第三の青春-じろさん本舗

地域デザイン、エコツーリズム、山芋四方山話
田舎暮らし奮戦記! じろさん本舗プレゼンツ

ゴジラ襲来!食料危機

2008年06月30日 | ■地域・就農の情報

 最近になってやっと食料危機を特集する番組も増えてきましたが、まだまだ世論は人ごとのように物価高の方だけに気が行っているようです。日本農業新聞では、この関連の情報が豊かだ。論点の「命と心の支え/食をもっと大事に(鎌田 實)」の感想を二つ。

 鎌田 實医師は「住民とともに作る地域医療」の最前線に取り組んでいる。1991年にはチェルノブイリ原子力発電所被爆事故の患者の治療にも協力。著書「がんばらない」は2001年に西田敏行主演でテレビドラマとしても放映された。
 今日の「論点」の記事は、チェルノブイリ放射能障害で亡くなった少年と日本人治療チームとの話を絵本にした「雪とパイナップル」についての話でした。(感想のもう一つの)詳しくは明日にでも全文紹介いたしますが、最近テレビで瀬戸内寂聴さんが「泣けた!泣ける!」の発言でこの本が注目されてきたらしい。

 この話の舞台を産み出した22年前の「チェルノブイリ発電所事故」は私にとっても暗い記憶として心に貼り付いています。ソ連当局は事故を隠蔽しました。大きな原子力事故が起こったという初期の情報はソ連からではなく、スウェーデンから伝えられ始めました。少しずつ事故の実態が明らかになり、一体どれだけの放射能がソ連国内やヨーロッパに巻き散らかされ、そして日本にも押し寄せてくるものか、不気味な恐怖感だけが日々高まっていったのをよく覚えています。

 まだ地上(大気圏内)でボカスカ核実験競争を行っていた冷戦時代、その真っただ中に育った団塊世代周辺には、「雨にぬれたら頭がハゲるゾ!」 などの生々しい放射能への恐怖感を植え付けられてきました。現代における反核兵器・環境保護からの反原発の理屈だけから出発した世代には理解し難い感覚かもしれません。
この感覚は「ゴジラ」で説明すれば分かりやすい! 今でこそヒーローのゴジラだが、私にとっては不気味で世界を破壊し尽くす巨大なバケモノでしかありませんでした。もちろん映画制作者の誕生のコンセプトが「原爆=ゴジラ」であった訳ですが
、見事にその放射能という目に見えない恐怖を実体化させたものでした。
建物を壊しながら「ど~ん!」「ずし~ん!」という足音とともに近づいてくるゴジラのあの恐ろしさは、現代のモノではなかなか表現し切れません。(この歳になってもあのシーンを思い出すと身が縮みます)
 2作目でゴジラは北海道の北方の島で自衛隊(米軍ではない)に氷漬けされ、閉じ込められてしまいます。これは、チェルノブイリの原子炉を閉じ込めるためにヘリから、何千トン何万トンの砂嚢を投下したというソ連軍の非常作戦とピッタリ合致しています。

「ゴジラは原水爆と空襲のメタファーである」という説は、戦後~団塊世代では常識ですが、その後、ヒーローへと転身したゴジラが再び、環境異変や食料危機の権化として我々を襲いに舞い戻ってくるのはもう目の前のことです。その時は、もう決して日本人を救ってくれるヒーローは登場しません。と思いませんか?

チェルノブイリ原子力発電所の画像は「海外で活躍する日本人細胞検査士」より拝借しました。


フィトンチッドのシャワー

2008年06月20日 | ■遊歩資料アーカイブ

久しぶりに”遊歩”の話題を。
”遊歩”とは自己の探求、自己の再発見、自己の表出だ!と、時間さえあれば昼夜の区別なく、六甲山中を彷徨うように歩いていた頃は、今思い返すと随分と自然に癒され元気をいただいていたものでした。ストレスにまみれた身体を、森の緑に預け樹々をすり抜け、沢の清水に浸しながら黙々と歩くことで、芯から浄化していたのでしょう。これほど心身が健全であった時期は、この頃を外してなかったでしょう。
最近、「歩き」が健康法に積極的に取り入れられて、いろんな形のウォーキングを見ることができます。良く見かけるのが、腕をくの時に曲げて、競歩のようにせかせか歩くウォーキングです。あれは全く感心できません。
有酸素運動がどうだ、何分で何カロリー燃焼したとか、そういう計算が先にあって、足下の雑草や小花を見る余裕もままならいとなれば、これは逆にストレスを貯めているようなものです。やはりロハスな遊歩というのは、自然に身をゆだね、心をとけ込ませたところに在ると思います。

森林浴という言葉がすっかり定着していますが、私が六甲山を歩き出した20数年前では珍しい言葉でした。それもそのはず日本では1982年に当時の林野庁などによって提唱され、長野県の赤沢自然休養林が発祥地とされています。官民で組織して研究を進めている「森林セラピー研究会」が、その中心的な役割を担っているらしいが、現在、日本全国で35ヶ所のセラピー「基地」や「ロード」が認定されている。
山口県下では、前回の記事にもあった旧徳地町の「ブナ天然林と樹齢200年以上のアカマツ林」エリアが森林レラピーの基地作りに取り組んでいる。樹木が発散する香り成分「フィトンチッド」が医学的にもストレスホルモンを低下させるのが実証されています。昨今は森林浴というのはアウトドア・スポーツという分野というよりは、医学治療への利用・活用に注目を浴びいて、その取組みが本格化しています。

終日のんびりと、嫌というほどにフィトンチッドのシャワーを浴びてみたいものですが、まずはその前にストレスの少ない生活を築いていくことが先決のようです。

 風の中おのれを責めつつ歩く 〔山頭火〕

う~ん、これはこの歩きは辛いですね。ストレスが溜ります。
★写真はフィトンチッドの塊がゴロゴロしているような針葉樹林。マツとかヒノキに成分が多いらしい。

■遊歩調査関連記事
 遊歩資料館アーカイブ(2010年収録)に目次があります。









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家族が増えました。

2008年06月11日 | ■日記など

梅雨の空模様が続いております。
皆さん定植や田植えやあれこれと、この時期は大変忙しかったでしょうが一段落されましたでしょうか?
私のところでは、じいちゃんとこの田植えの助っ人(余り戦力にはなりませんが)で4反ほど植えてきました。あと小学校のプール掃除(暑くて辛かった)やら、地域の草刈の助っ人や自然薯定植など、この2~3週末は大忙しでした。

「山芋の里」のコロちゃんを見てからは、我が家にもワンちゃんを!という世論が娘二人を中心に騒がしくなってきた折、先週に情報誌「ホップ」に可愛いワンちゃんあげます。という記事があって、2日ほど間をあけて日曜日に電話してみることになりました。この間に居なくなっていたら諦めよう、まだ残って居るようだとその「ご縁」にあやかって育ててみようと、ちょっとしたギャンブルをしました。

結果、最後の1匹(メス)が残っておりましたので、これは御縁をいただいたものだと早速、熊毛町まで走って、写真のような子犬(生後6週)をいただきました。そのお宅のおばあちゃんともご縁があったようで、帰り際に「貴方は神戸の方ですか?」と出身をピッタリ当てられてびっくり、聞いてみると、私の育った生家(神戸旧葺合区)のすぐ近くに住んでおられたそうです。お嫁入りで山口県へ来られたそうです。
おなじ関西弁でも、微妙に神戸、大阪は違っているのですね。本人には分からんのですが・・・。

子供らの希望で、名前は仮に「クッキー」と付けました。これで我が家も5人家族となります。(内4名が女性!)家族と表現すればオーバーな感じもあったですが、やはり子供と同じように手がかかってしまいます。親元を離れて寂しいのでしょう。夜泣きが大変でした。「チック タック」と音のする時計が効果があるとのことで、大きな柱時計を犬小屋(手製の)に入れやると少し気が紛れたみたいです。でも夜泣きが続きそうなので、翌日は私が玄関でクッキーと一緒に寝る羽目になりました。人の気配を感じて安心なのか、夜泣きは一度だけですみました。
朝は散歩の催促があるので起床が4時半になってしまいました。今後、犬のしつけ方も勉強しなくてはいけない。
あ~あ、お父さんはキッチン菜園(十坪菜園)に手がまわらなくなるかも。

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放浪、遍歴の旅~『私に向かう旅』としての遊歩

2006年12月09日 | ■遊歩資料アーカイブ

 【遊歩のススメ】No.05

■放浪、遍歴の旅にみる遊歩
スポーツとしての遊歩に始まって、冒険そして前回はアートと進んで、今回は予告通り遍歴の俳人・山頭火が登場です。

「遊歩とは、限りなき自己への旅立ち」…。ここまで少しずつ「遊歩」の核心に近づいてきましたが、ここで少し「遊歩」と旅、それも「放浪の」とか「遍歴の」と形容される「旅」とのかかわりを考えてみたいと思います。こういう旅に身を置いた先人、身を投げ出した方々は数多くいます。古から、学問にしろ、武術にしろ、宗教上の修行にしろ、また、ごく些細なきっかけにしろ、とにかくもあてどなく、または何かを求めて「歩き」始めた人々の、それぞれの軌跡を追ってみるのも「遊歩」を深める大きなヒントになるやもしれません。

 そういう先人の一人に山頭火がいます。このブログにも度々に引用させていただいています。奇しくも3年前にこの地(山口県)へ移住してきて、近くにあった彼の人の生家近くへも寄ってみましたが、地の人たちの山頭火への視線は、外部で抱いている孤高の俳人という視線とは少し違っているようでした。生活者としての負のイメージ(事業の失敗、夜逃げなど)が強かったようで、やや冷ややかな視線を感じるところもあります。全国的な彼の人への熱いブームもあって、地元でも再評価されたのは、平成の世になってからのようです。
(追記:平成29年になって、やっと種田山頭火顕彰記念館が生家近くにオープン)。

 山頭火のアルバムを20年ぶりに本棚から引っ張り出して読み返しました。もともと私自身、詩歌、俳句などに何の造詣もなく、ブログ用に句をつまみ食いをしているだけで、山頭火へ深く傾斜している訳でもなく、どちらかといえば生活者としてのひ弱さに対して(共感を抱きつつも?)嫌悪を感じることも多くあります。

  分け入っても分け入っても青い山 〔山頭火〕

 この遍歴を告げる句の前書きには「解くすべもない戸惑いを背負うて。行乞流転の旅にでた」と記されています。お堂で悠然と禅をむすんでいるだけでは己を掴まえきれなかった。とにもかくにも居を温めておれずに山頭火は歩き始めたのでしょう。彼にとっては確かな目算があって歩き出したのではなく、背負った戸惑いを解くために、つまり、我執にからまれ動きのとれない心を動かすために、とにかくは「歩き」始めるしかなかったのかもしれません。
「心があることにしがみついて動こうにも動けない。動けない心を動かすためには、体をうごかさなければならない。歩き続けるしかなかった。」

 20数年前、この句に出会った時は、私は唖然としました。C.フレッチャー「遊歩大全」の前書きを、瞳孔が開ききったままで読んだような感動とよく似た、いや全く同質な感動に襲われました。
狂ったような、這いずるような不明の遊歩を続けていた自分を、この15文字の句がすっぽりとおおい包んでくれた。「まるでその通りだろう!」この共感は解脱にちかい感動ともいえます。

「分け入っても分け入っても青い山」 山頭火にとっては、<原郷>を得ない者の このもどかしさを読んだのかも知れないですが、私にとっては青い山のそれ以上でも以下でもない自明の「遊歩」に光をさし照らしてくれるものでした。

▲上の写真/C.フレッチャーの「遊歩大全」の表紙挿絵(左)と山頭火アルバム(春陽堂)のグラビアを拝借しました。

私には、C.フレッチャーと山頭火の後ろ姿が二重に映ります。

『遊歩のススメ』
●読本10:遍歴、放浪の俳人・山頭火に見る〝遊歩〟
●読本6:ウォーキングは健全なる狂気である?(C.フレッチャー/遊歩大全)

 ■遊歩資料館アーカイブ(2010年収録)に目次があります。








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山端ぼう:著つたなき遊歩・ブラインドウォーカー」を出版いたしました。定価¥500

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自分と出会う「アート」なの?

2006年11月22日 | ■遊歩資料アーカイブ

親バカですいません。娘の入選作を学校美術展へこっそり一人で見にいきました。何やら気恥ずかしくてそこそこで退散しました。
と言う訳でアートにちなんだお題に(無理やり)もっていきましょう。

 【遊歩のススメ】No.04

■遊歩は「アート」そのものなのだ!

スポーツとしての遊歩に始まって、冒険と進んできましたが、今回はアートという切り口で「遊歩」を見てみましょう。
「パフォーマンス」という言葉、最近では、今では生活用語ですが、本来は一つの先鋭的な芸術思潮で60年~70年アメリカのアーティストを中心に流行しました。簡単に言えば「アートとは作品そのものでなく、作品にいたるまでの行為こそアートなのだ」と言うことです。
初期の遊歩仲間には、私を含めモダンダンスをやっていたメンバーが数人いたこともあって、「歩き」をダンス表現の一つとして考えてみようという試みがありました。まさに再現不能の一回性アート、六甲山という巨大なステージで、観客不在のパフォーマンスでした。

東お多福山の草原でストレッチをした他は、別に踊りながら歩いた訳ではなく、見かけはごく普通のハイキングとさほど変わりないものでした。しかし、これを期に「歩き」における自己の表出の可能性を深く考えることとなりました。
その後「近所登山パフォーマンス」と称した遊歩を、公募したメンバーで十数回おこないました。参加者の多くが「ん?」「アートとしての歩き?」「自己の表出?」「なんのこっちゃ?」と思いつつ、戸惑いつつ、我が遊歩に付き合ってくれました。
昨今「アウトドア」と称して、実は「インドア」、歩きもせずキャンプ場まで車で来て、ほとんど家にいるのと変わらない設備で、自然をおう歌しているふうな連中が多いですが、そういう似非アウトドアではない、目の前の扉をたたき破って「外へ」うって出ようとするパフォーマンスへと邁進していきました。(イノシシのように)

「山へ行けば、自然に出会えるとは限らない」
「自然と出会うための心とは?」
「自然と出会う時にまだ見ぬ自分を発見する」そして
「己との出会いこそが遊歩なのだ!」

などという屁理屈で立ち向かっても巨大なステージにさんざん跳ねかえされるのがおち、それよりもより自然というステージの中に、素直に溶け込み、自分を委ねてしまうことの方がいかに自分らしくなれるものか。アートとは自己の表出に他ならない。そこには平安な感性や想いだけではなく、屈折したり、押し込められた、歪なものもあるでしょう。この社会のあふれた情報に混乱して、自分自身や自らの進む道を見失いがちな自分をとにかく表出させようと来る日もくる日も歩き続けました。

過酷な登りに喘ごう! 気の根につまずこう! 暗闇に脅えよう! 風や沢の水に感謝しよう! 雪や氷壁に驚こう! 素直に、あるがままに! 

いつの日か、山頂に立つ一歩が大切なのでなく、それに至る全ての一歩が大切だと言うことが、うなずける自分と出会えるようになりました。今までに見知らなかった自分、隠されていた己を発見することが、どれだけ私を自由にさせてくれたか。これぞ素晴らしいパフォーマンスに違いありません。

さあ!次は、いよいよ山頭火の戸惑いの歩きに肉薄する「遍歴の遊歩」がお題なのか?


 舞踏とは自らの肉体と出会うことだ 〔土方 巽〕

   遊歩もまさしくそうありたいものです。



■新ブログ・文人たちに見る〝遊歩〟
・解くすべもない戸惑いを背負う行乞流転の歩き(種田山頭火)
・何時までも歩いていたいよう!(中原中也)

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