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児童虐待被害者の回復の戦いを制する 其の63

2021-03-28 15:37:20 | 日記
僕を診察した医師は結構いた。けれど児童虐待を見抜いたのは依存症治療院の主治医だけだった。初めて精神科を受診したのは14歳の時で、直ぐ脳波を取るように言われ自律神経の乱れがあるという事だった。暫く安静にする必要があり精神科病棟に入院した。治療は何もなく僅かだが薬を処方された記憶がある。けれど入院生活で実家から離れられ、直ぐ元気を取り戻した。けれど親の事を知らない精神科医はすぐ実家に僕を戻してしまい傷がどんどん深まるばかりだった。その後高校に進学できでもその頃3年間ほど両親に口も利いてもらえず、僕の心の危機は深まった。そしてまた精神科の入院生活が続いた。

今度の入院は大量の安定剤が処方され、また一日3本の注射も打つようになった。その結果薬物依存の状態になり、看護師にK君は注射を見ると目が輝くね、と言われるくらいだった。そんな状態でも何も心のケアはしてもらっていない。以後2年にわたる入院生活でボロボロになった。その後何とか退院するが、母は交通事故で入院しているし、父は母の付き添いで僕は家で一人で暮らしていた。そして21歳の時、また今度は公立病院の精神科に入院した。看護師さんが優しくしてくれたので、あなたは何故僕に優しくしてくれるんですねか、と聞いた事がある。生まれて初めて優しい言葉を掛けてもらった。

その病棟は開放病棟で外出も外泊も自由だった。けれど病棟は乱れ切っていて1万円くらいのお金を賭けて花札をしている人達、ラブホに出かける患者さんたちと皆やりたい放題だった。僕もパチンコ店に入り浸っていた。最初パチンコは父親に連れられて出かけたが、それ以後は依存症ではないらしいがパチンコ店に出入りしていた。何の知識もないその時の主治医は、ようやく趣味が出来ましたね、と言っている状態だった。その後何年も入院生活を送り時間を無駄にしてしまった。

そしてその次の精神科医は診察時間に2時間取ってくれたが、両親ももう年だし自分だけでやるしかない、と言うようなことを言われた。どいつもこいつもろくな精神科医がいない中で、斎藤学氏のAC概念に出会い、依存症治療院に繋がった。ようやく頼りになる精神科医に出会い、僕の回復が始まった。途中EMDR治療を受けに他の専門家の治療を受けたが、興奮状態に陥り酷い目に遭っている。

その医師はKさんは医療サバイバーだね、と言いながら僕をひどい目に遭わせた。けれど自死した友人への罪責感があることが解り、その感情を吐き出したら劇的に回復した。それももう昔の事でとにかく僕は回復の軌道に乗っている。まだ課題はあるが生きる事が楽になり、様々な感情が溢れている。この調子で元気になって行きたい。

児童虐待被害からの回復の戦いを制する 其の62

2021-03-28 13:27:26 | 日記
再び自助グループに付いて書いてみたい。今まで酷い目に遭いながらなんとか生き抜いて自助グループに辿り着いた。症状が酷い人はグループにも参加できないので僕が参加できたという事は、もっと酷い人もいるという事だ。そんなグループだがみんな言いたい放題だった。性的な話しかしない女性もいてファシリテーターに止められる場面もあった。又メンバー間での相性もあり、嫌いな人が話し始めると耳を塞ぐと言う露骨な態度を取る人もいた。そんな嫌な雰囲気でも気持ちが楽になると言う女性もいて、受け取り方の違いに驚いたりもした。

そんな中でえ、そんな話しても良いのと言う女性もいたり何でもさらけ出して良い場でもあった。そんな中で僕はほとんど言葉に出来ず、唯一アメブロの文章でほとんど話したと言って良い。皆に言われたのが悲惨な話だけど、暗さが一切ないと言うものだった。それは僕の楽天性なのか封印している怒りが出てこないのか分からない。怒りが出る人は凄い迫力なので、僕なんか余りにも拙い内容だ。けれどそう言った場でも政治家について話していたり、そんな自分に気づかない人もいた。またある人は凄く回復して行き、でもその女性の話す内容は自慢話ばかりで、鼻について嫌気がさした。

グループ療法が向かないと判断した主治医は、心理士を付けてくれたがそこで虐待について話したかと言うと、虐待に関しては一切話さず楽しいお喋りばかりしていた。過去を回想しなくても楽しい時間が過ごせればそれだけで癒しになった。これからも心理士にはトラウマについては語らないだろう。今まで体験できなかった楽しい時間をもっと見つけて行きたい。

今回は書かなかったが次回は僕を苦しめた精神医療について書いてみたい。

児童虐待被害からの回復の戦いを制する 其の61

2021-03-28 11:59:31 | 日記
以前実家にわずかの間だが父方の祖父母が敷地内にプレハブを建て住んでいたことがある。余り話をした記憶はないが以前一度助けを求めたことがある。その時はヴァイオリンのレッスンの日で4時に校門の前で母親と待ち合わせる事になっていた。けれど4時20分になっても母は現れず、腹を立てた僕は家に戻ってきてしまった。けれど母から痛い目に遭うと思いプレハブに住んでいる祖父母に助けを求めた。けれど祖父母は僕の話を聞き流すだけで助けてはくれず、案の定戻ってきた母に床に叩きつけられる暴力を受けた。その後祖父母と話した時、恨むんならお母さんを恨みなさいよ、とだけ言われた記憶がある。そして父親に関しては本当に優しい子だよ、と父を庇っていた。僕は結局誰からも守ってもらっていない。

父も言動がおかしいし、母は人格障害だし、すべての罪を押し付けられ今すべてを解き明かし、家族の恐ろしさを痛感している。弟もいるが20代に数回会っているが、Kは不登校児そっくりだと言って来た。その後弟もワーカホリックで、最初付き合った女性も看護師で、と言う具合に共依存に染まっていた。結局真実を理解しているのは僕だけだ。けれど弟は大学も出て教員をしているし、女性二人の子供もいる。何の不自由もない。全ての犠牲になったのが僕だ。

こんな僕でも女性には人気がある。有料電話相談で好感度ナンバーワンが僕だそうだ。多くの女性からKさんと話すと楽しいと言われるがそれだけ回復したのだろうか。普段接するのも女性が多いしお喋りでコミュニケーションが取れるのが良い。昔は女性について解らない事ばかりだったが、今はお喋りのコツを掴んだ気がする。それにお喋りの時はこんな硬い話題では話さない。人格障害の母しか体験していないので、母性を求めているのかも知れない。これからも多くの事を女性から学び、男性はしなやかな人と出会いたい。

児童虐待被害からの回復の戦いを制する 其の60

2021-03-28 11:16:40 | 日記
僕は今までにも書いてきたが、居場所としてフリースペースを利用して来た。初めて訪れたところでは代表の女性にもう既に馴染んでいる、と言われるぐらい居心地が良かった。そこでは様々な出会いがありバイク仲間の友人もそこで出会っている。友人男性はそのフリースペースの賛助会員で以後昨年別れるまで友人として付き合いがあった。

そのフリースペースには英会話の授業もあり外国の方とも交流があり出会いには困らなかった。或る時農学校でのお泊り会がありホピ族に会って来たと言うホームスクーラー親子とも語り合い奥さんには2度ハグをしてもらった。食事もすべて有機野菜で人参がこんなにおいしいとは初めて知った。そんな中メンタルフレンドとして参加していた女子大生が、アメリカから来ていた親子3人組について17歳の少年が親と行動しているなんて考えられないと話していた。けれどその女性もACだと思って見ていた。

そう言ったイベントは他では体験できないものばかりで、参加していた不登校の少女も今は3人の子供のお母さんだ。フリースクールも一度出かけたが、とにかく学校に拘っていて窮屈に感じたし、不快な思いをした。もうフリースペースも解散してしまい段々居場所も無くなった。ここ2日ばかりは有料電話を利用していないので誰とも喋っていない。けれど来月からは出かける予定が多いので少しでも良い出逢いを見つけたい。以前依存症治療院の主治医に言われたが、一人だけで乗り切ることはとても大切だという事だ。けれど友人が早く出来たら良いといつも思っている。

児童虐待被害からの回復の戦いを制する 其の59

2021-03-28 10:39:19 | 日記
僕の子供の頃だ。以前にも書いているが幼稚園の頃から7つの習い事させられ、遊ぶ時間は全くなかった。それは虐待に値するが昔大阪にあるフリースペースの代表と話したことがあるが、お母さんはきっとあなたをそれだけ愛していたのだと思うと言っていた。不登校も親のせいではないと言うが、共依存の強い親からの支配された人たちが不登校になっている。でも僕は幾つもの習い事をしていたが、親には怖くて歯向かえなかった。ただ沢山の習い事の為成績は良かったがそんなものは役に立たず友達は誰も出来なかったし、気持ちを言葉にする事も出来なかった。

けれど成績は良く母親は越境入学で僕をエリート中学に入学させた。そこでも理科だけ学年で1番を取ったが、そんなものは何の役にも立っていない。中学3年生の時は初めて精神科入院を経験し、我が家も異常だし病棟も異常な世界で、僕は普通の暮らしを体験していない。けれど精神科入院で実家から離れられ一時的に元気になったが、また実家に戻され僕の心の闇は深まるばかりだった。精神科医には両親に会ってくれと何度も頼んだが、そんなきめ細やかな対応はしないと言われそのせいで虐待が表に出なかった。その後安定剤の注射が続き僕は医療でも辛酸をなめた。

その頃からだ。辛い時はグラウンドをジョギングし、腕立て伏せなどをし、徹底的に自分を虐めアドレナリンに酔っていた。僕のワーカホリックの原点だ。そんな時代と比べれば今は恵まれているが友人もいないし孤独をいつも感じている。こんな生活をしていると今の児童虐待運動など生ぬるく思ってしまう。僕に出来る事はないだろうか。

5月になると新しいクリニックを受診することになっている。今までここまで回復した経緯のあるクリニックだ。簡単に移って良いのか分からないが、新しい空気を吸うのも悪くはないと思っている。目指すところは真の回復だ。冒険もいとわない。