四谷怪談映画祭講評 脚本家:金村英明より
四谷怪談映画祭は第一回目ということもあり一般公募にたよらず、かわさきひろゆき氏が中心となって声をかけた10人の監督に作品を出品してもらいました。
かわさき氏の勝れた審美眼のおかげか、大変魅力的な10作品が集まりました。
映画祭でこれだけバラバラで個性的な作品が集まるのは珍しい事だとおもいます。
観客投票するのも一苦労だったのではないでしょうか。その事実は各賞の得票数に如実に表れていました。とにかく票がばらけたのです。その結果、同時受賞する作品が少なく、見事なまでに受賞作がばらけてしまいました。映画祭ではこういったことも珍しく、それだけ魅力的な10作品が集まったのだと実行委員会一同喜んでおります。
おかげさまでたくさんのお客様にも恵まれました。当日の会場は、まるで小劇場で演劇を観るときのように異様な熱気で包まれました。
第一回四谷怪談映画祭は、集客数と上映作品の質両方において成功と呼べる結果が残せたとおもっています。
これも寒い中わざわざ足を運んでくださったお客様、そして魂のこもった作品を出品してくださった監督たちのおかげです。
まことにありがとうございました。
以下、僭越ながら、四谷怪談映画祭の企画発案者である金村英明が引き続き実行委員会を代表して、各作品を上映順に評していきたいとおもいます。
○うつしえ(脚本・監督:坂元啓二)監督賞、男優賞
映画が上映されたときスクリーンの向こうにはこの世とは別のもう一つの世界が広がる。それを映画館の暗闇で目撃したとき観客は「映画を観た」と感じる。そういった映画の基本的な原理を解っている監督だとおもった。坂元監督作には監督が考える「映画とは」が明確にあった。人物が映るサイズ、小道具や衣装、音にいたるまで繊細な注意を払い、恐怖を目に見える形で効果的に表現しようとするその姿勢。ありふれた旅館を惨劇が起こるにふさわしい場所へと変貌させるその撮影技術。さらに、役者が持つ個性を最大限にまで引き出す演出手腕――。印象的な写真を見た時、人はそこに写っていたものを一生忘れることがない。それと同じように、この映画を観たらきっと、そこに映っていた光景が目に焼き付いてしまうことだろう。特に太三さんと星野ゆずさんという存在を観客はどうしても脳裏から脱ぐい去ることが出来ないに違いない。坂元監督の演出力の賜である。自分の作家性と観客の感受性を信じ、あえて説明を省略し、あえて観客の想像力にゆだね、あえてまとまりを持たせなかった。その演出意図に感動し、坂元監督が考える映画の在り方に共感した。そんな作品のパンキッシュな良さが観客にも伝わり、監督賞と男優賞という結果に結びついたのだろう。
○ザ・ボックス(脚本・監督:江尻大)
この映画祭で一番の問題作であった。観客の共感を拒絶し、恐怖で愉しませるどころか生理的に嫌悪を抱かせる作品であった。この作品が上映されている時に気分が悪くなり席を立った観客がいたことがそれを証明している。だからといって批判するつもりは無い。むしろ私は評価されるべき佳い作品だと思う。教科書通りではないキャラクター造形も秀逸だ。80年代に数多くのカルト的なホラー映画が作られたが、江尻監督の作品にはそういったホラー映画の記憶が随所に散りばめられていた。他者の欲望は恐ろしい。そんな人間の生々しい欲望をグロテスクに記録した映画であった。この作品はまるで悪夢である。江尻監督は人間の汚れた本性を識っているのかもしれない、と恐怖すら覚えた。
○猫夜怪談Apocalypselwa(脚本:後藤大輔 監督:大場一魅)脚本賞
この映画祭で唯一のアニメーション作品であった。まず、オリジナリティ溢れる作画が素晴らしい。監督の大場一魅さんは数多くの映画音楽を作曲してきた方だが、このような才能も持っていたことに驚かされる。グロテスクなまでに悲劇的なストーリーなのに、大人だけでなく子供も楽しめ、観たあとに余韻が残る。まるで改竄される以前の恐ろしいグリム童話のような作品だと感じた。脚本の後藤大輔さんは、才能あるプロの仕事をさらっとやってのけ、恐ろしい人間の本質を娯楽として愉しめるストーリーに仕立て上げた。これはなかなかできることではない。脚本賞を獲ってしかるべき作品であり、四谷怪談映画祭を代表する作品の一つだ。アニメーション作家としての大場さんの今後の活躍にも期待したい。
○遺言(脚本・監督:米澤成美)
その人物が死んでも記録された映像は残る。それは非常に恐ろしいことである。積み重ねられる一人の女の自画撮り映像の断片、狂っていく女、整音されていない荒々しい生音……。彼女はもうこの世にはいない。おかしくなって死んでいく過程を、ただ観客は目撃させられる――。ビデオという記録装置が持つ恐ろしさに改めて気づかされた。映画は全て嘘である。しかし、そこに真実が映る瞬間がある。その時、観客は目を背けたくなるほどの恐怖を感じるのかもしれない。この映画の自画撮りシーンでは、米澤成美さんは嘘をつかず、ありのままの自分をさらけ出した。それが、見ているのも恐く目を背けるのも恐い、そんな秀逸なホラー作品にしたのかもしれない。
○子の棲む家(脚本・監督:菊嶌稔章)
オーソドックスなホラー映画だったが、私が企画書を読んだ時に一番楽しみにしていた作品であった。その期待通り、ホラー映画というフォーマットを守り、奇をてらうことなく的確な演出で挑んできた。その姿勢はプロそのものである。しかし出来が良すぎたためか、他の作品が持つ個性に埋もれてしまい、受賞に至らなかった。その事実は、映画人の一人としてあまりにも残念であり、とてつもなく悔しい。なぜこの映画の良さが伝わらない、と叫びたくなった。主演の藤堂海さんをはじめとする役者陣もリアリティある素晴らしい演技をみせてくれた。今までのフォーマットを否定することで新しい映画が生まれるわけでは決して無い。今までさんざんされ尽くされた表現を突き詰めて、新たな物を生み出すことはできる。菊嶌監督にはこのままの演出姿勢で、ホラーに留まらず様々なジャンルに挑んでいって欲しい。そして世間の人々が菊嶌映画と呼ぶような作品を作れるようになって欲しい。とにかく、ウェルメイドな映画を作ることができる的確な演出力を持った職人監督であった。
○岩(脚本・監督:国沢☆実)女優賞、新宿四谷三丁目劇場賞
DV事件が世間を騒がせることが度々ある。男が恋人に暴力を振るう。そこに愛はなかったのだろうか。それは当事者のみが知ることだ。そういったテーマを見事に愛の寓話にまで昇華させた国沢監督の演出手腕には感動させられた。痛々しく悲しく、そして美しい映画だった。プロが撮る自主映画のレベルの違いを見せつけられた。また、それに応えた役者たちも素晴らしい。水井真希さんの女優賞には誰もが納得するだろう。相手役の三貝豪さんも男優賞で数多くの票を集めた。人間の獣のような本性を描き出した脚本とダイナミズム溢れる映像演出、さらに深いテーマ性を持った傑作であった。
○奪欲の仮面(脚本・新芽卓訊 監督:鶴美)
LINEという現代的な題材と「あなたにとって一番大事なものは何?」という現代人の多くにとって答えるのがむずかしい問題を主題にした作品であった。今描かれるべきモチーフとテーマを見つけ出した脚本の新芽卓訊さんの感性は素晴らしい。さらに新芽さんは、現代社会を生きる私たちにとって何が一番大切なことか、という答えをもこの映画の中できちんと観客に提示している。つまり「今」を見ている作家である。書き続ければもっと良い作家になるとおもう。そして、この脚本を信じ、監督として世に送り出した鶴美さんの功績は大きい。将来そのことが証明される日が来るだろう。良い脚本を見つけ出すのも監督の才能の一つなのだ。そういった意味で鶴美監督は優れた監督である。
○W・W(脚本・平田慎司 監督:かわさきひろゆき)実行委員会作品賞
かわさき監督は数多くの映画を撮ってきた。映画作りにはあまりにも多くの制約があり、自由に撮ることは難しい。しかし、監督の多くはもっと自由に映画を作りたいと願っている。だが本来は映画作りに正解なんて無いはずだ。そんな、映画を撮ることの自由を教えてくれる作品だった。平田慎司さんの脚本は骨格がしっかりしており、観る者を飽きさせない。次々に出来事が連鎖して起き、結末のカタルシスに向かう。監督の演出がその脚本に応える。さらに役者たちに注がれたかわさき監督の愛情、映画そのものへの愛、キャスト・スタッフの努力、それらが結集して初めてこの『W・W』ような愛すべきエンターテインメント作品が生まれ得る。観客にもそれが伝わったに違いあるまい。映画を作るって何よりも面白いんだよ、とこの作品は教えてくれる。
○36℃の視線(脚本・松下愛子 監督:三宮英子)
そうくるか、というオチに誰もが驚かされた作品であった。女性らしい感性で撮られた女性らしい映画というべきだろうか。とは言え、オチに至るまでの恐怖を煽る演出もなかなかのものであった。それがあったればこそ、観客が思わず笑ってしまったあのオチが活きてくる。脚本の松下愛子さんは、そこがしっかりとわかっていた。さらにオチでのこれでもかというサービス精神。秀逸なドタバタコメディを観ているようで、三宮監督の手腕に感心させられた。また、主演のこうのゆかさんの後半における変貌ぶりには、ホラーとは違った意味でリアルな女性の恐ろしさを見せられた気がする。そういった描き方も含め、女性ならではの映画だった。あと一歩のところで女優賞には届かなかったが数多くの票を集めた通り、こうのさんは素晴らしい演技をみせてくれた。観客を楽しませることを大切にした、面白い娯楽作品に仕上がっていた。
○幽閉confinement(脚本・監督:亀井亨)技術賞
四谷怪談映画祭という小さな枠内に到底納まるべくもない素晴らしい作品だった。大トリとしてこの映画祭を締めくくってくれた事に感謝したい。この映画祭を企画したとき、若く新しい才能との出会いとともに、新たな恐怖表現が出てくることも期待していた。10分という短い時間なら、監督たちは恐怖そのものをどう表現するかに集中することもできるはず、と考えたからである。でもやはり普通は、幽霊や残忍な人間が登場するようなありがちなストーリーを考えてしまう。だが、亀井監督のアプローチは違った。「時間」というものが内包する目に見えない観念的な恐怖をテーマに選んだのだ。カメラに映らない観念を映画にすることは難しい。いや、私はそんな事は不可能だと思っていた。並の脚本家なら、セリフでそれを説明してしまうだろう。しかし、この作品にはセリフは無い。いわゆる役者も登場しない。人形と人形遣いがそこに映っているだけである。にもかかわらず亀井監督は観念を表現した。これを才能と呼ぶのだろう。私はかつて中世ヨーロッパで幽閉された乙女の物語を読んだことがある。そしてこう思った。ただただ意味もなく時間が過ぎていくのは何と恐ろしいことだろうか……と。幽閉には監禁のように自分を目的とする他者がいない。ただ過ぎていく途方も無い時間の中で、人から忘れ去られ、やがて自我すら崩壊するのみである。本当に恐ろしい。この作品を観てその時感じた恐怖が記憶野の片隅から一気にあふれ出した。この作品は観客投票でダントツの票を集め、技術賞を獲った。これはカメラマンの中尾さんによる美しすぎる撮影だけでなく、監督の類い希なる作家性や綾乃テンさんの恐るべき表現力など、全てにおいて与えられた特別なものだと思っている。この作品を世界の誰よりも早く目撃できた観客は幸せだろう。
以上
第一回四谷怪談映画祭実行委員会 金村英明
四谷怪談映画祭は第一回目ということもあり一般公募にたよらず、かわさきひろゆき氏が中心となって声をかけた10人の監督に作品を出品してもらいました。
かわさき氏の勝れた審美眼のおかげか、大変魅力的な10作品が集まりました。
映画祭でこれだけバラバラで個性的な作品が集まるのは珍しい事だとおもいます。
観客投票するのも一苦労だったのではないでしょうか。その事実は各賞の得票数に如実に表れていました。とにかく票がばらけたのです。その結果、同時受賞する作品が少なく、見事なまでに受賞作がばらけてしまいました。映画祭ではこういったことも珍しく、それだけ魅力的な10作品が集まったのだと実行委員会一同喜んでおります。
おかげさまでたくさんのお客様にも恵まれました。当日の会場は、まるで小劇場で演劇を観るときのように異様な熱気で包まれました。
第一回四谷怪談映画祭は、集客数と上映作品の質両方において成功と呼べる結果が残せたとおもっています。
これも寒い中わざわざ足を運んでくださったお客様、そして魂のこもった作品を出品してくださった監督たちのおかげです。
まことにありがとうございました。
以下、僭越ながら、四谷怪談映画祭の企画発案者である金村英明が引き続き実行委員会を代表して、各作品を上映順に評していきたいとおもいます。
○うつしえ(脚本・監督:坂元啓二)監督賞、男優賞
映画が上映されたときスクリーンの向こうにはこの世とは別のもう一つの世界が広がる。それを映画館の暗闇で目撃したとき観客は「映画を観た」と感じる。そういった映画の基本的な原理を解っている監督だとおもった。坂元監督作には監督が考える「映画とは」が明確にあった。人物が映るサイズ、小道具や衣装、音にいたるまで繊細な注意を払い、恐怖を目に見える形で効果的に表現しようとするその姿勢。ありふれた旅館を惨劇が起こるにふさわしい場所へと変貌させるその撮影技術。さらに、役者が持つ個性を最大限にまで引き出す演出手腕――。印象的な写真を見た時、人はそこに写っていたものを一生忘れることがない。それと同じように、この映画を観たらきっと、そこに映っていた光景が目に焼き付いてしまうことだろう。特に太三さんと星野ゆずさんという存在を観客はどうしても脳裏から脱ぐい去ることが出来ないに違いない。坂元監督の演出力の賜である。自分の作家性と観客の感受性を信じ、あえて説明を省略し、あえて観客の想像力にゆだね、あえてまとまりを持たせなかった。その演出意図に感動し、坂元監督が考える映画の在り方に共感した。そんな作品のパンキッシュな良さが観客にも伝わり、監督賞と男優賞という結果に結びついたのだろう。
○ザ・ボックス(脚本・監督:江尻大)
この映画祭で一番の問題作であった。観客の共感を拒絶し、恐怖で愉しませるどころか生理的に嫌悪を抱かせる作品であった。この作品が上映されている時に気分が悪くなり席を立った観客がいたことがそれを証明している。だからといって批判するつもりは無い。むしろ私は評価されるべき佳い作品だと思う。教科書通りではないキャラクター造形も秀逸だ。80年代に数多くのカルト的なホラー映画が作られたが、江尻監督の作品にはそういったホラー映画の記憶が随所に散りばめられていた。他者の欲望は恐ろしい。そんな人間の生々しい欲望をグロテスクに記録した映画であった。この作品はまるで悪夢である。江尻監督は人間の汚れた本性を識っているのかもしれない、と恐怖すら覚えた。
○猫夜怪談Apocalypselwa(脚本:後藤大輔 監督:大場一魅)脚本賞
この映画祭で唯一のアニメーション作品であった。まず、オリジナリティ溢れる作画が素晴らしい。監督の大場一魅さんは数多くの映画音楽を作曲してきた方だが、このような才能も持っていたことに驚かされる。グロテスクなまでに悲劇的なストーリーなのに、大人だけでなく子供も楽しめ、観たあとに余韻が残る。まるで改竄される以前の恐ろしいグリム童話のような作品だと感じた。脚本の後藤大輔さんは、才能あるプロの仕事をさらっとやってのけ、恐ろしい人間の本質を娯楽として愉しめるストーリーに仕立て上げた。これはなかなかできることではない。脚本賞を獲ってしかるべき作品であり、四谷怪談映画祭を代表する作品の一つだ。アニメーション作家としての大場さんの今後の活躍にも期待したい。
○遺言(脚本・監督:米澤成美)
その人物が死んでも記録された映像は残る。それは非常に恐ろしいことである。積み重ねられる一人の女の自画撮り映像の断片、狂っていく女、整音されていない荒々しい生音……。彼女はもうこの世にはいない。おかしくなって死んでいく過程を、ただ観客は目撃させられる――。ビデオという記録装置が持つ恐ろしさに改めて気づかされた。映画は全て嘘である。しかし、そこに真実が映る瞬間がある。その時、観客は目を背けたくなるほどの恐怖を感じるのかもしれない。この映画の自画撮りシーンでは、米澤成美さんは嘘をつかず、ありのままの自分をさらけ出した。それが、見ているのも恐く目を背けるのも恐い、そんな秀逸なホラー作品にしたのかもしれない。
○子の棲む家(脚本・監督:菊嶌稔章)
オーソドックスなホラー映画だったが、私が企画書を読んだ時に一番楽しみにしていた作品であった。その期待通り、ホラー映画というフォーマットを守り、奇をてらうことなく的確な演出で挑んできた。その姿勢はプロそのものである。しかし出来が良すぎたためか、他の作品が持つ個性に埋もれてしまい、受賞に至らなかった。その事実は、映画人の一人としてあまりにも残念であり、とてつもなく悔しい。なぜこの映画の良さが伝わらない、と叫びたくなった。主演の藤堂海さんをはじめとする役者陣もリアリティある素晴らしい演技をみせてくれた。今までのフォーマットを否定することで新しい映画が生まれるわけでは決して無い。今までさんざんされ尽くされた表現を突き詰めて、新たな物を生み出すことはできる。菊嶌監督にはこのままの演出姿勢で、ホラーに留まらず様々なジャンルに挑んでいって欲しい。そして世間の人々が菊嶌映画と呼ぶような作品を作れるようになって欲しい。とにかく、ウェルメイドな映画を作ることができる的確な演出力を持った職人監督であった。
○岩(脚本・監督:国沢☆実)女優賞、新宿四谷三丁目劇場賞
DV事件が世間を騒がせることが度々ある。男が恋人に暴力を振るう。そこに愛はなかったのだろうか。それは当事者のみが知ることだ。そういったテーマを見事に愛の寓話にまで昇華させた国沢監督の演出手腕には感動させられた。痛々しく悲しく、そして美しい映画だった。プロが撮る自主映画のレベルの違いを見せつけられた。また、それに応えた役者たちも素晴らしい。水井真希さんの女優賞には誰もが納得するだろう。相手役の三貝豪さんも男優賞で数多くの票を集めた。人間の獣のような本性を描き出した脚本とダイナミズム溢れる映像演出、さらに深いテーマ性を持った傑作であった。
○奪欲の仮面(脚本・新芽卓訊 監督:鶴美)
LINEという現代的な題材と「あなたにとって一番大事なものは何?」という現代人の多くにとって答えるのがむずかしい問題を主題にした作品であった。今描かれるべきモチーフとテーマを見つけ出した脚本の新芽卓訊さんの感性は素晴らしい。さらに新芽さんは、現代社会を生きる私たちにとって何が一番大切なことか、という答えをもこの映画の中できちんと観客に提示している。つまり「今」を見ている作家である。書き続ければもっと良い作家になるとおもう。そして、この脚本を信じ、監督として世に送り出した鶴美さんの功績は大きい。将来そのことが証明される日が来るだろう。良い脚本を見つけ出すのも監督の才能の一つなのだ。そういった意味で鶴美監督は優れた監督である。
○W・W(脚本・平田慎司 監督:かわさきひろゆき)実行委員会作品賞
かわさき監督は数多くの映画を撮ってきた。映画作りにはあまりにも多くの制約があり、自由に撮ることは難しい。しかし、監督の多くはもっと自由に映画を作りたいと願っている。だが本来は映画作りに正解なんて無いはずだ。そんな、映画を撮ることの自由を教えてくれる作品だった。平田慎司さんの脚本は骨格がしっかりしており、観る者を飽きさせない。次々に出来事が連鎖して起き、結末のカタルシスに向かう。監督の演出がその脚本に応える。さらに役者たちに注がれたかわさき監督の愛情、映画そのものへの愛、キャスト・スタッフの努力、それらが結集して初めてこの『W・W』ような愛すべきエンターテインメント作品が生まれ得る。観客にもそれが伝わったに違いあるまい。映画を作るって何よりも面白いんだよ、とこの作品は教えてくれる。
○36℃の視線(脚本・松下愛子 監督:三宮英子)
そうくるか、というオチに誰もが驚かされた作品であった。女性らしい感性で撮られた女性らしい映画というべきだろうか。とは言え、オチに至るまでの恐怖を煽る演出もなかなかのものであった。それがあったればこそ、観客が思わず笑ってしまったあのオチが活きてくる。脚本の松下愛子さんは、そこがしっかりとわかっていた。さらにオチでのこれでもかというサービス精神。秀逸なドタバタコメディを観ているようで、三宮監督の手腕に感心させられた。また、主演のこうのゆかさんの後半における変貌ぶりには、ホラーとは違った意味でリアルな女性の恐ろしさを見せられた気がする。そういった描き方も含め、女性ならではの映画だった。あと一歩のところで女優賞には届かなかったが数多くの票を集めた通り、こうのさんは素晴らしい演技をみせてくれた。観客を楽しませることを大切にした、面白い娯楽作品に仕上がっていた。
○幽閉confinement(脚本・監督:亀井亨)技術賞
四谷怪談映画祭という小さな枠内に到底納まるべくもない素晴らしい作品だった。大トリとしてこの映画祭を締めくくってくれた事に感謝したい。この映画祭を企画したとき、若く新しい才能との出会いとともに、新たな恐怖表現が出てくることも期待していた。10分という短い時間なら、監督たちは恐怖そのものをどう表現するかに集中することもできるはず、と考えたからである。でもやはり普通は、幽霊や残忍な人間が登場するようなありがちなストーリーを考えてしまう。だが、亀井監督のアプローチは違った。「時間」というものが内包する目に見えない観念的な恐怖をテーマに選んだのだ。カメラに映らない観念を映画にすることは難しい。いや、私はそんな事は不可能だと思っていた。並の脚本家なら、セリフでそれを説明してしまうだろう。しかし、この作品にはセリフは無い。いわゆる役者も登場しない。人形と人形遣いがそこに映っているだけである。にもかかわらず亀井監督は観念を表現した。これを才能と呼ぶのだろう。私はかつて中世ヨーロッパで幽閉された乙女の物語を読んだことがある。そしてこう思った。ただただ意味もなく時間が過ぎていくのは何と恐ろしいことだろうか……と。幽閉には監禁のように自分を目的とする他者がいない。ただ過ぎていく途方も無い時間の中で、人から忘れ去られ、やがて自我すら崩壊するのみである。本当に恐ろしい。この作品を観てその時感じた恐怖が記憶野の片隅から一気にあふれ出した。この作品は観客投票でダントツの票を集め、技術賞を獲った。これはカメラマンの中尾さんによる美しすぎる撮影だけでなく、監督の類い希なる作家性や綾乃テンさんの恐るべき表現力など、全てにおいて与えられた特別なものだと思っている。この作品を世界の誰よりも早く目撃できた観客は幸せだろう。
以上
第一回四谷怪談映画祭実行委員会 金村英明