新米☆夫婦求道の旅

広島に帰還した新米夫婦の新たなる挑戦いざ開幕!

滋賀県 茗荷村での研修1日目 (望)

2010-10-01 16:47:16 | 日記
9月23日~27日まで、滋賀県にある茗荷村という所に行ってきました

NPOテレサの家の玉野さんの紹介で行くことになった

なんでも、障害者と健常者が出来るだけ自給自足の生活をして、皆でささえあう村があるとのことで、ちょっと興味があったので行くことになった

たった4日間だったが、大げさに言うと僕にとって「インド」に行ったことのように衝撃を受けた

現在、広島に戻り、茗荷村のことばかり考えてしまう…
一体なんだったんだろう…

そこでの体験を書きたいと思います

9月23日 茗荷谷村1日目
滋賀県の野洲駅に1時23分に着き、山梶さんと言う方と待ち合いをして茗荷谷村へ
車で約一時間 山奥へ 途中から携帯は圏外になる

山梶さんから色々話を聞く

茗荷谷村は、全国から知的障害、精神障害、発達障害、虐待児、非行による保護観察中の青年などを引き受けている

村に生活している人が、里親制度で、委託を受け、虐待児や非行少年等を引き受けている

村には沢山の家が有り、そこで別々の家族が住み、利用者を引き受けている

ある家は知的障害の中年の人と児童を引き受けていた

自給自足をモットーにしていて、農業を営んでいる


村に到着 村々しい


着いてすぐ、高城さんと云う設立に立ち会った元代表に挨拶をして子ども達の居るログハウスに向かう


本日は国民の休日なので、子ども達が集まっていた
その後山奥に戻りゆっくりして夕食

夕食後、代表の小泉さんと話す

茗荷谷村について話を聞く
農業は農業が好きな人か、農業に意味を持っている人か宗教的な思いが無いとつらい
お人よしのあかんたれ集団??
田村一二が29年前、障害者と共に生きる村を作り、現在に至る
人間には差はあるが別はない

う~ん
言葉の意味はわかるが、村として良く分からない…

とにかく初日
茗荷谷村で印象に残った事は、
子ども達が元気一杯で、そうありながらとても、ありがとうございます、や気の利いた敬語がきちんとしている

ここで働いている人や生活している方がとても控えめ

と言うか、福祉や宗教によくありがちな、えらっそさが無い
(それを福祉傲慢、宗教傲慢という)

僕のことをお客様として気配りをしてくれている

不思議な感じを受けたことでもう一つ

トータル的に見て、あるテリトリーに外部の人が入ると、テリトリー内の人がその人を受け入れるか、受け入れないかを決める風習が良くある

しかしこの村では、テリトリー内の人が、外部から来る人に対してそのような感じを全く感じさせなかった
というよりも、村民が外部の人に「私を受け入れてくれるだろうか?」というような感じを受けた

これも色々な組織を見学した中で初めての感じである

20歳の大学生も見学に来ているか、その人にもきちんと接している

う~ん
ここは一体なんなんだ?????????




田中ひろと神父 (望)

2010-09-07 00:05:17 | 日記
9月3日、岩国で田中ひろと神父34歳が、神父になったお披露目として、ミサをしてくれました

彼を知ったのはかれこれ17年前

僕とひろと神父はアメリカのデンバーで出会いました

ローマ法王、僕らの大ヒーロー、ヨハネ・パウロ2世が企画した「ワールドユースデイ」という若者の集い巡礼に行ったときでした

ローマ法王の野外ミサに与り、次の日、新求道共同体の集いに行きました

ローマ法王の野外ミサには50万人の若者が集まり、新求道共同体の集まりには僕の記憶では6万人位の若者が集まりました

その集まりの中の呼びかけで
「あなた方の中で、自分は神父になると神から呼びかけを感じ、神父になる決意を持っている者は前に来るように」
と呼びかけられたとき、日本人の団体の中、日本人として唯一、一人の青年が立ち上がり前に歩いていきました

それが田中ひろとでした

彼はまだ17歳の青年で、僕のひとつ年上でした
神父になるとは、いろいろな世俗的な思いを捨て、結婚せず、人の救いとなる為に働ことです

それをたったひとつしか年が違わない青年が決意したことに僕は大きな衝撃を受けその姿を見て涙が止まらなかった

僕も正直な話、僕はもしかしたら神父になるのかもしれないと思っていた時期が長くありました
しかし、どうしても世俗的な考えが捨てきれず、結婚もしたかった

世俗的な遊びがしたい、女性とも付き合いたい、お仕事で活躍したい、お金を使いたい、自分のためだけに生きたい、いつか結婚したい、などなど

それは男として、田中神父にとっても同じこと
同じような誘惑に駆られたと思います

しかし、彼は乗り越えた

僕は、同じ時間を、神父になりたくないという思いを持ち、もしかしたらとも思いながら、僕なりに葛藤しながら、また一通り経験すべきだとも勝手に決めつけ、何も乗り越えず長い放蕩に駆れる

そして現在
彼は沢山の神からの励ましを受け、晴れて神父になり
僕は、沢山の罪を重ねた上、それでも神は僕を引き上げ、まともに生きる道を示し、ちみょんという素敵な女性と結婚までさせてくれた

僕の苦労や葛藤なんて、田中神父の苦労や葛藤の99999分の1だろう

それでも、同じように僕らは今の現実を幸せに思っている
そして、自分は大した人間でも無いクセに、本当に想像も出来なかったほど、出来すぎた人生を送らせてもらっている
とお互い思っているはずだ
僕ら二人は、少しだけ共通点がある気がする(共通点を持ちたいが為の無理やり、こじつけ)

しかし、僕は美味しいとこ取りをして、苦労もせずやりたい放題しても、幸せになってしまっているのは、教訓的な童話やたとえ話にはなりませんね
しかし、聖書にはそのようなたとえ話があるんだよね

ま、なにより今から僕がどのように生きるか、が問題ですが…
ま、大丈夫なはずだ!!



ま、話を元に戻しますが
あれから17年、ということは決意して彼が立ったのが17歳なのでちょうど人生の半分を掛け、神父になりました

19歳から神学校に入り、何度も神父になることを辞退しようと思い悩んだこともあるらしく、一時は引越し屋で働いていた経緯を持ちます

それからたびたび会う機会があり、本当に「神父らしい」といったら生意気ですが、そのような変化を見せてもらいました

そして今年の6月
彼はローマのサンピエトロ大聖堂で、ローマ法王ベネディクト16世の司式で晴れて、神父になりました

本来ならば日本のどこかでもう少し早く神父になれるはずでしたが、時間を掛け、ローマ法王の司式で神父になるなんて、神様も粋な計らいをするもんですね


この日9月3日は、僕にとって本当にうれしい一日となりました

初々しく若々しい


隣にいる神父も、一緒にローマで司式を受け、神父になられました


記念撮影も




小鳥の鷲のたとえ話 (望)

2010-08-30 10:05:46 | 日記
26日、27日と谷口神父が泊まりに来てくれました

26日の夜到着し、翌日サンティー家と一緒にバーベキューをして過ごしました

実家の庭


サンティー家11人兄弟の末3人







ちみょんと僕の家に祝福をしてもらっているところ


そんな感じで過ごしました

28日の朝、朝食を食べているときに、谷口神父自身が、マンツーマンである青年の自立支援をしている話をしてもらい、とても心に残るたとえ話をしてもらったので、僕の覚えている限り、そしてその意味を考えながらここに書きたいと思います


そのある青年の親は超エリート
子どものころから、親は青年に期待と要求をし続けていました
しかし、その青年にはとてもじゃないが、親の期待と要求に応える能力はなかった

それでも、青年は一生懸命努力して、親の期待に応えようとする

これを鳥に例えるなら、
本当はただの小鳥なのに、鷲のように育てられ、鷲のくちばしと、鷲の爪と、鷲の羽を身にまとわされた

その鳥は巣から飛び立とうとしても、本来は小鳥なので鷲の羽を羽ばたかせる力は持っていない

巣から飛び出したとたん、すぐ地に落ちて怪我をしてしまう

飛べない鳥、怪我をした鳥にとって地に落ちているとは恐怖である

誰かが近付くと恐怖のあまり発狂する

その鳥にやらなければいけない一番必要な事は何か?

落ちた時の怪我の治療か? 巣にもどして鳥が飛ぶのを待つことか?

谷口神父が言ったことは

籠を作り、そこに入れて籠ごと木の上に持ち上げ巣に戻す
そして、巣の中で、ゆっくりと鷲のくちばしを切り、爪を切り、羽を取り、本来の姿である小鳥に戻していく

そんなたとえ話をしてくれました

それらしい話はよく聞くが
(赤ちゃん返りや、退行現象。また逆バージョンの「みにくいあひるの子」みたいだ)

その話を聞きながら、僕の頭の中で作ったイメージ映像は、間違いなく初めてのことだった

深く印象に残る話でした

僕らが自立支援を始めて、色々なことがあっても、そのイメージを忘れることなく、やっていきたい

追伸
NPOの理事が4人集まりました
まず、創設者として私
谷口神父
サンティー
そして、なんとキャリアカウンセラーで第一線で活躍している小島貴子さんが理事になってくれることになりました

小島さんとの縁は、吉川家とは家族なのか仲間なのか良く分からない縁を持つ富森さんの妹さんで、何度かお会いさせてもらい、協力してもらえることになりました

これで理事は揃いました!!

一歩一歩少しずつ前に進んでいきたいと思います



夏が終わりそう 望

2010-08-23 14:37:05 | 日記
NPO法人立ち上げに向けて、宣教師のフェランサンティーさんと結婚式を挙げてくれた谷口神父に声をかけさせてもらい、理事をやってくれることになりました

サンティーさんはスペイン人で、20年前にバルセロナから日本に来て宣教師として、広島、新潟と家族でカトリックの宣教をしています
サンティーさんの子どもは11人で、その長男と僕は同い年です

今回の新婚旅行でもサンティー家の息子にバルセロナではお世話になりました

また、サンティーさんは家族でよくイベントを起こし、キャンプや合宿などを企画し、日本にいる宣教家族を集めていろいろなことをしています

「望、本当に大切なことは、家族やみんなでしっかり遊んだり、キャンプしたりすることだよ。勉強や仕事に追われることは良くない」
と言っていて、それを実践している人です

谷口神父は前に述べたように18歳からのお付き合い
「バンカー、そして神父」の著者です

谷口神父は、引きこもりや精神を病んでいる方何名かと、個人的にコンタクトを取り、支えている


4月に立ち上げるNPO
理事会では、そのような方としっかり話し合い、良き方向性を見つけて行ければと思います



ブログ再開??(望)

2010-07-30 11:37:43 | 日記
とうとうブログを4ヶ月弱サボっていました

4ヶ月というと、新婚旅行とほぼ同じ期間です(新婚旅行は142日)
日本に帰って4ヶ月

そう思い返せば、あの新婚旅行は長かった
本当に長旅をしていたんだと実感します

日本に帰ってから、まず京都で挨拶回りをして、ちみょんの実家でバーベキュー

京都でしばらく過ごし広島へ帰り挨拶回り

そして5月に新婚旅行報告会というものをやりました
そのとき、30人くらいが見に来てくれて、なんと中国新聞社も取材?に着てくれました

その後、父が生まれ育った築80年以上の古民家の再生に入る

これが時間がかかるかかる

農家ならではの物の多さに処分にかなり手間取りました
2トン車一回、4トン車一回、軽トラでゴミ処理場に向かうこと数十回
それでもまだ残っている状態

大工さんの広実さん
電気屋の大塚さん
に入ってもらい、徐々に家が復活していく

その頃田植えにも取り掛かる

僕らは広島中を周り、リサイクルショップや家具屋さんめぐりを続ける

ニトリには多いときには週に3回行っていました

7月に入り大工や電気の着工が終わり、壁にペンキやニスを縫ったり、まだまだ出てくる物の処理を続ける

ちょうどその頃、修道大学でスペイン語を教えているフェラーンサンティーさんから、お仕事をもらい、大学でサンティーさんの授業の一コマの半分をもらい、「スペイン・サンティアゴ巡礼」のプレゼンをやらせてもらいました

このように生活を続け、やっと家が形になった所です

これからは、まだ残っている家の物の処理と、来週からある人を迎え入れようと計画をしているので、その人のスペース作り
そして、NPO法人の立ち上げの準備に取り掛かります

皆さんぜひ!遊びに来てください!!


追伸
7月7日からちみょんの従姉妹が、インドのカルカッタのウノさんの所にボランティアに行っています
彼女は19歳
想像も付かないほどの「観」を育てて帰ってくると思います
とにかくウノさんの所に行くと決めた彼女はすばらしい!!

日本に帰って彼女に会うのが今から楽しみです