で6度目の訪問となりました。

岩倉酒造場さんの代表作には「月の中」 「妻」 「くらら」 「幹」 「なに見てござる」 「三段仕込み」等があります。 これらの焼酎を社長の岩倉幸雄さん、奥様の悦子さん、長男の由夫さん、長女の幹子さんの家族4人だけで仕込みから蒸留、瓶詰めまでを全て手作業で行っています。
 
 「キレ」 「甘み」 「旨味」 「こく」のどれを取っても素晴らしく、味のバランスが良く、複雑味に溢れています。

 前述の通り、家族四人だけで手作業にて造られていますので、生産本数にも限界があり(年間芋二百石・麦六十石)、需要が供給を大きく上回っているため入手困難な幻の焼酎となっています。

 これらの焼酎を取り扱う特約店は東京、大阪等の大都市圏と地元宮崎や鹿児島を除けば、ほぼ一県一店舗に限られています。


今では大変な人気の岩倉酒造場さんですが、かつては蔵が潰れるかと思う程、焼酎が売れない時代が有ったといいます。 でも、その様な時代にも支えとなり助けてくれた酒屋さんがいらっしゃったと。 焼酎ブームが起こる遥か以前より「岩倉酒造場さんが作られている焼酎の価値」を見抜き、それを世に広めた酒屋さん。先程挙げた特約店の多くはその様な酒販店なのです。


 ところで、今から20年程前に日本各地の地酒を好んで飲み比べる「日本酒地酒ブーム」なるものがありました。あるものは「淡麗辛口」であったり、またあるものは「吟醸酒」であったり、中にはその稀少性ゆえ、プレミア価格まで付くものも現れました。 元来、特約店のみで売られていた地酒の蔵には一流百貨店、商社、大手スーパー等のバイヤーが押し掛けました。 ブームに乗って売上拡大と利潤を追求しようとした蔵は特約店を離れ、大手に追随し、設備を拡大して遂には量販店や、コンビニエンスストアにまで、「かつては稀少で格の高かった地酒」を並べ始めたのでした。 特約店の様な説明能力もなく、「造り手の思い」を伝えることが出来なかった大手の売場では地酒の格は失われ、しだいに「大衆的なお酒」へとなって行きました。 大きくなった蔵を維持する為に、残念ながら汚染米にまで手を染めてしまった蔵が出た事は記憶に新しいでしょう。


「あの時の日本酒蔵のようにならないで」と特約店は岩倉さんに言われるそうです。 その言葉を胸に、どんなに売れたとしても、いくら新規依頼が有ったとしても岩倉酒造場さんは年間二百六十石の高品質な焼酎を変わらず造り続け、決められた特約店にのみ販売していかれることでしょう。そして、そうすることにより、焼酎「月の中」は未来永劫、幻の焼酎であり続けるのです。
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