韮山耕地の水田にも水が入り始めて、田植えの季節を迎えました。この水は狩野川から引いてきた水で、ルーツは天城山系になります。天城山系というと川端康成の小説「伊豆の踊り子」の舞台ともなった所で、今では豊富な水を使って栽培される山葵が有名です。山葵栽培の水は一年中15,16度の水温でなおかつ豊富で安定した水量が必要だそうです。この水を城池という温水地に貯めておいてから使います。
田植え直前の水田です。
朝のウォーキングの時に朝日が水面に映えていました。
家々も水田に映っています。
この水鏡風景を見るたびに思い出すのが、宇治の平等院鳳凰堂です。私が中学生の時に修学旅行で宇治に行ってきました。10円硬貨に刻印された図柄と全く同じお堂が見えた時は感動しました。その後私は教員になり、生徒を引率して京都にも何回か行きましたが、宇治までは行く機会がありませんでしたが、50代の頃遂に行く機会に恵まれました。
成人となり昔の人々の阿弥陀信仰を知りましたが、そういう信仰を持つ人々は、多分恵まれた人々だけだろうななどと思います。その日暮らしに追われている庶民に、阿弥陀信仰はあったのだろうかと疑問を抱きました。阿弥陀信仰に限らず、宗教に熱心な人々は、少なくとも昔は経済的にある程度恵まれた人々だけだろうななどと思ってしまいます。庶民の信仰は村里の小さなお堂や祠だったろうなと思います。
朝日が水田の水面に映る景色は、人の手による造形物よりも素晴らしいかもしれません。自然の織りなす風景に感動することが、いいなと思うこの頃であります。
田植え直前の水田です。
朝のウォーキングの時に朝日が水面に映えていました。
家々も水田に映っています。
この水鏡風景を見るたびに思い出すのが、宇治の平等院鳳凰堂です。私が中学生の時に修学旅行で宇治に行ってきました。10円硬貨に刻印された図柄と全く同じお堂が見えた時は感動しました。その後私は教員になり、生徒を引率して京都にも何回か行きましたが、宇治までは行く機会がありませんでしたが、50代の頃遂に行く機会に恵まれました。
成人となり昔の人々の阿弥陀信仰を知りましたが、そういう信仰を持つ人々は、多分恵まれた人々だけだろうななどと思います。その日暮らしに追われている庶民に、阿弥陀信仰はあったのだろうかと疑問を抱きました。阿弥陀信仰に限らず、宗教に熱心な人々は、少なくとも昔は経済的にある程度恵まれた人々だけだろうななどと思ってしまいます。庶民の信仰は村里の小さなお堂や祠だったろうなと思います。
朝日が水田の水面に映る景色は、人の手による造形物よりも素晴らしいかもしれません。自然の織りなす風景に感動することが、いいなと思うこの頃であります。