3/11(日) 奈良 長谷寺に参拝した後、近鉄奈良へ。
東大寺の大仏殿をゆっくり見て、再び二月堂。17時。開始まで2時間あるが
近い場所で見たかったのでそのまま位置取り。しかし生憎冷たい雨が降ってきた。
傘をさして皆と同じく立って待っていた。19時近くになると幸いにも雨はあがり・・
大勢の観衆の見守る中、お松明に火がともされる。
奈良・東大寺二月堂では、1261回目の修二会(お水取り)が
開催された。
修二会は、二月堂ごの本尊十一面観音様に、東大寺の僧侶が人々にかわって 罪を懺悔して国家の安泰と万民の豊楽を祈る法要。
本日のお松明
先端部。松の葉
青々しい葉
舞台の近く,左側の階段にも近いこの位置に場所を取りました。階段状の雛壇になっていて3列目くらいだった
近くで見ると迫力がある。
松の焼ける匂いと少しの熱気も感じられ、舞う火の粉が闇を照らす
以降 ずっとファイヤー画像です。少し単調ですが・・
お松明の火の粉を浴びる事は叶わなかったが、浴びると一年間、無病息災とも
12日にはひと回り大きい「籠松明」が出てこの日は普段の倍の40分間繰り広げられるとの事。
本堂の舞台全体が炎に包まれている写真がよく紹介されているが
あれは3月14日のお松明最終日。この日は時間が10分程度と短い分、お松明10本が一斉に舞台に上がる。
入場も報道関係者以外は制限されるようだ
10本のお松明が終わり、境内に灯りが戻ると、人々は我先に本堂への階段を駆け上がって行く。。
何かあるのかと思ったが後で調べると、お松明の燃えカスを持って帰ると護符代わりになると言われているのだ。
1261年前と同じ事を 変わることなく、これからも永遠に。
うましうるわし奈良(JR東海)↓
東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)は、天平勝宝4年(752)、東大寺開山良弁僧正(ろうべんそうじょう)
の高弟、実忠和尚(じっちゅうかしょう)によってはじめられたと伝えられます。
以来一度も途絶えることなく続けられ、平成13年(2001)には1250回を数えました。
この法会は、現在では3月1日より2週間にわたって行われていますが、もとは旧暦の2月1日から行われて
いましたので、二月に修する法会という意味をこめて「修二会」と呼ばれるようになりました。
また二月堂の名もこのことに由来しています。
行中の3月12日深夜(13日の午前1時半頃)には、「お水取り」といって、若狭井(わかさい)という井戸から
観音さまにお供えする「お香水」を汲み上げる儀式が行われます。また、この行を勤める練行衆(れんぎょうしゅう)
の道明かりとして、夜毎、大きな松明に火がともされ、参集した人々をわかせます。このため「修二会」は「お水取り」
・「お松明」とも呼ばれるようになりました。
12月16日(良弁僧正の命日)の朝、翌年の修二会を勤める練行衆と呼ばれる11名の僧侶が発表され、明けて2月20日より
別火(べっか)と呼ばれる前行が始まり、3月1日からの本行に備えます。そして3月1日から14日まで、二七ヶ日夜(二週間)
の間、二月堂に於て修二会の本行が勤められます。
「修二会」の法要は、正しくは「十一面悔過(じゅういちめんけか)」といい、十一面観世音菩薩を本尊とし、「天下泰平」
「五穀豊穣」「万民快楽」などを願って祈りを捧げ、人々に代わって懺悔の行を勤めるものです。前行、本行をあわせてほぼ1ヶ月、
準備期間を加えれば3ヶ月にも及ぶ大きな法要となります。
東大寺の大仏殿をゆっくり見て、再び二月堂。17時。開始まで2時間あるが
近い場所で見たかったのでそのまま位置取り。しかし生憎冷たい雨が降ってきた。
傘をさして皆と同じく立って待っていた。19時近くになると幸いにも雨はあがり・・
大勢の観衆の見守る中、お松明に火がともされる。
奈良・東大寺二月堂では、1261回目の修二会(お水取り)が
開催された。
修二会は、二月堂ごの本尊十一面観音様に、東大寺の僧侶が人々にかわって 罪を懺悔して国家の安泰と万民の豊楽を祈る法要。
本日のお松明
先端部。松の葉
青々しい葉
舞台の近く,左側の階段にも近いこの位置に場所を取りました。階段状の雛壇になっていて3列目くらいだった
近くで見ると迫力がある。
松の焼ける匂いと少しの熱気も感じられ、舞う火の粉が闇を照らす
以降 ずっとファイヤー画像です。少し単調ですが・・
お松明の火の粉を浴びる事は叶わなかったが、浴びると一年間、無病息災とも
12日にはひと回り大きい「籠松明」が出てこの日は普段の倍の40分間繰り広げられるとの事。
本堂の舞台全体が炎に包まれている写真がよく紹介されているが
あれは3月14日のお松明最終日。この日は時間が10分程度と短い分、お松明10本が一斉に舞台に上がる。
入場も報道関係者以外は制限されるようだ
10本のお松明が終わり、境内に灯りが戻ると、人々は我先に本堂への階段を駆け上がって行く。。
何かあるのかと思ったが後で調べると、お松明の燃えカスを持って帰ると護符代わりになると言われているのだ。
1261年前と同じ事を 変わることなく、これからも永遠に。
うましうるわし奈良(JR東海)↓
東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)は、天平勝宝4年(752)、東大寺開山良弁僧正(ろうべんそうじょう)
の高弟、実忠和尚(じっちゅうかしょう)によってはじめられたと伝えられます。
以来一度も途絶えることなく続けられ、平成13年(2001)には1250回を数えました。
この法会は、現在では3月1日より2週間にわたって行われていますが、もとは旧暦の2月1日から行われて
いましたので、二月に修する法会という意味をこめて「修二会」と呼ばれるようになりました。
また二月堂の名もこのことに由来しています。
行中の3月12日深夜(13日の午前1時半頃)には、「お水取り」といって、若狭井(わかさい)という井戸から
観音さまにお供えする「お香水」を汲み上げる儀式が行われます。また、この行を勤める練行衆(れんぎょうしゅう)
の道明かりとして、夜毎、大きな松明に火がともされ、参集した人々をわかせます。このため「修二会」は「お水取り」
・「お松明」とも呼ばれるようになりました。
12月16日(良弁僧正の命日)の朝、翌年の修二会を勤める練行衆と呼ばれる11名の僧侶が発表され、明けて2月20日より
別火(べっか)と呼ばれる前行が始まり、3月1日からの本行に備えます。そして3月1日から14日まで、二七ヶ日夜(二週間)
の間、二月堂に於て修二会の本行が勤められます。
「修二会」の法要は、正しくは「十一面悔過(じゅういちめんけか)」といい、十一面観世音菩薩を本尊とし、「天下泰平」
「五穀豊穣」「万民快楽」などを願って祈りを捧げ、人々に代わって懺悔の行を勤めるものです。前行、本行をあわせてほぼ1ヶ月、
準備期間を加えれば3ヶ月にも及ぶ大きな法要となります。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます