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満福山城国寺

宮城県栗原市にある曹洞宗の満福山城国寺のブログです。

仏道以外のことを学ぶ暇はない

2008-12-29 05:05:38 | 『正法眼蔵随聞記』
 示ニ云ク、無常迅速なり、生死事大なり。暫ク存命の間、業を修し学を好マンには、ただ仏道を行じ仏法を学すべきなり。
 文筆詩歌等そノ詮なきなり。捨ツべき道理左右に及ばず。仏法を学し仏道を修するにもなほ多般を兼ネ学すべからず。況ンや教家の顕密の聖教、一向に擱くべきなり。仏祖の言語すら多般を好み学すべからず。
 一事ヲ専ラにせん、鈍根劣器のものかなふべからず。況ンや多事を兼ネて心想を調へざらん、不可なり。
    『正法眼蔵随聞記』巻2-8


道元禅師が、仏道以外の、文章や詩歌、そういった文化的なことを学ぶのが無駄だと示された一節です。非常に有名で、後々まで、曹洞宗の僧侶が、文化的芸術作品などを作るのに躊躇することとなりました。

しかし、道元禅師がこのように示されたことには明確な理由があります。それは、人間の寿命などいつ終わるか分かったものではないので、その前に、一刻も早く仏道を学んでおくべきだという意見があるということ、そして、もう一つは、人間の能力など、そんなに多くのことを極めることは出来ず、いわば才能のリソースを、仏道以外に差し向けてはいられない、という意見です。

どちらとも、まさにいわれる通りですね。

正義の対は別の正義

2008-12-28 07:26:18 | 『正法眼蔵随聞記』
 法談の次に示して云ク、直饒我レ道理を以て道ふに、人僻事を言フを、理を攻めて言ヒ勝ツは悪きなり。
 次に、我れは現に道理と思へども、「我が非にこそ。」と言ツて負けてのくもあしばやなると言フなり。
 ただ人をも言ヒ折らず、我が僻事にも謂ヒおほせず、無為にして止めるが好キなり。耳に聴キ入レぬようにて忘るれば、人も忘れて怒らざるなり。第一の用心なり。
    『正法眼蔵随聞記』巻2-7


道元禅師は、余計な議論を持って、相手に勝つことを良しとはしていません。なぜならば、自分にとっての正義が、相手にとっての正義であるとは限らず、正義にとっての対は相手の正義でしかないのです。

だからこそ、議論をして勝っても、それは良いことにはならないわけです。むしろ、自分が正しいと思っていても、いや、思っているからこそ、自分はソッと身を引くべきなのです。

それで、相手が増長すると思っている人も多いと思いますが、道理が契っていれば、むしろそれで良いのです。或いは道理に契わずに好き勝手言っている人は、自壊するのみです。

ですので、忘れて怒らず、その思いが大切です。

褒賞を気にしない仕事

2008-12-27 05:08:20 | 『正法眼蔵随聞記』
 夜話ニ云ク、昔、魯の仲連と云フ将軍ありて、平原君が国に有ツて能く朝敵を平ラぐ。平原君賞して数多の金銀等を与へしかば、魯の仲連辞して云ク、「ただ将軍の道なれば敵を討つ能を成す已而。賞を得て物を取ラんとにはあらず。」と謂ツて、敢て取ラずと言フ。魯仲連ガ廉直とて名よの事なり。
 俗なほ賢なるは、我レそノ人としてそノ道の能を成すばかりなり。代りを得んと思ハず。学人の用心も是ノごとクなるべし。仏道に入リては仏道のために諸事を行じて、代リに所得あらんと思フべかラず。内外の諸教に、皆無所得なれとのみ進むるなり。心を取ル。
    『正法眼蔵随聞記』巻2-7


中国の戦国時代に生きた、魯の仲連の故事を道元禅師は高く評価されます。この者は後の始皇帝を出す秦が攻めていた趙を守ったにもかかわらず、その恩賞を一切取ろうとしませんでした。そして、そのように恩賞を取るのは、商売人の振る舞いであるとしています。

同じように道元禅師も、自らの職責をよく知るべきだと説くのです。そして、仏道修行者であれば、一切の褒賞や、功徳を期待せずに、自らの行うべきを行うことを説くのです。

このような修行を、「不染汚の修証」とか「無所得、無所悟」などといいます。世間に生きている場合には、どうしても、所得を目指して生きてしまいます。そして、それで良いのですが、度が過ぎると、仕事の目的が歪んでしまいます。何事もホドホドに。

役割を弁えよ

2008-12-26 05:23:50 | 『正法眼蔵随聞記』
 また物語ニ云ク、故鎌倉の右大将、始め兵衛佐にて有リし時、内府の辺に一日はれの会に出仕の時、一人の不当人在りき。
 そノ時、大納言のおほせて云ク、「是レを制すべし。」
 (大)将の云ク、「六波羅におほせらるべし。平家の将軍なり。」
 大納言の云ク、「近々なれば。」
 大将の云ク、「その人にあらず。」と。
 是れ美言なり。この心にて、後に世をも治めたりしなり。今の学人もその心あるべし。そノ人にあらずして人を呵する事なかれ。
    『正法眼蔵随聞記』巻2-6


この鎌倉の右大将とは、後の源頼朝のことであります。或るハレの宴があったとき、狼藉者がいたそうです。そこで、大納言が右大将に対し、この者を捕らえるように命じました。

ところが、右大将は六波羅に対して、それを頼むように諭し、「そなたがそこにいるではないか」と頼む大納言に対し、「その人にあらず」と固辞します。それは、右大将とは将の将であって、自ら手を下す地位・役割ではないからです。

このように、仏道修行でも、自分がその地位・役割にないのであれば、徒に他人に対して叱るべきではないと道元禅師は示されます。「他は是れ吾に非ず」(『典座教訓』)などの言葉で、どうしても自分で事を為すのが良いという「美風」がいわれますが、道元禅師ほど「役割」などを強調した人はいません。

一例として、次の言葉も紹介しておきましょう。

如し大己の所に在らば苦事は先ず作せ、好事は応に大己に譲るべし。
    『対大己五夏闍黎法』第30

他人への叱り方(2)

2008-12-23 11:52:41 | 『正法眼蔵随聞記』
他の非を見て、わるしと思ウて、慈悲を以てせんと思はば、腹立つまじきやうに方便して、傍の事を言ふやうにてこしらふべし。
    『正法眼蔵随聞記』巻2-5


道元禅師は、他人の非を見、それを悪いと思ったとき、その叱り方として、相手が腹立つことがないようにせよと仰っています。そして、それこそが慈悲を持った叱り方だといえるのです。

我々はどうしても、「自分が正しい」と思えば、その正しさを笠に着て、一気に相手を追い詰めようとし、様々な暴言を吐き、暴挙を行うことがあります。しかし、それによってもし、相手が怒りを覚えたとすれば、むしろこちらにも、「瞋恚」を起こさせたという罪を得るのです。

瞋恚を始めとする三毒は、仏道からその人を遠ざける原因となります。よって、相手に迂遠な道を歩ませたとすれば、これは罪を得るのです。ですから、罪を得ることがないように、とにかく怒りを覚えさせないように、様々な方便を述べて、相手を説得すべきであると、道元禅師は仰っているのです。

他人への叱り方

2008-12-22 11:03:59 | 『正法眼蔵随聞記』
 先師天童浄和尚住持の時、僧堂にて衆僧坐禅の時、眠リを警むるに履を以て是レを打チ謗言呵嘖せしかども、僧皆打タルる事を喜び、讃嘆しき。
 ある時、また上堂の次でには、常に云ク、「我レ已に老後の今は、衆を辞し、庵に住して老を扶ケて居るべけれども、衆の知識として各々の迷ヒを破り、道を助けんがために住持人たり。是レに因ツてあるイは呵嘖の言を出し、竹篦打擲等の事を行ず。是レ頗る恐レあり。然れども、仏に代ツて化儀ヲ揚グル式なり。諸兄弟、慈悲をもてこれを許し給へ。」と言へば、衆僧流涕しき。
 是ノごとキ心を以てこそ、衆をも接し化をも宣ブべけれ。住持長老なればとて猥りに衆を領じ、我ガ物に思うて呵嘖するは非なり。況ンヤそノ人にあらずして人の短を謂ヒ、他の非を謗るは非なり。能々用心すべきなり。
    『正法眼蔵随聞記』巻2-5


道元禅師の本師である、天童如浄禅師という方は、非常に厳しい修行をしたことでも知られておりますけれども、自分で行うのみならず、弟子に対してもそれを要求した人でした。それは、坐禅修行こそが、仏道の正道を歩くものであると確信していたからです。

そこで、以上に見たような、厳しい指導が行われたわけです。ただ、これについて、すぐに誤解する人は、自分も如浄禅師のようになりたいというのです。しかし、その人の多くは、ただ、他人よりも上に立ちたいだけであって、本当に、指導される側に立って思っている人は皆無です。

ですので、これはちゅういすべきであr道元禅師も「住持長老なればとて猥りに衆を領じ、我ガ物に思うて呵嘖するは非なり。」とされているのです。

和合僧こそ国宝である

2008-12-21 07:30:46 | 『正法眼蔵随聞記』
夜話に云ク、悪口をもて僧を呵嘖し、毀呰する事なかれ。悪人不当なりと云フとも、左右無ク悪毀る事なかれ。先づ何にわるしと云フとも、四人已上集会し(行)ずべければ、僧の躰にて国の重宝なり。最モ帰敬すべき者なり。
    『正法眼蔵随聞記』巻2-5


これは、僧侶に対して、悪口をもって怒り傷つけてはならないという指摘です。もちろん、僧侶同士に於いてもいわれることですし、在家人からの悪口などについても批判されたモノです。

もともと、僧侶というのは、「僧伽」が語源となっており、道元禅師が指摘されるように、4人以上集まっている集団を意味する言葉でした。そして、その集団を維持していく最大の力が「和合」ということです。よって、僧侶とは「和合僧」ともいわれます。

したがって、和合を破壊するのが、悪口や怒りといった、他人を傷つける行為の原因となることなのです。道元禅師は、僧侶に見える和合こそが、国の宝であると考えていました。それぞれ思惑を異とする人々の集団が、国になるわけですが、そこには和合がなければ、あっという間に散り散りになってしまいます。

しかし、そのような違いを超えて、絆を持って社会を作らなければ、あっという間に、我々自身は生きていくのが困難となります。より楽に生きていくために、和合を持って生きていきたいものです。

菩薩の破戒は衆生のために

2008-12-20 06:54:22 | 『正法眼蔵随聞記』
況ンヤ菩薩は、直饒自身は破戒の罪を受クとも、他のために受戒せしむべし。
    『正法眼蔵随聞記』巻2-4


道元禅師は、菩薩自身については、破戒をしていようが何であろうが、とにかく他人のために受戒をさせて、仏道への縁つなぎをすべきであると説きます。我々僧侶が、檀信徒が亡くなられた後で、受戒をして僧にする(没後作僧)のは、このような教えがあるからです。

そして、戒名料がかかるとか、めんどくさいとか、色々と理由があるとは思いますが、死んだ後にどうなるかは、今の科学では分からないものです。今の科学では、死後の世界の有無を決めることは出来ないのです。よって、わずかでも死への不安があるのであれば、戒名をもらって、成仏していくという階梯を歩んでも良いと思いますが、いかがでしょうか。

【お知らせ】

曹洞宗・満福山城国寺では、12月31日午後10時から「除夜の鐘」をつくことが出来ます。希望される方は、当日当山までお越し下さい。

場所:宮城県栗原市花山草木沢宿34番地
アクセス:東北自動車道築館インターから西に40分
      東北新幹線くりこま高原駅から西に1時間



一刀一断を知るべし

2008-12-19 07:34:24 | 『正法眼蔵随聞記』
 また云ク、我レ若シ南泉なりせば即チ道フべし、「道ヒ得たりとも即チ斬却せん。道不得なりとも即チ斬却せん。何人か猫児を争ふ、何人か猫児を救ふ。」ト。
 大衆に代ツて道ハん、「既に道得す。請フ、和尚猫児ヲ斬ラン(ことを)。」ト。
 また大衆に代ツて道ハん、「南泉ただ一刀両段のみを知ツて一刀一段を知ラず。」ト。
 弉云ク、如何ナルカ是レ一刀一段。
 師云ク、大衆道不得、良久不対ナラバ、泉、道フべし、「大衆已に道得す」と云ツて猫児を放下せまし。古人云ク、「大用現前して軌則を存セず。」ト。
 また云ク、今の斬猫は是レ即チ仏法の大用、あるいは一転語なり。若シ一転語にあらずは、山河大地妙浄明心とも云フべからず。また即心是仏とも云フべからず。即チこノ一転語ノ言下にて、猫児ガ躰仏身と見、またこの語を聞イて学人も頓に悟入すべし。
    『正法眼蔵随聞記』巻2-4


これは、南泉普願による、斬猫話について、道元禅師が語ったものであります。南泉の弟子達が、猫の子供を巡って争っていました。そこで、南泉はその猫を採り上げて、これが何物かと聞くのです。そして、答えられなければ斬ってしまうぞ、と迫りました。

弟子達は答えられず、南泉は猫を一刀両断にしてしまったのですが、これについて道元禅師は南泉が、一刀両断を知っているけれども、一刀一断を知らないと喝破するのです。

仏法とは大いなる働きであり、いわゆる両断というような分別を及ぼすことは出来ません。つまり、この仏法の働きこそが、一刀一断だというのです。この猫を斬る行為は、弟子達から執着心を奪うものではあります。しかし、その猫そのものが仏法であるという働きをも奪うものです。

よって、本来的に弟子を、仏法に目覚めさせるためであれば、一刀一断でも良いというのです。

一行のススメ

2008-12-18 20:16:14 | 『正法眼蔵随聞記』
示ニ曰ク、広学博覧はかなふべからざる事なり。一向に思ひ切ツて、留るべし。ただ一事に付イて用心故実をも習ひ、先達の行履をも尋ネて、一行を専ラはげみて、人師先達ノ気色すまじきなり。
    『正法眼蔵随聞記』巻2-3


道元禅師ご自身は、仏教の様々な経典などを学び、本人はそれほど用いるべきではないなどと示されてはいますが、仏教の典籍以外の外典も多く用いています。よって、広学でありますし、博覧強記でもありますが、しかし、それはなかなか叶わないものだとしています。

よって、ただ一事について、修行方法などを古人の行いから学び、そして、古人達が極めてきた修行を真似て、専ら励むべきだとされているのです。ただ、それだけで修行になるのです。また、仏道を歩むことにも成るのです。