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徒然なる写真日記

趣味に関する事や、日々の中での出来事を脈絡もなく貼り付けていく絵日記帳ブログです

2019会津田島祇園祭・屋台運行・子供歌舞伎

2019-07-26 23:40:31 | 福島景勝地/裏磐梯
2019 7/22 福島県南会津町(会津田島)

会津田島祇園祭は、鎌倉時代の文治年間(1185年頃)、時の領主長沼宗政の祇園信仰により、この地に祇園の神(牛頭天王須佐之男命)を居城鎮護の神としてまつり、祇園祭の制を定め、旧来よりの田島鎮守の田出宇賀神社の祭りと共に行われた事が起源とされています。この祭りは古くより『西の祇園社、中の津島社、東の田出宇賀社』と言われ日本三大祇園祭の一つと称し伝えられています。


明治12年より田出宇賀神社の祇園祭日に併せ、隣地にまつる熊野神社祭礼を祇園祭の格例に準じて行うことが定められました。


神社への参道も陽が落ちると提灯が灯る


お党屋制度(国指定重要無形民俗文化財)
 会津田島祇園祭は、お党屋制度とよばれる現在9組の当番お党屋組が、1年間党本の家を支えて祭事を担当する制度によって運営されています。当番お党屋組を中心に、去年のお党屋組「渡し」と、来年のお党屋組の「請取り」3組が織り成す祇園祭は1年がかりの大行事です。この820余年の伝統が、昭和56年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。

今年の当番お党屋は老舗の蕎麦屋さん


大屋台は子供歌舞伎の移動舞台で、前半分が舞台、後半分が楽屋となっており、芸場(歌舞伎を披露する家の前)への巡回路をめぐって、世話人同士の駆け引きが続く。


大屋台には屋台世話人が付き添って運行の指示を出す。大屋台は各町内の中学生以上の男子等が押す。大屋台の運行は、「芸場」と呼ばれる各屋台のしきたりによって定められた氏子の家に屋台を止め、その家の家人に子供歌舞伎を1幕披露する形をとる。子供歌舞伎を終えて芸場へ移動する間、舞台には子供たちが乗り、「オーンサーンヤレカケロ」と調子よく囃し立てる。


昔は、大屋台に乗れる子供も女人禁制であった。オーンサーンというのはオジサン、おっさんの事で、ヤレカケロは早く駆けろという意味。大屋台の押し手への応援と言われています。興は乗って古来の喧嘩屋台を偲ばせ、まつりの雰囲気を盛り立てる。








「一谷嫩(いちのたにふたば)軍記 須磨(すま)の浦の段」
源平合戦のエピソードの一つ。源氏の武士・熊谷直実と平家の若武者・敦盛が戦場で遭遇する。その時、敦盛の許婚・玉織姫は愛する敦盛を探し須磨の浦に迷い出る





絵本太功記
時津風日の出の松 鴫山城内の段・・・南会津オリジナル演目。戦国時代、伊達正宗の軍勢に責められた鴫山城。戦になれば滅亡は明らか。家老の隼人之助は自分の命と引き換えに和睦を嘆願する。

これは演題のプログラムに載っていなかった。










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