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満福山城国寺

宮城県栗原市にある曹洞宗の満福山城国寺のブログです。

仏二十年の福分

2009-02-07 07:33:54 | 『正法眼蔵随聞記』
況ンやまた仏二十年の福分を以て末法の我等に施す。是レに因ツて天下の叢林、人天ノ供養絶エず。如来神通の福徳自在なる、なほ馬麦を食して夏を過ゴしましましき。末法の弟子豈是レを慕ハざらんや。
    『正法眼蔵随聞記』巻2-13


道元禅師は、修行者に対し、貧に徹しても決して不安に思うことはないと示されています。貧に徹しても、飢え死にすることはないというのです。その理由は、釈尊の「二十年の福分」があるからです。

この言葉ですが、釈尊の時代、仏教的世界観では、人間の寿命は100年あると考えられていました。しかし、釈尊ご自身は80歳で般涅槃されており、その時本来残っていたはずの20年分の寿命は、後の仏教徒である我々に対し、布施されたというのです。

よって、その釈尊の貴い行により、我々が飢えることなどはないと、道元禅師は確信を持って仰っているのです。

仏道修行者は貯蓄をしない

2009-02-05 06:02:20 | 『正法眼蔵随聞記』
 仏言く、「衣鉢の外は寸分も貯へざレ。乞食の余分ハ、飢ヱたる衆生に施す。」ト。直饒受ケ来るとも寸分も貯フべカラず。況ンや馳走有ラんや。
 外典に云ク、「朝に道を聞カバ夕べに死スとも可なり。」ト。直饒飢ヱ死ニ寒エ死ニすとも、一日一時なりとも仏教に随フべし。万劫千生幾回か生じ幾回か死せん。皆是レ是のごとキ世縁妄執なり。今生一度仏制に順ツて餓死せん、是レ永劫の安楽なるべし。
 何ニ況ンヤ未だ一大蔵教の中にも、三国伝来の仏祖有ツて一人も餓ヱ死ニ寒エ死ニシたるを聞カず。世間衣粮の資具ハ生得ノ命分なり。求ムるに依ツて来ラず、求メずとも来ラざるにもあらず。正に任運として心をおく事なかれ。末法なり、下根なりと云ツて、今生に(心を)発サずハ何れの生にか得道せん。直饒空生迦葉のごとクにあらずとも、ただ随分に学道すべきなり。
    『正法眼蔵随聞記』巻2-13


道元禅師は、仏道修行の好例として、乞食を行っていた場合、もし自分自身が食べる分を確保したならば、余った分は衆生に施すように示しています。つまり、修行者自身は蓄えをせずに、全て他の人に施してしまうのです。

このようにすれば、普通は修行者自身の生活が保てず、崩壊してしまうと思いがちです。しかし、道元禅師は、古来の修行者の様子を示しながら、飢えたりすることはないのだから、安心して、施すべきだというのです。

ここには、当時の世相などもあったのでしょうけれども、一部の僧侶が多くの財を蓄えることで、かえって社会に迷惑を掛けていたということもあるのでしょうし、もし財を蓄えれば、その財を狙ってきた盗賊に対し、修行僧の命を危険に晒すなどの問題があったようです。

また、人の心情は僧侶が金持ちだというよりも、貧乏であるという方が親しみやすいと思うものだそうです。ただ、それを狙って貧乏ぶるというのも間違いで、自然に財物へのとらわれを無くしていく必要があるといえましょう。

檀那の信施を貪る

2009-01-25 05:55:12 | 『正法眼蔵随聞記』
 ある人問ウテ云ク、「名利の二道は捨離しがたしと云へども、行道の大なる礙なれば捨てずんばあるべカラず。故に是レヲ捨ツ。衣粮の二事は小縁なりと云へども行者の大事なり。糞掃衣、常乞食、是レは上根の所行、また是レ西天の風流なり。神丹の叢林には常住物等あり。故にそノ労なし。我ガ国の寺院には常住物なし。乞食の儀も即チ絶エたり、伝ハラず。下根不堪の身、如何がせん。尒らば予がごときは、檀那の信施を貪らんとするも虚受の罪随ヒ来る。田商仕工を営むも是レ邪命食なり。ただ天運に任せんとすれば果報また貧道なり。飢寒来らん時、是レを愁として行道を碍つべし。ある人諌めて云ク、『汝が行儀太あらじ。時機を顧ミざるに似たり。下根なり、末世なり。是ノごとク修行せばまた退転の因縁と成リぬべし。あるイは一檀那をも相語らひ、若シクは一外護をも契ツて、閑居静所にして一身を助ケて、衣粮に労スル事無くして仏道を行ずべし。是レ即チ財物等を貪ルにあらず。時の活計を具して修行すべし。』と。この言を聞クと云へども未ダ信用セず。是のごとキ用心如何。」
 答ヘテ云ク、夫レ衲子の行履は仏祖の風流を労すべし。三国殊なりと云へども、真実学道の者未ダ是ノごとキ事有ラず。ただ心を世事にいだす事なかれ。一向に道を学すべきなり。
    『正法眼蔵随聞記』巻2-13


或る人(おそらくは僧侶)が、日本の寺院が総じて貧しいことを指摘しながら、その中でどのように修行をしていくべきかを道元禅師に尋ねています。内容は、乞食の法が日本にはないので、とにかく檀信徒から布施を貰ったり、自分で田畑などを経営したりしても、結局、行き詰まったら、修行を止めてしまいそうだと素直に語るわけです。

そして、別の人から、大きな檀那が1人いれば大丈夫だ、等と教えられています。

道元禅師は、それらを総じて批判しています。理由は、古来、そのように修行した者がいなかったことを挙げ、とにかく「稽古」すべきであるとされるのです。具体的な話は、次回にいたしましょう。

修行者は食べ物や衣服を気にするな

2009-01-24 06:28:19 | 『正法眼蔵随聞記』
示ニ云ク、学道の人、衣粮を煩ハす事なかれ。ただ仏制を守ツて、心ヲ世事に出す事なかれ。仏言く、「衣服に糞掃衣あり、食に常乞食あり。」ト。何れの世にかこノ二事尽クる事有ラん。無常迅速なるを忘れて徒らに世事に煩フ事なかれ。露命の暫く存ぜる間、ただ仏道を思ウて余事を事とする事なかれ。
    『正法眼蔵随聞記』巻2-13


道元禅師は、修行者というのは、衣服や食べ物に余計な思いをめぐらせてはならないとしています。それは、本来的に衣服はその辺から拾ってきた布を縫い合わせただけのもの、そして食事はあちこちからもらってきたものだけで過ごすべきだからです。

無常迅速で、露命がしばらくある間にしか仏道修行は出来ません。よって、お金を稼ごうとする間があれば、まず修行をすべきであるという教えです。この教えはとても大切なことで、目的と方法とを勘違いしてはならないという教えです。

修行をするのに、色々な物が必要だと、それが揃うのを待っていては意味のないところです。よって、まずは修行をするわけです。これを説いているというべきで、別に貧乏になれ、といっているのではないのです。

心を調えるには?

2009-01-22 05:44:37 | 『正法眼蔵随聞記』
 示ニ云ク、人は思ヒ切ツて命をも捨て、身肉手足をも斬ル事は中々せらるるなり。然れば、世間の事を思ひ、名利執心のためにも、是ノごとク思ふなり。ただ依リ来る時に触レ、物に随ツて心器を調フる事難きなり。
 学者、命を捨ツると思ウて、暫く推し静めて、云フべき事をも修すべき事をも、道理に順ずるか順ぜざるかと案じて、道理に順ぜばいひもし、行じもすべきなり。
    『正法眼蔵随聞記』巻2-12


道元禅師は、人は身命を捨てることは中々しないけれども、いざとなれば、世間のことを思ってそれをする人や、名利心などのために身命を捨てるともしています。ただ、そのように外的な要因で行われた場合には、自分自身の心を調えることにはなりません。

よって、仏道を学ぶ者は、命を捨てるように決心し、その上で道理に契うかどうかを考えるべきだとしています。もし、道理に契えばそのことを言うべきでありますし、修行も進めるべきだとされます。

不惜身命という言葉があって、元々は『法華経』などにも見える言葉ですけれども、仏道を学ぶのであれば、余計な物は全て捨ててしまって良いのです。その時、初めて自分の心の純粋さに気付くことが出来るでしょう。

坐禅は病苦をも超える

2009-01-17 05:52:25 | 『正法眼蔵随聞記』
 我レ大宋天童先師の会下にしてこノ道理を聞イて後、昼夜定坐して極熱極寒には発病しつべしとて諸僧暫く放下しき。我レそノ時自ラ思はく、直饒発病して死ヌべくとも、なほただ是レを修すべし。病まずして修せずんば、こノ身労しても何の用ぞ。病して死なば本意なり。大宋国の善知識の会にて修し死ニて、よき僧にさばくられたらん、先づ結縁なり。日本にて死なば是レほどの人々に如法仏家の儀式にて沙汰すべからず。修行して未だ契ハザル先に死せば、好キ結縁として生を仏家にも受クべし。修行せずして身を久シく持つても詮無キなり。何の用ぞ。況ンや身を全くし病作ラずと思ふほどに、知ラず、また海にも入リ、横死にも逢はん時は後悔如何。是ノごとク案じつづけて、思ヒ切ツて昼夜端坐せしに、一切に病作らず。
 如今各々も一向に思ヒ切ツて修して見よ。十人は十人ながら得道スベキなり。
 先師天童のすすめ是ノごとシ。
    『正法眼蔵随聞記』巻2-11


これは、中国の天童山に修行に行かれた道元禅師が、自ら見聞してきた様子を示す一文です。病や死をおそれて修行をしないというのは、本末転倒だというのです。むしろ、何もせずに死んでしまうことの方が、坐禅をして死ぬことよりも、危険なことだというのです。よって、道元禅師はその無為の死をおそれて、ひたすらに自ら坐禅をしたというわけです。

ただ、無為に死んでしまえば、次の世に生まれたとき、同じく修行できるか分かったものではないわけで、そうであれば、良き指導者に巡り会い、修行をした方が良いわけです。

四の五の言わずに、思い切って修行することが非常に重要です。「思い切って」というところが、とても大切で、この結果、十人が十人ながら仏道を得ることが出来るとされているわけです。なんとなく続く日常の中で、どこか、思い切って決断する状況にないようなときがあるかもしれません。しかし、それでは、惰性の日常に成りかねません。

よって、常に、自らの生き方を思い直す機会にする、坐禅というのは、そういう機会になるといえましょう。

なお、道元禅師が「大宋国の善知識の会にて修し死ニて、よき僧にさばくられたらん、先づ結縁なり」というのは、中国で客死した明全和尚のことかな、と思ったりするのです。

ひたすらに坐禅せよ

2009-01-14 06:01:02 | 『正法眼蔵随聞記』
 弉問ウテ云ク、若シ然ラバ、何事いかなる行か、仏法に専ら好み修スベき。
 師云ク、機に随ヒ根に随フべしと云へども、今祖席に相伝して専ラする処は坐禅なり。この行、能ク衆機を兼ネ、上中下根等シク修し得べき法なり。
    『正法眼蔵随聞記』巻2-11


道元禅師の後を嗣いで、永平寺の二世となった孤雲懐弉禅師が、仏法を修行するとき、どういう修行を行うべきかと聞いておられるのですが、それについて道元禅師が答えています。

道元禅師のご回答は、それぞれの人の持つ才能にしたがうべきだと仰っていますが、今、祖師がその道場で正しく伝えてきたのは坐禅だとされています。坐禅であれば、どのような才能の者でも、等しく修行すべきであり、それだけを専らに修行したと仰っているのです。

『正法眼蔵随聞記』には、同様の説法が見えますけれども、他にも次のような教えを見ておきましょう。

しめしていはく、大師釈尊、まさしく得道の妙術を正伝し、又三世の如来、ともに坐禅より得道せり、このゆえに、正門なることをあひつたへたるなり。しかのみにあらず、西天東地の諸祖、みな坐禅より得道せるなり、ゆえに、いま正門を人天にしめす。
    『弁道話


釈尊が仏道を得るための素晴らしい方法を伝えられ、他の諸仏などもともに、坐禅によって仏道を得たというのです。つまり、禅宗が伝えてきた、その悟りの実体験に基づく系譜自体を担保として、道元禅師はあらゆる者が坐禅を行うべきだとしておられるのです。

仏道を極めたいなら仏道を学べ

2009-01-06 05:57:54 | 『正法眼蔵随聞記』
夜話ニ云ク、人は世間の人も、衆事を兼ネ学して何れも能もせざらんよりは、ただ一事を能して、人前にしてもしつべきほどに学すべきなり。況ンや出世の仏法は、無始より以来修習せざる法なり。故に今もうとし。我が性も拙なし。高広なる仏法の事を、多般を兼ヌれば一事をも成ずべからず。一事を専ラにせんすら本性昧劣の根器、今生に窮め難し、努々学人一事を専ラにすべし。
    『正法眼蔵随聞記』巻2-11


世間に生きている人も、多くのことを極めようと思うよりは、ただ「一事」をよく学び、人前でも通用するように学ばないと、誰も見向きもしてくれなくなるでしょう。

ましてや、仏道は、誰も正しく学ぼうとしていません。何かのついでに学ぶことはできず、仏道を専門に学び、ようやく極められるかどうかというほどに、難しいのです。

仏道修行は、自ら自身を正確に見極めることが肝心であり、その意味では一朝一夕に、分析することはできません。文字を学んで、それで極めることはできないのです。

よって、徹底して仏道を学ぶことが必要なのです。この人生、いつ終わるか分かりません。学ばない間に、過ぎ去ることも良くあることなのです。それでは、何のために生まれてきたのか分からないといえましょう。次の人生に行くことになっても、その人生でも仏道を学ぶために、この人生で極めておかなければならないのです。

自己を捨てること

2009-01-02 04:57:25 | 『正法眼蔵随聞記』
 夜話に云く、祖席に禅話を覚リ得ル故実は、我ガ本ヨリ知り思ふ心を、次第に知識の言に随ツて改めて去くなり。
 仮令仏と云フは、我ガ本知ツたるやうは、相好光明具足し、説法利生の徳有リし釈迦弥陀等を仏と知ツたりとも、知識若シ仏と云フは蝦蟆蚯蚓ぞと云はば、蝦蟆蚯蚓を、是レらヲ仏と信じて、日比の知恵を捨ツルなり。こノ蚯蚓ノ上に仏の相好光明、種々の仏の所具の徳を求ムるもなほ情見改まらざるなり。ただ当時の見ゆる処を仏と知るなり。若シ是のごとク言に従ツて、情見本執を改めてもて去けば、自ラ合ふ処あるべきなり。
 然ルに近代の学者、自らが情見を執して、己見にたがふ時は、仏とはとこそ有るべけれ、また我ガ存ずるやうにたがへば、さは有ルまじなんどと言ツて、自が情量に似タる事や有ると迷ひありくほどに、おほかた仏道の昇進無きなり。
 また身を惜シミて、「百尺の竿頭に上ツて手足を放ツて一歩進め。」と言フ時は、「命有ツてこそ仏道も学せめ。」と云ツて、真実に知識に随順せざるなり。能々思量スベシ。
    『正法眼蔵随聞記』巻2-10


どうしても、「仏」というと、釈尊や阿弥陀仏といった、素晴らしい覚者ばかりを想像してしまいますが、禅宗では、カエルやミミズが仏であると説きます。そのようなとき、我々は自分自身の見解に固執し、釈尊や阿弥陀仏ばかりに執着してしまいます。

しかし、道元禅師はそのような自分の見解を捨てなければ、仏道を学ぶことはできないとしているのです。指導者に就いたとき、その指導者の見解を第一にしながら、仏道を学ぶことが必要だとされているのです。

身心を惜しむことなく、百尺の竿の先から、全身心を投げ捨てるようにして学ぶ必要があるのです。我々はどうしても、自分自身が可愛いですから、そのようなことをすれば、死んでしまう、元の自分と変わってしまう、とばかり考えています。しかし、本来、そのような元の自分などは存在しないものです。勝手に、自分自身で、有ると仮設しているだけです。

ですので、捨ててしまえば良いのです。そして意外と、捨てても、新しい自分がすぐに作られていきますので、大丈夫なものなのです。

或る官僚の出家

2008-12-30 05:34:24 | 『正法眼蔵随聞記』
 示ニ云ク、昔、智覚禅師と云ツし人の発心出家の事、こノ師は初メは官人なり。富に誇るに正直ノ賢人なり。有ル時、国司たりし時、官銭を盗ンで施行す。旁ノ人、是レを官奏す。帝、聴イて大イに驚き恠しむ。諸臣皆恠シむ。罪過已に軽カラず。死罪に行なはるべしと定マりぬ。
 爰に帝、議して云ク、「こノ臣は才人なり、賢者なり。今ことさらこノ罪を犯す、若シ深キ心有ランか。若シ頚を斬ラン時、悲シミ愁たる気色有ラば、速ヤカに斬ルベシ。若シその気色無クんば、定めて深キ心有り。斬ルベカラず。」
 勅使ひきさりて斬ラント欲スル時、少シも愁の気色無し。返りて喜ぶ気色あり。
 自ラ云ク、「今生の命は一切衆生に施ス。」と。
 使、驚き恠シンで返り奏聞す。
 帝云ク、「然り。定メて深キ心有らん。こノ事有るべしと兼ネて是レを知れり。」ト。仍ツてその故を問フ。
 師云ク、「官を辞して命を捨て、施を行じて衆生に縁を結び、生を仏家に稟けて一向ニ仏道を行ぜんと思フ。」と。
 帝、是レを感じて許して出家せしむ。仍ツテ延寿と名を賜ヒき。殺スベキを、是を留むる故なり。
 今の衲子も是レほどの心を一度発すべきなり。命を軽くし生を憐レむ心深くして、身を仏制に任せんと思ふ心を発すべし。若シ前よりこノ心一念も有らば、失はじと保つべし。これほどの心一度発サずして、仏法ヲ悟る事はあるべからず。
    『正法眼蔵随聞記』巻2-9


これは、永明延寿という人の出家の様子を示しています。このように、中国の官僚は、士大夫という、一種のパワーエリートでしたが、彼らは自らをなげうって出家するという、一種の厭世観を持ちながら人生を生きていました。

この延寿もまた、官僚として生きながら、何かの機会に出家しようと考えていました。そこで、国のお金に手を着けて、その横領したお金を、他人に施していました。当然、当時の皇帝はそれを罰しようとしますが、皇帝も名君であり、これには何か「裏がある」と思っていました。そして、延寿の様子を見ながら、死罪にするかどうかを決めようとしたのです。

結果、延寿には出家したいという想いがあることが分かり、皇帝はその罪を許して、出家する際に「延寿」という名前まで与えたのです。その時の延寿の言葉、「今生の命は一切衆生に施ス。」というのは良いですね。まさに、これこそ捨身供養の理想です。

そして、実際に僧侶として、一切の衆生に対し捨身したのです。我々も、そのように捨身をしながら生きています。何か、悩み事などがあれば、特に、「自我」から来ているものだと判断されれば、我々にはその解決法を提示することが可能です。ご遠慮なく、ご相談下さい。

【お知らせ】

曹洞宗・満福山城国寺では、12月31日午後10時から「除夜の鐘」をつくことが出来ます。希望される方は、当日当山までお越し下さい。

場所:宮城県栗原市花山草木沢宿34番地
アクセス:東北自動車道築館インターから西に40分
      東北新幹線くりこま高原駅から西に1時間