じんべえ時悠帖Ⅱ

中国は五千年の歴史になった

 中国で5,300年前のものとみられる宮殿跡が見つかったと

報道される。住居や道路跡が見つかっていた河南省双槐樹

遺跡から、千三百坪ほどの宮殿跡が新たに見つかった。

  「中国四千年の歴史」は変えなくてはいけない。真偽の

わからない「二千六百年」との差も更に開いた。王朝の歴史

も新型コロナも中国が「先輩」である。

 

 江戸川中流域の東側、流山市、松戸市を流れ、国府台市

に入って江戸川に注ぐ「坂川」の源流点である野々下公園

から下流へ4キロほどのウォーキング。

 野々下公園入口の交差点を渡り、特別支援高等学校脇の

一般道を進むと南中の陽が眩しい。サングラスをかける。

マスクにサングラス、強盗のようである。

 対岸に並ぶ白いものは何だ?カメラを一杯にズームする。

畳んだハウスと思ったが、苗木?一本用のハウスらしい。

 富士見橋で対岸に移り川沿いの小道を歩く。ゆったりと

した長いカーブ。川そこの突起はやはり「減勢工」だろう。

北千葉導水路の下流部でもある坂川は、水位調整で多量の

流れとなることもあるのだろう。

 やがて支流の富士川が合流すると「御體橋」に出る。

「體」は体の旧字だから「おたい」か「おんたい」と読む

のだろう。

 確認のため帰宅後にネットで調べるとやはり「おんたい

ばし」で良いらしいが、「おてばし」も出て来た。

 また、十年ほど前の大雨の日、四人で遊んでいた小学生

の一人が坂川に落ちて流されたが、車で通りかかった夫婦

が救助して表彰されたという記事もある。

 その時の流れの深さは「1.8メートル」もあったと言う。

ご主人が飛び込んで流れて来る生徒を受け止め、その間に

奥さんが消防に連絡した連携プレー、生徒に怪我はなし。

 次の次の橋は「こうでばし」。渡った反対側に幸田橋と

ある。出発したセントラルパーク駅前のビル群を望む。

 このあたり広く「幸田」、地図に「こうで歯科」とある

のも納得。橋の袂のベンチで水鳥を見ながらの一服休憩。

今日も急ぐ旅ではない。

 荒地のススキ、これは「枯尾花」がぴったりだ。

 左手のグランドに続き、やがて右手に東洋学園大学の

瀟洒な校舎が続く。本部は東京本郷、この流山キャンパス

には人間科学部があったが、今はそのスポーツ施設だけが

残るらしい。

 キャンパスが切れる頃、「大金平大橋」という大そうな

名の橋となる。単調な風景に飽きて、この近くの「医王寺」

というお寺さんに寄ることにするが、それは次回。

 

 


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コメント一覧

jinbei1947
えめらるど様
やはり清(満州族)の時におかしくなりましたね。
日本も長州族にやられました。
jinbei1947
ワイコマ様
「橋の名は愛染橋」(山口百恵)、戻りたいが戻れない・・・。
人生と同じですね。
eme
孔子が紀元前500年とすると、それよりもなお2500年以上前の話になる訳で、今の中国は好きになれないけれど、偉大な文化ですね。
ykoma1949
人類の歴史は、計り知れない。そして歴史は
作られるし、想像も出来るし、そして発見され
ない遺跡もたくさんある。歴史の中に人が残した
行きた証拠・・果たして私達はどんな証拠や
歴史に残る何を残せるのだろう・・・
そういえば、息子が佐賀の建設局にいた時に
いくつかの小さな橋を作って、そこの橋名を
2つか3つ書いたことがありました。今度聞いてみよう
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