じんべえ時悠帖Ⅱ

新幹線で長崎が失ったもの

 今日から大型連休が始まる。既に昨夕から高速道路の渋滞や

出国ラッシュが始まっているという。

 人生七十五年余、沖縄と長崎の2県だけは未踏の地である。

 沖縄は、本土の盾となったあの悲惨な決戦の舞台に簡単には

行けないという思いに整理がつかず今に至っている。 

 長崎は叔母が外科医に嫁いでいて、何度も遊びに来るように

誘われたが、叔母のハイソな雰囲気が苦手で避け続けた。

 さて、その長崎に「念願」の西九州新幹線が開通した。

しかし、佐賀県サイドの不要論などで武田温泉ー長崎間だけの

開通である。

 朝日土曜版4/22の「歴史のダイヤグラム」から政治学者(兼)

乗り鉄の原武史の搭乗感想記を簡単に紹介しよう。

 

 佐賀からのリレー特急の乗客は落ち着いて旅を楽しめない。

武田温泉から新幹線への乗り継ぎは3分、自由席確保のため、

乗客は停車前からドア付近に立つという。

 乗り換えた西九州新幹線は小刻みに停車する上、トンネルの

連続。30分あまりで長崎に着く。在来線も含めて高架となった

終点のホームには「終着駅」の情緒はない、売店もない。

 駅弁は改札出たコンビニの奥にやっと見つかる。そもそもが、

西九州新幹線には駅弁を車内で楽しむという想定はないようだ。

 速さと引き換えに「旅の情緒」を失った西九州新幹線、いや

長崎である。

 

昨日のスナップ・アラカルト


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コメント一覧

jinbei1947
ワイコマ様
武田温泉ではなく武雄温泉でしたね、行ったことがないので間違えました。
7,8分おきの停車、わずか30分余りの「新幹線」では情緒がありせんね。
博多からの直通になるまで待ちましょう。
ykoma1949
長崎、私は長崎には何十回も行ってますが、大概は車なので
電車利用はその割に少ない、大分の家からは熊本に出て船で
島原へそして長崎へ、通った理由は江戸後期から明治にかけて
写真技術の元が、長崎大学図書館に保存されているためです
その長崎大学図書館に・・資料を閲覧したりコピーを貰ったり
明治の中山道の写真などを写させて頂きました。雲仙の地獄も
何度も行き息子もかかわった普賢岳の砂防工事なども関り、
お馴染みの長崎です、佐賀県の武雄温泉、嬉野温泉を走る
西九州新幹線はまだ乗ってません、試運転は見たことありますが
早さは感じませんでしたね~
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