じんべえ時悠帖Ⅱ

危険!「点ブロ歩きスマホ」

 今朝のニュースで「点ブロ歩きスマホ」なる新語を知った。

「健常者が点字ブロックを辿って(頼りに)歩きスマホする」

ことをいう。本末転倒、言語道断である。

 その結果、視覚障碍者と衝突する事故が増加中。転倒した

視覚障碍者が頭を打って重傷を負った例もあるというから、

極めて危険な行為である。

 若者よ、いや若者には限らない、即刻辞めよう!もちろん、

歩きスマホ「全般」をである。

 

 日光街道ウォーク、間々田宿を過ぎ小山宿へ向かうところ。

今日は小山宿手前の二つの神社への寄り道である。

 古墳の上に建つ浅間神社への入口はこの青面金剛の祠。

 200メートルほど入って行くと全体が見える。茂みの中の

白いところが浅間神社であろう。

 直径70メートル、高さ10メートルの千駄塚古墳、別名は

浅間神社古墳で6世紀ころのものと口碑にある。内部は未だ

調査されていないと書かれるが、県の史跡指定は昭和32年。

以降65年も経っていることになる。

 最初はなだらかな石段も最後は胸突き八丁。社殿の屋根

にはシートが掛かっているようだ。

 社殿の周囲を歩くと、真裏に「奉納墳頂土留め工事」の札

がかかり、狭い足元がコンクリートで固められている。雨で

崩れかけたのだろう。

 国道の車の擦過音と数百メートル離れた東北本線の音が

微かに聞こえるだけの静寂の中、おにぎりで昼食を済ませ

街道に戻る。

 地酒「若盛」のショップの隣り、西堀酒蔵に杉玉が下がる。

 小山市街が近づく頃、国道4号が左に逸れて行くが日光

街道は真っ直ぐ進む。

 この分岐の手前、300メートルほど入った安房神社に寄る。

名前の通り、昔安房の国から移り住んだ人々が建立した。

 延喜式に記される古い神社で崇神天皇のころの建立、

仁徳天皇の時代の再建という。

 名物という神殿の彫物は覆い屋根の柱で見にくく残念。

 街道の分岐点に戻ったところで問題発生、それは次回。

 

 

 

 

 

 


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コメント一覧

jinbei1947
えめらるど様
東北本線、両毛線、水戸線と小山は交通の要所ですね。
昨年、益子の観音巡りで真岡鐡道に初めて乗りました。
小山と言えば「♪おやまゆーえんち」というコマーシャルソングが
耳に残っています。
有めな遊園地でしたが、出資者のダイエーの衰退もあり十数年前に
閉鎖されました。
えめ
延喜式は神道には縁の深い事柄ですが、私にとっては菅原道真が延喜元年(901)に大宰府に左遷されて、延喜3年2月25日に栄養失調で亡くなられたことの方が印象的です。子供の頃、信州から真岡に行く時に、小山の駅で乗り換えて下館に向かったことを思い出します。ご健脚を祈ります。
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