突然の「非常戒厳」の発布と解除、極めて軽い言動と言うしかない。
弾劾訴追を迫る野党をけん制するための戒厳令とは・・・、驚きである。
韓国の戒厳令と言えばやはり37年前の光州事件を思い出す。実際には
映画「タクシー運転手」を思い出すと言った方が正確だろう。ドイツ人
記者を案内して光州市に入ったタクシー運転手が見たものは・・・。
韓国の国民は光州を始め多くの犠牲者の上に民主化を成した。それに
比べ日本では敗戦後の駐留軍によってなされた民主化である。それでも
何百万人もの戦争犠牲者の上に成された民主化とも言える。
さて日光例幣使街道4日目の最後である。岡崎山(古墳群)の麓の
元三大師から佐野に向かうところ。県道に出る角に道標が立つ。
右の道標の台座「東」は合っているが、上の「江戸道、館林道」は
左(南)を向いていなければいけない。移設した時に間違ったらしい。
県道67号で旗川を渡る手前、旧道は東に折れるがその先に橋はない。
県道の白旗橋で渡ると足利市から佐野市に入る。橋の袂から北へ土手道
を進んだ先の「田島」さんの看板あたりが旧道が渡った先という。
土手道の前方(北)には両毛線の鉄橋と踏切が見える。
右折して東西に真っすぐ走る両毛線と縺れ合いながら旧道を進む。
途中の花岡町公民館前、何気なくポツンと置かれた四角な石の謂れは、
ちょっと離れたところに立つ口碑で。
ここに書かれる「舞」は花岡町に伝わる「芦畔(アシグロ)の獅子舞」。
県道67号を渡る歩道橋から。例幣使街道は「猿橋」で秋山川を渡り
天明宿(佐野)へ入って行った。県道の大橋は盛替え中のようである。
今はない猿橋の少し下流の中橋で渡り左折して県道に出る。
中橋の下流200mほどの天明大橋の左奥が有名な「佐野厄除け大師」。
還暦の厄年に行っているので今回はパス。
天明宿に入った街道(県道67号)を進むと見世蔵造りの商家3軒が
続く。3軒目(右)の焼きまんじゅう屋だけが今も営業中。
ところどころに空地が目立ち、屋根付き看板(庵看板)があったと
いう小沼呉服店、土佐屋紙店などは取り壊されたようである。本陣跡は
群馬銀行佐野支店というが、本陣跡碑などはなく確認は出来ない。
佐野駅前へ向かう角が佐野市役所。公衆電話ボックスは鋳物製という。
佐野ラーメンの昼食の前に佐野駅の自由通路を抜け北口に出る。
駅前の公園が佐野城跡である。
南口に戻りラーメン屋を探すが駅前には意外に店がない。一軒は
「売り切れ閉店」の札。やっと営業中の「優華」に入りまずはビール。
ラーメンと餃子、しっかり美味い。
食べ終わる頃、店の入口にカーテンが掛かる。会計しながら高齢の
お運びさん(実は女性店主)に訊く「昼の部は終わりですか」。と、
「いや2時で終わり、もう夜までは出来ない、閉店も考えている」。
噴水越しの佐野駅を振り返る。1時間に1本、2時半過ぎの東武
佐野線で帰路に就く。残りは36キロ、いつにするか。