街道沿いにお寺さんが続いた後には、城郭を模した感じの
中田公民館が現れる。中田宿は渡良瀬川沿いにあった古河城の
お膝元、正面の壁は渡良瀬川のデザインかも知れない。
日本軌道工業の利根工場には、その名の通りレールの台
のような部材が積み上げられる。さすがに、すぐ先がJR
東北本線(宇都宮線)の踏切である。
折角だからと2,3分待つが電車は来ず、数十メートル行き
過ぎたところで警報が鳴り出し上下線同時に通過する。脇に
跨線橋があるのは踏切内が極めて狭いため。
安全重視の歩行者(学童など)用であろうが、少なくとも
年寄り向きではない。
この踏切を過ぎると茶屋新田の真っ直ぐな道がはじまる。
茶屋立場(休憩所)と高札場があったところで、一里ほど
幅五間(9メートル)の広い道の両側に松並木があったのを
偲び松が植樹された。
好天で三月下旬並みの気温となったこの日、体を冷やすため
香取神社駐車場(単なる空き地かも)の東屋で休憩する。すぐ
右手を東北本線が走り、その脇には雑木林が続く。
国道354号を渡ると県道番号が228号から261号に変わり、
通学用の自転車レーンが現れる。
古河宿が近づく頃、古河第二高校の校庭に江戸から十六里目
の古河一里塚があるというのでフェンス越しに覗く。
手前に碑が建つ熊澤蕃山は、ここ古河で没した陽明学者。
岡山藩の藩政改革に功があったが「批判」とも受取られ追放
されてここに辿り着いたという。
いよいよ古賀宿の入口である。羽黒神社はかなり奥まって
いるが一応表敬訪問しておく。
社殿は文政元年(1812)再建という。
その先の浄善寺には白梅が咲く。
この先、広い公方通りと合流すると一気に宿場の雰囲気と
なる。続きは次回。