じんべえ時悠帖Ⅱ

日光街道、間々田宿

 日光街道ウォーク、奈良時代の瓦窯遺跡を見て日光街道に

戻ったところあたりから間々田(ママダ)宿が始る。

 消防署を過ぎたあたりに「逢いの榎」とその碑が立つ。

元々は江戸と日光の中間にあたることから「間(アイ)の榎」

呼ばれたが、いつの間にか男女の縁結びの榎となり「逢い」

と変わったという。

 江戸から十八里ほどだが、一つ前の野木の一里塚から一里は

なくまだ3キロほど。一里塚と言う訳ではなさそうである。

 ちょっと奥まっているが両親の菩提寺と同じ曹洞宗という

ことで入った龍昌寺には赤い不動堂がある。ずいぶん錆びた

その屋根は手入れが必要だが、奥の本堂はどっしりしていて

なかなか好い。

 間々田の交差点の先、問屋場、ちょっと離れて本陣跡の

口碑が立つ。いずれも空地(駐車場)であるが、両方とも

奥の家は大きそうである。

 このあたりが間々田宿の中心部。やがて間々田八幡宮の

参道である。頼朝や新田義貞が戦勝祈願したことは中田宿

にあった鶴峯八幡宮と同じである。

 脇に立つ口碑には、日光例幣使(天皇の名代)が休憩した

とも書かれ、周囲は大きな公園と言う。が、往復で1キロを

超えるのでパスして先に進む。

 瓦窯の隣りにあった乙女不動尊と同様に山門2階が鐘楼

になっている浄光寺あたりが野木一里塚からほゞ4キロ。

付近に間々田一里塚の標柱などは見当たらない。

 間々田駅から約2キロの交差点、お寺さんのような大きな

お堂は天理教。小山宿までは5キロちょっとの地点である。

今日も、寄り道を入れても時速約2キロののんびりウォーク

である。

 続きは次回。


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コメント一覧

jinbei1947
えめらるど様
膝が悪いので駅では必ず「老人など優先」のエレベーターを使います。
14年後、もし生きていても「いざり同然」、引き籠っていることでしょう。
お仕事ご苦労様です。
えめ
良いご趣味をお持ちになっておられ、お幸せです。ところで西洋の教会は街の中にありますが、日本の多くの神社は山の傾斜に張り付いて居ます。 キザハシでよろめいたりすると大変なことになりますので、段の上面に手をついて昇ります。降りる時は、他人の肩に手を置きます。ブザマな話です。14年先の彼方様の姿を、御想像下さい。
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