歯科医物語

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吉田拓郎の闘病中に桑田佳祐が励ましの唄を歌った伝説ライブパフォーマン

2021-03-21 05:15:32 | ☆メディア(本・映画・Web・音楽など)


90s
吉田拓郎の闘病中に桑田佳祐が励ましの唄を歌った伝説ライブパフォーマンスとは?



昔の桑田佳祐はかなり尖っていました。
たとえば、アイドル時代の菊池桃子が「ロック始めました宣言」をした時には「ロックははじめるもんじゃねぇ」と噛みついたり、自作映画『稲村ジェーン』を酷評したビートたけしには「感性が低い」と口撃してみたり、オノ・ヨーコをクソババア呼ばわりしたり……枚挙に暇がありません。


桑田佳祐が歌った『吉田拓郎の唄』

もちろん、歌い手である以上、自作曲でフックをかましたこともあります。
といっても、アントニオ猪木を敬愛し、古舘伊知郎の話芸を「実況という名のラップ」と絶賛したプロレス好きな彼のこと。ルール無用に罵ることはせず、あくまでプロレス的な“節度ある闘争”を仕掛けたものです。

特に有名なのが、弘田三枝子について歌った『MICO』と、そのものずばりな『吉田拓郎の唄』。
前者が「綺麗になってSoulを捨てて」とクサしながらも「Japanese Diana Ross」とわりかし賞賛多めな歌詞だったのに対し、後者は若干手厳しめな内容だったため、拓郎信者からの抗議もあったようです。


「拓郎だけは好きだった」とも発言していた桑田
吉田拓郎といえば、1970年代に「フォークの貴公子」として一世を風靡し、今日のJ-POPにおける基礎を築いたとも評される偉人。同時代を生きた若者にとってカリスマ的存在だった彼に、桑田も多大な影響を受けたらしく、かつて自著の中で「フォークは大嫌いだったけど、拓郎だけは好きだった」と告白しています。

また、自分で曲をつくろうと思ったきっかけは、拓郎の手掛けたフジ・フイルムのCMソング『HAVE A NICE DAY』を聞いたからだとも語っており、敬愛しているのは明らかなのです。

ライブで披露された拓郎賛美の改変版

時は流れて、2003年。拓郎の身体に癌が見つかりました。幸い早期だったため手術で除去できたのですが、これまで大病を患ったことがなかったゆえ、不安な入院生活を送っていたそうです。

そんな拓郎を励ますため、桑田はサザンオールスターズのライブで久しく封印してきた『吉田拓郎の唄』の歌唱を決意。もちろん、必死に病魔と闘っている時に「カス」だの「死ぬ」だの罵るわけにはいきません。そこで桑田は、問題がありそうな箇所を以下のように改変したのです。

涙の辛さも教えずに 一人男が死ぬ⇒酔いどれ姿もいかしてた そんな男がいる
唄えぬお前に誰が酔う やがて闇に消える⇒今でもあなたの歌声が 胸を熱くさせる

このように、拓郎賛美の内容にして歌い上げたのでした。
この時、桑田は47歳。すっかり角ばった部分が取れて、憧れや尊敬の気持ちを照れくさがらず、直球で表現できるようになったということなのでしょう。

曲の終了間際には、ステージに設置された大型のバックスクリーンに、拓郎の写真を映し出す演出も披露。
歌詞の中身も含めて少々クサい演出でしたが、そこには『吉田拓郎の唄』発表時から、いや、それよりもっと前から抱いていたのであろう桑田の変わらぬ「吉田拓郎・愛」がありありと見えました。
(こじへい) 


 
引退宣言をしていた拓郎へのメッセージソングだった
そんな憧れの存在だからこそ、当時「引退宣言」をしていた拓郎に思うところがあったのでしょう。
桑田は1985年に発表した『吉田拓郎の唄』の中で、「唄えぬお前に誰が酔う」「一人男が死ぬ」「フォークソングのカス」といった歌詞を並べました。
しかも、もともとこの曲、仮タイトルが『死ね吉田拓郎』だったそう。

ちなみに、桑田の叱咤激励が届いたのか、拓郎は1988年に引退宣言を撤回しています。

 
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