ラストゲーム 最後の早慶戦を観てきました。話しは、学徒出陣を目前に何としても早慶戦をという人々を描いたものです。
戦局が悪化の途を辿る1943年。「野球は敵国アメリカのスポーツだ」と六大学野球が廃止、さらに学生に対する徴兵の猶予が停止し、彼らはバットを捨て、銃をとらざる得ない状況になります。
戦地に赴けば二度と帰れないかもしれない若者たちに、せめて生きた証を残してやりたい──慶応義塾塾長の小泉信三は、早稲田大学野球部顧問の飛田穂州に「早慶戦」を申し込みます。
小泉の切なる願いを飛田も喜んで受けとめるが、早稲田大学総長は頑として拒絶。しかし飛田の強行突破で、遂に1943年10月16日、早稲田の戸塚球場にて幕を開けた最後の早慶戦。
この試合を最後に出陣していき、何人かの若者が戦死します。わずか二十年の命が散っていくのです。
折しも北京オリンピック、やはり平和は何物にも代えがたい思いがします。