栃木県県立博物館、庭園などがある宇都宮市睦町の 県中央公園は、かつて専売公社の工場があり、さらにそこから南のJR鶴田駅まで 専用線の鉄道が走っていた。
資料によると、開通/廃止時期については昭和27~8年頃開通し昭和50年後半頃廃止と思われる。昭和52年に同専売公社の工場が宇都宮市清原地区に移転したという事らしいので、専用線も使用されなくなった。専用線跡はその後全線が「なかよし通り」という自転車・遊歩道になった。
上の空中写真は 左側が1974年(昭和49年)のもので、右側が近年2008年頃のものである。右が2008年のものかどうかははっきりしないが(yahoo航空写真)、中央公園と宇短大付属高の間に現在開通している、鹿沼街道と平行して走る市道がまだ開通していないからそう判断した。 縮尺は若干違うが大きさを合わせて見た。住宅の密集度などの違いはあるが、道路の形状はさほど変わりない。 左の1974の写真の赤点線の部分が引込み線である。昭和49年の写真だからまだ引込み線は存在していたのだろう。
右の画像の近年の引込み線跡はそのままの道路として引き継がれているのが判る。
あと、現在の市立明保図書館、市文化会館、コミュニティセンターの敷地は、昔確か刑務所跡だった。小学生の頃自転車で南宇都宮~東武宇都宮方面に遊びに行くときここを通ると、高い塀に囲まれた監視塔があった記憶がある。カメラなど持ってなかったから写真がない・・
さて現在の 中央公園>専売公社>・・それ以前はどうなっていたのだろうか?
明治40年になって陸軍省より「陸軍常備団警備表」の改正によって第14師団が正式に宇都宮に配置されることが告示された.それによれば第14師団は,その組織下に師団司令部(現国立栃木病院)を筆頭として歩兵第28旅団司令部,歩兵第59連隊と歩兵第66連隊(現宇都宮中央女子高校),輜重兵第14大隊と騎兵第18連隊(現作新学院),野砲兵第20連隊(現宇都宮短大附属高&中央公園),から構成されるものとなっていたらしい・・ 宇都宮は軍都で陸軍第14師団があったということはかねてから興味があった。そのうち戦跡めぐりなど歴史調査でもやってみようか。 餃子が宇都宮に広まったのも 第14師団の存在が、宇都宮の餃子を誕生させる大きな要因になったことはあまりにも有名。
じゃあ自転車で始点となる中央公園から北に走って鶴田駅までの道路をポタリングしよう。
始点となる中央公園の駐輪場。自転車はここまでで公園内乗り入れ禁止。門を入ると日本庭園のエリア
南に向かって走り出す。街路樹と閑静な住宅街の中を走る
車道が交差する場所は車止めが配置されている。ここは富士見小学校付近か?
街灯も整備されここにかつて線路があったなど思いもよらない
なかよし通りの立派な石碑 旧楡木街道がクロスする
鹿沼インター通りの出会い箇所から南の方を眺めたところ。黄/黒の柵がかつて踏み切りがあった名残りの遺跡である。昔、ここを走っている気動車を見た記憶はない。小さな汽車が走っていたとも聞くが・・ 道路をクロスするこの場所では汽車が横断するときは、線路の係員が車の通行を止めて交通整理をしていたらしい。 線路があったのは記憶の片隅にかすかに残っている。無論写真はないが。
鹿沼インター通りを横断するのに手押し式の歩行者用信号/横断歩道が在るから迂回しないでも済む。インター通りを渡ってから、南方をみる
インター通りから北方も閑静な住宅街の中を進む
クロスする車道とコンクリートの車止め
もう鶴田駅が近い 左側の白いビルの向こうは栃木街道をはさんで宇都宮高校あたり
前の道路は 鶴田駅前の通り・・ 自転車駐輪ビルや郵便局のある通り
ここで道路に突き当たり終点。 南の方を見る
上の写真の終点付近を近年の航空写真の拡大したもので見ると、鉄工所の屋根が確認できる
1949年(昭和24年)に米軍が撮影した航空写真の同鶴田駅周辺。引込み線写ってますね。(矢印)。しかし昭和20年7月に宇都宮が空襲に遭っているからそれから4年後の写真だなんて・・すごいね
資料によると、開通/廃止時期については昭和27~8年頃開通し昭和50年後半頃廃止と思われる。昭和52年に同専売公社の工場が宇都宮市清原地区に移転したという事らしいので、専用線も使用されなくなった。専用線跡はその後全線が「なかよし通り」という自転車・遊歩道になった。
上の空中写真は 左側が1974年(昭和49年)のもので、右側が近年2008年頃のものである。右が2008年のものかどうかははっきりしないが(yahoo航空写真)、中央公園と宇短大付属高の間に現在開通している、鹿沼街道と平行して走る市道がまだ開通していないからそう判断した。 縮尺は若干違うが大きさを合わせて見た。住宅の密集度などの違いはあるが、道路の形状はさほど変わりない。 左の1974の写真の赤点線の部分が引込み線である。昭和49年の写真だからまだ引込み線は存在していたのだろう。
右の画像の近年の引込み線跡はそのままの道路として引き継がれているのが判る。
あと、現在の市立明保図書館、市文化会館、コミュニティセンターの敷地は、昔確か刑務所跡だった。小学生の頃自転車で南宇都宮~東武宇都宮方面に遊びに行くときここを通ると、高い塀に囲まれた監視塔があった記憶がある。カメラなど持ってなかったから写真がない・・
さて現在の 中央公園>専売公社>・・それ以前はどうなっていたのだろうか?
明治40年になって陸軍省より「陸軍常備団警備表」の改正によって第14師団が正式に宇都宮に配置されることが告示された.それによれば第14師団は,その組織下に師団司令部(現国立栃木病院)を筆頭として歩兵第28旅団司令部,歩兵第59連隊と歩兵第66連隊(現宇都宮中央女子高校),輜重兵第14大隊と騎兵第18連隊(現作新学院),野砲兵第20連隊(現宇都宮短大附属高&中央公園),から構成されるものとなっていたらしい・・ 宇都宮は軍都で陸軍第14師団があったということはかねてから興味があった。そのうち戦跡めぐりなど歴史調査でもやってみようか。 餃子が宇都宮に広まったのも 第14師団の存在が、宇都宮の餃子を誕生させる大きな要因になったことはあまりにも有名。
じゃあ自転車で始点となる中央公園から北に走って鶴田駅までの道路をポタリングしよう。
始点となる中央公園の駐輪場。自転車はここまでで公園内乗り入れ禁止。門を入ると日本庭園のエリア
南に向かって走り出す。街路樹と閑静な住宅街の中を走る
車道が交差する場所は車止めが配置されている。ここは富士見小学校付近か?
街灯も整備されここにかつて線路があったなど思いもよらない
なかよし通りの立派な石碑 旧楡木街道がクロスする
鹿沼インター通りの出会い箇所から南の方を眺めたところ。黄/黒の柵がかつて踏み切りがあった名残りの遺跡である。昔、ここを走っている気動車を見た記憶はない。小さな汽車が走っていたとも聞くが・・ 道路をクロスするこの場所では汽車が横断するときは、線路の係員が車の通行を止めて交通整理をしていたらしい。 線路があったのは記憶の片隅にかすかに残っている。無論写真はないが。
鹿沼インター通りを横断するのに手押し式の歩行者用信号/横断歩道が在るから迂回しないでも済む。インター通りを渡ってから、南方をみる
インター通りから北方も閑静な住宅街の中を進む
クロスする車道とコンクリートの車止め
もう鶴田駅が近い 左側の白いビルの向こうは栃木街道をはさんで宇都宮高校あたり
前の道路は 鶴田駅前の通り・・ 自転車駐輪ビルや郵便局のある通り
ここで道路に突き当たり終点。 南の方を見る
上の写真の終点付近を近年の航空写真の拡大したもので見ると、鉄工所の屋根が確認できる
1949年(昭和24年)に米軍が撮影した航空写真の同鶴田駅周辺。引込み線写ってますね。(矢印)。しかし昭和20年7月に宇都宮が空襲に遭っているからそれから4年後の写真だなんて・・すごいね
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