
山門とは、禅宗にて数えられる七堂伽藍の1つで、特に仏殿(本堂)の前に立ち、左右には金剛力士像を置くことを通例とする(『禅学大辞典』など参照)とされています。当山の山門は11世・独鳳丹嶺大和尚の住持の時、寛延元年(1748)に建立されました。元々建っていた山門が朽ちたためとされています。
なお、1800年代後半に、22世・正覚泰運大和尚の住持の時に修復再建されました。その後は、内部に安置されている仁王像の修復工事なども随時行われ、現在見るように両側に袖が付く形になりましたのは、26世・禅岳敬洲大和尚の時です。

左右の金剛力士像です。左側が口の形を「吽」にしている密迹金剛で、右側が口の形を「阿」にしている那羅延金剛です。

山門の中央に懸かるのが、当山の山号である「満福山」の扁額です。当時大本山永平寺副貫首(後に貫首)であられた、山田霊林禅師に揮毫していただきました。