Chateau Grand Vin日記

◯◯◯プロデューサーJの日常のつれづれ

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慈恩弘国   ランバラル大尉(中野新一)と フラウボウ5号       (後編)

2010-10-30 14:43:07 | Weblog
   私はフラウボウ5号さんが降りて行った地下への入り口へと向った。

左手に重たいキャスターバッグを引きずりながら階段を駆け降りたところ、そこにはもうフラウボウの姿は無かった。

  半ば諦めぎみに地下街を歩いていたところ


  「フラウボウ・・・」


  フラウボウ5号さんは、飲食店内の椅子に腰掛けていた。本場タイの料理人が作る本格的な「屋台料理店」。屋台料理店だけあって雑然としているが味は悪くない。特に「グリーンカレー」や「レッドカレー」は本場の味で、とても美味しく私も何度か通ったことがあった。


  でも、フラウボウは店内ですっかりくつろいでいる。午前中の厳しい仕事をやっと終え、せっかくの昼休みを楽しんでいる彼女を邪魔するような声かけ(挨拶)が、とても気の毒で、かわいそうになり私は諦めて次の仕事場へと向った。



  出張から帰宅した私は東京の街角で遭遇した出来事が何故か頭から離れず、中野新一さんが過去に綴られたブログを読み返した。

  
  そして、今年の3月10日に書かれたある一つの記事を読むことになる。


下記がそのブログ記事である。








   (以下、中野新一さんのブログをそのまま転載)
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慈恩弘国営業日報00100310(5号釈放)





わたしの名はランバラル。
数知れぬ死線をくぐり抜けてきた
ジオン公国の元軍人だ。

宇宙世紀0010年 3月 10日 雨のちくもり



先の2010年2月19日(金曜)をもって
フラウボウ5号が釈放された。

5号がわが国の捕虜に志願してきたのは、
2008年の8月27日であった。

およそ1年半も前の事になるが、
わたしは昨日の事のようによく覚えている。

美大の学生だった彼女は、
イラストが上手で、
本当に初々しく、かわいく、
おもしろかかった。

一生懸命がんばっている本人には気の毒ではあるが、
一言で形容するなら、
ドジっ子という言葉がもっともふさわしかった。

入店当初の5号のウーロン茶こぼしは、
ちょっとした話題になった。
わが国のウーロン茶はビンに入ってて
少し細身で安定が悪い。
それでも今までのフラウボウたちは、
誰一人お運びに失敗した者はいなかったのだが、
5号があんまりこぼすので、
しまいにはその行為が名物になってしまい、
お客様がわざとウーロン茶を大量に注文し、
ひと目、5号のウーロン茶こぼしを見ようと、
その視線を集めた。
わたしが記憶している限り、
5号がウーロン茶を実際にこぼしたのは3回で、
うち2回はお客様に直接こぼしていた。

他にも、
コップやビンなど、
とにかくよく割った。
マスタードのビンを割って、
大量のマスタードをダメにした事もあった。

掃除機で掃除をさせたら、
なぜかテレビを壊し、

お好み焼きを焼かせたら、
鉄板の端のゴミを入れる小さな穴に、
見事に放り込むし、

たこ焼きを焼かせたら、
油を大量に使いすぎて、
店内に油煙が充満し、
みんなの目が痛くなった事もあった。

皿は生ゴミと一緒に捨てようとするし、

ビールのピッチャーにビールを注いでいる事を
すっかり忘れて、奥の和室でお客様と盛り上がってしまい。
店内をビールまみれにした事もあった。

そうかと思えば、
頭からビールサーバーのビールをかぶってしまい、
目に入って痛くて開けられず、
「目が~、目が~」とムスカのように店内をさまよったり、

自分の好きなキャラクターの話などで
お客様と盛り上がり。興奮しすぎて、
気分がわるくなったり、

とにかく5号は、
誰からも愛される、
頑固でおっちょこちょいな、
お調子者のドジっ子であった。

ただ、本人の名誉のために言っておくが、
本人はふざけている訳でも、
能力が低い訳でもない。
ただ、そう、ただ、

おっちょこちょいなのだ。


昨年の春、
リーマンショックに端を発した不況は、
就職難と言う形で5号を悩ませた。
結局5号は、
大学卒業までに就職先を決める事ができなかったので、
わが国に居残ることになった。
その時の彼女の決意は、
以前の営業日報で報告したとおりである。

2009年の4月からは、
平日はわたしのアシスタントとして、
デザイン業を、
週末はお好み焼き屋で働く毎日となった。

しかしその労働条件は、
決して恵まれたものではなかった。

休みは木曜の週1日だけ、
給料も大学卒の正社員の平均からは程遠く、
社会保険や雇用保険も整えてやれず、
まさに、名ばかり正社員だった。

その原因はわたしの本業の不振にあった。
今回の不況は、
5号の就職活動のみならず、
わたしの本業である広告制作業にも
大きな影を落としていた。

大手の取引先は広告宣伝費を削り、
小さな取引先は倒産した。

わたしは、軍人から足を洗い、
広告制作業を生業として15年。
はじめて、請求額ゼロという月を経験した。

それでもわたしは5号に、
一日も早い給料のベースアップと、
社会保険や雇用保険の整備。
デザイン業への専念。
それに伴う週末の休日の実現を約束した。

もちろん、何かあてがあった訳ではない。
それは5号のキャリアを考えれば、
当然の待遇であり、
わたしが実現しなければならない、
責務であった。

4月以降、
5号は、ますますがんばって働いてくれた。
がんばりすぎて、
体調を崩すくらいがんばってくれた。
よく頭痛を訴えていたのはこの頃だ。

わたしがいろんな病院を紹介したが、
結局それらが功を奏する事は無かった。
5号が自然に頭痛と付き合う術を身につけたのは、
秋になったころであった。

頭が割れるほど痛いといいながらも、
出社し、店に立ってくれた5号。

いつの間にか、
最も仕事のできるフラウボウへと成長していた。

たこ焼きを焼かせたら、
独自の調合で、外パリ中トロの
絶品のたこ焼きを焼いた。

アブドゥル焼きなど、
5号にしか作れないメニューを
つぎつぎ開発した。

ただ、5号は、手柄を独り占めする所があったので、
それらの5号が開発したメニューの製造方法を、
いくら聞いても、
細かい点はごまかして教えてくれなかった。

今となっては、幻のメニューである。

そんな、5号のがんばりに応えるためにも、
わたしは5号の待遇の改善に迫られた。
夏になっても、
一向に回復する兆しの無い景気。
減り続ける仕事。
わたしは思い切って融資を申し込んだ。
しかし、
実際に受けられた融資額は、
希望額の1/3にも満たず、
5号の給料のベースアップにまでは
まわすことはできなかった。

店の売り上げが良いときに、
少しずつ貯めた5号貯金を、
夏と冬に、ボーナス代わりに渡してやるのが
精一杯で、

結局5号には、
その努力に対して
十分な対価を支払ってやることは、
最後までわたしにはできなかった。


夏をすぎた頃、
わたしは、この不況が去った後、
おそらく業界の構造は変化するだろうと考えた。

つまり、
地方における、グラフィックデザインという仕事の大半は、
この不況下での、
印刷業界の激しい値引き競争によって、
安さとスピードを当然のサービスとしてしまったために、
以前のようには、
ギャランティーも、仕事量も回復せず、
質の低下をともなった、
専門性を必要としないワークフローへと
進むと考えたのである。

そこで、
時間だけはあったので、
5号には、未来の仕事を託した。

3年後を見据えた仕事と、
10年後を見据えた仕事である。

日々の収入は、
店の売り上げと、
少ないながらも、わたしのデザインの仕事でまかない、
5号にはとにかく絵をかかせた。
美大生の描く自己表現の絵ではなく、
人にウケる、お金になる絵である。

5号は、パソコンには疎く、
アプリケーションの習得も不得手ではあったが、
美大の入試で培ったデッサン力は、
私以上のものを持っていた。
その5号の持つ最大の武器で、
5号自身がこれからも生きてゆける術を身につけ、
かつ、我々が新たな市場へ進出するこの計画は、
誰に話しても馬鹿にされそうな、
まさに雲をつかむような試みであった。

それが功を奏するかどうかは、
今後の努力しだいというところではあるが、

少なくとも5号の絵は劇的に変化をとげた。

わたしのところへ来るまで、
漫画やぷるるん戦士のようなキャラクターを
ほとんど描いたことが無く、
当初、本当に悩みながら描いていた5号だが、
もともとデッサンのスキルは人一倍なので、
ちょっとコツをつかむとすぐに上達した。

5号がコツをつかむ瞬間は見ていておもしろい。

こんな風な絵を描いてくれと、
5号にスケッチをわたす。
5号がそこから自分なりに描きおこす。
仕上がったものをわたしが見て、
例えば、線が死んでいる。と言う。
5号は漫画を描いたことがなかったので、
意味がよく理解できない。
わたしが描き直したものを見せる。
しばらく無言でじーっとそれを眺めている。
その表情からは闘志が見てとれる。

そして無言で一心不乱に作業をしだして、
次には必ずわたしの見本を超えるものを出してきた。

5号はメカが下手だった。
しかし、それなりにがんばって描いていた。
5号の作業が大変そうだったので、
わたしが1枚、手伝って描いてやった。

するとやはりわたしの描いたメカを、
しばらくじーっと眺めて、
背中から怒りのようなオーラを放ちだし
ある日作品を見てみたら、
それまで自分の描いていたメカを全部消して、
わたしの見本よりかっこよく
描きなおしていた。


とにかく、
5号の成長のステップには、
負けず嫌いに端を発した、
闘志のエネルギーが必要らしい。


一方で、
5号には考えの甘いところもあった。
平気で1時間ほど遅刻してくるし、
勝手に自分の判断で仕事をするし、
相談しない、連絡しない、報告しない。
気に入らないと、
すぐに機嫌が悪くなった。
それでも、
わたしと5号は親子ほども年が離れているので、
そんな5号の振る舞いも
全て可愛らしく思えたものだったが、
誰かが教えてやらねば、
この娘はずっとこの調子だと思い、
5号の心にちゃんと刻み込むために、
時折きつい言葉で叱ってしまった。

できるだけわかりやすく、
1度だけ、短い時間で叱った。

後から聞いた話では、
5号はわたしに叱られた夜は、
風呂場でぽたぽた涙を流していたらしい。

悔しくて泣いていたのか、
反省して泣いていたのかわからないが、
わたしは損な役回りである。
こんな待遇でがんばってくれている5号には、
せめていつも楽しい話だけを
してやりたいと思っているのに、
上司としての建て前が、
わたしに嫌なことを言わせる。

わたしが思う美しい指導者の態度とは、
嫌われようと、好かれようと、
10年いてくれようと、
明日にも退社するとしても、
ただ粛々と後進を指導することであった。

しかしそれはまた、
相反する気持ちと態度、
本音と建前に悩まされる日々でもあった。

そして昨年の暮れ。
5号が良い求人を見つけてきた。
例の連邦軍のおもちゃ屋さん関連の
東京のコンテンツ制作会社である。
わたしは5号にそのチャンスを逃がさないように言い。
いろいろと5号を応援した。

5号が一次面接を終えた後、
5号から先方の反応を聞いたとき、
わたしは5号の合格を確信した。

5号がわたしの前から居なくなる。
その未来を直感した時、
わたしは急に握力を失い、
モノをよく落とすようになり、
ひざの震えを覚えた。

わたしが、
早々とお別れのメールを5号に送ると、
「そんな早合点しないでください。
 何処にも行くって決まった訳じゃないんですから。」
と、笑ってた5号であるが、
その後、先方から出された課題をこなし、
二次面接、最終面接を経て、
新たな人生の旅立ちを迎えることになった事は、
皆の知るところである。

わたしは、
心の底から5号の合格を喜んだ。
まるで、自分の作品が入選したかのような
誇らしい気持ちだった。

そして、
5号が一ヶ月後には東京に行ってしまう事が決まったこの頃から、
わたしは、同じ夢を何度も見ることになる。

それは、
いつものように5号がわたしの斜め後ろの席で、
機嫌良く絵を描いていて、
わたしが5号に、
「5号が東京の会社に就職する夢を見た。」
と話しかける夢だった。
すると、5号がわたしのほうに向きなおって、
「そんな就職先があったら紹介してほしいですよ。
 第一、なんでわたしが東京なんて行くんですか。
 行く訳ないですよ。」
と笑いながら話し、
きまってそこで目が覚めるのだった。

いよいよ5号が京都を離れる日が近づいてくると、
夢の中で、
「5号ー、行かんといてくれーーー!」
と地面にひざまづいて
大声で泣き叫んでいる夢を見て、
目が覚めると、
本当に大粒の涙が出ていた。

「5号とずっといっしょに仕事がしたい。」
と願いつつ、
「ここにいても5号は気の毒なだけだ、
 5号にふさわしい待遇の会社へ
 一日も早く就職させてやらなければならない。」
と考える現実的な立場のバランスが、

5号の就職決定によって崩れ、
「居てほしい。」
という思いだけが
大きくわたしの心を支配してしまっていた
ようである。


夏と冬に寸志として渡してやる5号貯金とともに、
わたしのポケットマネーで貯めていた
5号用福利厚生貯金があった。
もちろんこんな景気なので大して溜まってはいなかったが、
そのお金で、
わたしと、ハモンと、5号の3人で、
劇団四季の美女と野獣を観にいった。
わたしがサラリーマン時代に、
よく上司に芝居やコンサートに連れて行ってもらい、
その経験が、今でも生きているので、
同じ事をしてやりたかったのだ。

華やかで美しいステージには、
夢と愛が満ち溢れていた。

心の琴線にふれる音楽、
美しい言葉、
華麗なダンス、
豪華な衣装、
趣向を凝らした舞台装置、

そのどれもが、
わたしたちを魅了し、
エンディングでは、
涙が出るほど感動した。

5号は結局、
うちを辞めさせてください。とは、
一度も言わずに行ってしまった。
ただ、
好きな言葉があって、
「船というものは、
 港に泊めておいても絵になるものだが、
 それは、船というものが造られた
 本当の目的ではない。」
という言葉だと話してくれた。

今5号は、その言葉だけを信じて、
未知の土地でがんばっている。
態度が大きくて、
お調子者のくせに、
ものすごい人見知りで、
小心者の5号。

なにもかもが敵に見えるのに、
その恐怖心を笑顔でごまかしている姿が
目に見えるようだ。

わたしが彼女にしてやれる事はもう無い。
また、彼女にしてもらう事も無くなってしまった。

新生活がはじまってすぐ、
5号から便りが届いた。
活気のある職場で、
明るいスタッフに囲まれ、
うちにいたとき同様、
ガンダムやザクを描かされているらしい。

それを聞いて、
わたしは本当にさよならを言うときが来たと感じた。
悔しさ、寂しさ、喜び、安心、
いろんな気持ちがいりまじった、
切ない心境である。

さようなら5号。
さようなら。






5号が東京へ行って1週間がすぎたころ、
大きなダンボールが届いた。
送り主は5号であった。
中を開けてみると、
つい先日買ったばかりの新品のパソコンが、
緩衝材もろくに入れずに、がさつに放り込まれていた。

理由を聞けば、
ソフトをインストールしたら動かなくなった。
直してくれ。
という事だった。

わたしは嬉しかった。
わたしには、まだ5号にしてやれる事があったのだ。
こんなに嬉しいことは無い。

しかし箱には、
本体といくつかのケーブル以外、
リカバリディスクも何も入ってなかったので、


とりあえず今は
何もしてやれない。


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   (以上、中野新一さんのブログをそのまま転載)











 「喜び」と「悲しみ」、「幸せ」と「憂鬱」が交錯した、とても複雑で不思議な気持ちになった。  
 そして、中野新一さんに東京での、ひと時の出来事について電子メールを送った。


 

  
  その翌日、一通のメールが中野新一さんから届いた。







『本人に確認しておりませんが、
十中八九、まちがいございません。
温かく見守っていただきましてありがとうございます。

特に手塩にかけたフラウボウでしたので、
今も毎日思い出しますし、
その度に元気にやってるか気になっているのですが、
ご報告をいただき、安堵いたしました。

本当に安堵いたしました。
その様子が目に浮かぶようです。
ありがとうございました。


またいつでも遊びに来てやってくださいませ。


ランバラル               』
       


          









 「大尉、また近いうちに遊びに行きます」

 と心の中でつぶやいた。



 そして東京のあの街角の、あの辺りで、またフラウボウ5号さんに、ばったりと出会うかもしれないという予感めいたものを感じていた。
   













     お好み焼 慈恩弘国   http://www.ms-06zaku.com/ 


   住所:京都市南区西九条大国3

   電話:075-693-9092

   営業時間:毎週金・土・日曜   18:00~23:00(22:30LO)







            

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慈恩弘国   ランバラル大尉(中野新一)と フラウボウ5号      (前編)

2010-10-29 23:08:57 | Weblog
  茨城県での仕事を終え、東京都内に戻って来たのは既に正午を過ぎ、もうすぐ1:00になろうかという頃であった。

 改札口を出て駅前の大きな交差点にある横断歩道を渡っていた時、前方から見覚えのある顔の女性が歩いて来た。


「フラウボウ・・・」



 フラウボウは声を掛けようとする私に気付くことなく5メートル先ですれ違い、駅地下に延びる階段を降りて行った。








  京都市東寺に「とてもいい感性を持った人物がいる」との情報をいただき初めて訪問したのは今から2年半前、2008年4月半ばのことである。
 話によると、その方は優秀なグラフィック・デザイナーであり、本業の傍ら金、土、日曜日等、週末の夜だけ「お好み焼き店」を営まれているとのことであった。

  

近鉄・東寺駅から西に向って徒歩20分、国道1号線沿いに派手な電飾を灯した住宅があり、その一階部分が店舗になっている。

  店の名前は「慈恩弘国(じおんこうこく)」。弘法大師さまのお膝元・東寺にある慈愛と恩恵に満ち満ちた国という意味らしいが、この言葉の響きに何か聞き覚えがある。


 店内はカウンターを中心に構成され、グループ用の座敷や離れも用意されている。そして、そのエリア一つ一つに「コロニー」「ソロモン」「ア・バオア・クー」「サイド7」といった名前が付けられている。

 名物メニューは「座苦(ざく)焼き」。これは座禅の苦行を表現したお好み焼き。
  そして「怒無(どむ)焼き」。こちらは、怒りを無くして悟りの境地を表現したお好み焼き。いづれも何処か聞き覚えのある言葉である。

  以上からも分かるとおり、こちらの店は、あの「人気ロボット・アニメーション作品」をテーマとしたお好み焼き店である。



  店主、中野新一さんは自らを、その作品に登場する主人公(アムロ・レイ)とは敵方の軍人「ランバラル大尉」と名乗り、衣装まで同じものを誂えていた。
  そして、従業員は主人公(アムロ・レイ)の女友達「フラウボウ」と称し、こちらもピンク色の軍服を身に纏っている。フラウボウはランバラル大尉の「捕虜」という設定である。

  地元・京都や近所というよりは、日本全国から集まったと見られる客が店内を埋め尽くし、焼き上がるお好み焼きを待ちながら、店主やフラウボウから発せられる言動に耳を傾け楽しそうに笑っている。そして、その笑い声に絶え間がない。私も日本各地の飲食店で食事をさせていただくことがあるが、これ程、笑いに溢れた温かい雰囲気のお店は見たことがない。あたかも、「小さなディズニーランド」である。


  その後も数度訪問した。東京出張帰りで、比較的早めに帰って来ることが出来たときに。半年に一度ぐらいであろうか・・。私はロボット・アニメーションファンでもなければ、アニメオタクでもない。ただただ、中野新一という感性豊かな人物に会い、その話を通して学び吸収することが目的である。

  訪問する度にフラウボウの顔ぶれは変わっていた。フラウボウは元々、女子大学生がアルバイトで入っていることが多く、学業の都合や就職等により当店を去らなければならない事情があるのであろう。

  そんな中、ただ一人、三回連続でお見かけしたフラウボウがいた。明るさの中にも、どこか憂鬱をかかえている様な表情を持つ美しい女性。スタイルが良く「連邦軍のピンク色の軍服」が良く似合っていた。後から分かったことであるが、諸般の事情により大学卒業後も慈恩弘国に残り、平日は中野新一さんのグラフィック・デザイン業のアシスタントとして働き、週末はお好み焼店でフラウボウとして働かれていたそうである。
それが、フラウボウ5号だった。

  店では中野新一さんと話すことが殆んどであり、フラウボウ5号さんとは、きちんと話したことはなかった。ただ一度、彼女が焼き上げた「たこ焼き」が「外パリ、中トロ」で、余りに美味しく、そのクオリティーが大阪の人気店を上回る程のものであったので、その旨、中野さんに申し上げたところ、

フラウボウ5号さんは

「こだわりの粉屋さんのものを使っていますので」

と嬉しそうに笑われていた。







  話をもどすが、そのフラウボウ5号さんが東京の街角で私の目の前を通り過ぎ、駅地下に向う階段を降りていた。私は一瞬迷ったが何か縁の様なものを感じたので、彼女に声を掛け挨拶するべく彼女の後を追いかけた。








                                                                                                                  つづく・・











  


  
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