新型コロナの感染も第三波の様相を呈して来た。埼玉の
市町村別感染者数レースで、我が三郷市は激しい十位争い
を繰り広げている。
一昨日現在で、上尾市(133)、新座市(132)、三郷市
(131)とわずか1人ずつの差。これからも一日毎に順位が
入れ替わるかも知れない。
それぞれの人口が順に、226千人、165千人、142千人で
あるから、3市の中では我が三郷市の感染率が高いという
ことになる。
さて、石段を上り始めた笠森観音堂。二回の九十九折り
で坂道に変わると、高い三本杉の先に「子授楠」が立つ。
もちろんこの洞を潜る気はない。
この先に「芭蕉翁」を真ん中にした三俳人の碑が立つ。
「五月雨にこの笠森をさしもぐさ」。「さしもぐさ」は
ヨモギの別名。救われるべき一切衆生をたとえる。
この風景、御巣鷹山の墓標を思い出すのは、森の中の
山肌のなせる業か。
坂道を上り切るころ中門が見えて来るが、右の車道の
ため、何とも落ち着かない風情である。
その先に、ついに見えました、日本で唯一の「四方懸造
(シホウカケヅクリ)」の笠森観音堂。階段を上り始めた男性も
同じバス仲間である。
全部で七十五段の階段はまさに45度。
この春、笠森観音堂に行くなら桜の春がいいと勧めて
くれたが生憎のコロナ禍。古建築が趣味の友人が送って
くれた資料の一つが下の図である。
岩の頂の上に内陣が来るように建てられ、その四方に
一本一本長さの違う柱を立てた櫓造りが四方懸造。
下の「梁行断面図」の赤丸の位置である。この断面図
は建築用語で「矩計(カナバカリ)図」ともいい、建物の
構造を端的に表す図である。
京都の清水寺、本堂は山肌の平らなところに建てられ、
その先の舞台の下に懸造の櫓が組まれる。一般的に山肌に
建てられる懸造のお寺さんも、参拝者が増えるにつれ本堂
の先に礼堂などを建増しする時に櫓が組まれることが多い。
それに比べこの笠森観音堂は、岩をスッポリと覆うよう
に建てられているところが「日本唯一」の由来である。
講釈が長くなった、早速上ってみよう。屋根があるとこ
ろで靴を脱ぐ。雨の日用にスリッパも用意される。
時々聞こえていたのは、上り切ったところにあるこの
鐘である。
残念ながら堂内は撮影禁止、周囲の風景が良いが紅葉は
もう少し後と言う。この一帯は笠森自然林として保護区域
である。
高い樹々と「同じ目線」の景色を満喫して下りてから
境内を散策。
ここでやりたかったのが「チェアリング」。一組だけ
のベンチを占領して早め昼食とする。茂原駅のコンビニ
で用意した酒は、いつものワンカップよりちょっと高級
な酒。
バスの時間に合わせて山を下る。笠森熊野神社脇の道
が昔の参道であろう。国道わきの案内図では車両通行止
とあったが、この車は勝手知ったる地元、あるいはお寺
さん関係者?
切通しの道が国道に出たところに石柱が立つ。ここが
昔の参道入口で、今の入口からは200メートルほど離れて
いる。
すこし時間があるので本坊前から国道に沿った裏道を
散策。ゴルフ場のクラブカーに笠森観音と書かれる。
足の不自由な人の参拝用であろう。
バス時刻の10分ほど前、一緒に降りた四人がバス停に
集合。定刻通りに来たバスに乗り込み、一時間半の観音
参りを終わる。
次回は往復ウォーキングの三十二番札所である。
おっと、忘れるところ。最後に広重の諸国名所百景の
「笠盛寺 岩作り観音」を紹介しておこう。ちょっと
オーバーな絵である。