徒然なる写真日記

趣味に関する事や、日々の中での出来事を脈絡もなく貼り付けていく絵日記帳ブログです

大谷鉄道の遺構

2014-04-12 00:52:12 | 栃木の廃線(鉄道)探索
宇都宮環状道路から
姿川コミュニティイセンターの脇を西川田に向かう道路の左側の空き地に
旧 大谷線の遺構である鉄の橋桁がつい最近現れた。以前は藪に囲まれて、なかなか確認しずらかったが、春先に藪を刈ったようだ。

もう半世紀位前になるのだろうか、この場所を大谷地区から 東武鉄道の西川田駅まで蒸気機関車が 大谷石の石材をつんで走っていたのだ。
残念ながら幼少時代にその汽車が走っているのを見たことはない。しかし、宇都宮環状線が開通するまでは、鶴田駅周辺には大谷線の堰堤跡やクロスガーター橋など多くの遺構があった。実際過去にその跡をたどった事もあった。

2009年撮影。この頃は藪に囲まれていた赤い鉄橋


同2009年撮影。線路の枕木みたいなものもあった


今回、藪が刈られて橋と大谷石の橋台が姿を現した。道路側から見る


短く幅は狭い。現在は下に水は流れていないが、この辺は昔は低い土地で小さな沢が流れていた様だ


橋台も当時の原型を留めている


現在は資材置き場の様な一角にある。




遠き日の風景を想像してみる



北側の宅地側から見た古い木杭の囲いに覆われた土地。かつての東武鉄道の管轄地なのか、個人の所有地なのかは不明


遺構の橋桁を望む道路を東に行くと、栃木街道を横切り、さらに直進すると東武宇都宮線の陸橋を渡り旧競馬場方面へ


西側に鶴田川が流れ、この川に沿って線路があった。遺構から北を見る。線路はこの先、黒木橋という橋をまたいで、
現環状線の場所を北に続いていた
かつて大谷線が敷設されていた場所は東武不動産が手がけた”東武シティ”という分譲住宅地になっている


2009年以前の航空写真。現在とほぼ同じ。姿川コミュニティセンター?はまだ建ってない模様。赤矢印が遺構場所


1968年の航空写真。未だ大谷線が敷設されていた頃。鶴田川も現在のように護岸工事されていないようで川の流れが違うのかもしれない
宇都宮環状線も脇の道路も当然まだなく、民家もまばら。のどかな田園風景の中を大谷線は走っていたのだろう。
大まかな位置を推測で入れてみた。


少し拡大。うーん 本当にこの場所かどうか怪しいな


一体いつまで残っているのだろう。案外近いうちに撤去されてしまうかもしれない。


帰りにもう1つ 遺構というか・・未だ残っているかどうか見に行った

大谷石の集積場の駅だった旧下荒針駅(現 城山コミュニティセンター)から大谷線はJR鶴田駅と、東武西川田駅に分岐していた
この場所は 現在環状線のコンビニとバイク屋の間の畑地の裏のどんずまりの道。現環状線を横切ってここからJR鶴田駅まで線路が延びていた。



どんずまり地点から北を望む。現在の道路がかつての大谷線。右側の少し高くなった部分は堰堤になっていたのだろうか


それともこの畑から続く直線が大谷線あとなのか


この道路を少し歩くと右側に古い電柱のようなものが1本だけ残っている。標識とかはないが当時の電柱か通信用の柱のようだ





























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2 コメント

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大したもんです。 (sinbell)
2014-04-12 08:01:38
いやー、良い物を見せてもらいました。1968年の江曽島駅周辺の航空写真はなかなか見られるものではありません。
当時私はまだ小学3年生(陽南小)でした。大谷鉄道跡はその頃にはまだ線路があり、そこを通ってカブトムシ取りに行ったりしてましたね。大変懐かしいですね。
また懐かしいものがあったら宜しくお願いします。
(PS)最近ロードバイクの話題がめっきり出てきませんが、マドン乗りの仲間としては寂しいです。たまには一緒にライド行きませんか?
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reコメント (eibu)
2014-04-13 23:58:32
自分は鶴田駅周辺の遺構が未だ記憶にあるのですが、その頃はあまり鉄道に興味がなく、小学生の頃線路が残っていたのを見たのは専売公社の専用線だけです・・
環状線造成前の鶴田駅近くの堰堤はビデオがあったのでそのうち編集してUPします
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