gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

児童虐待被害からの回復の戦いを制する 其の65

2021-03-30 03:59:04 | 日記
今まで僕は医療によって散々傷ついてきた。けれど昔精神科医に大量の注射を打たれ難病になった事を話しても一切取り上げては貰えなかった。やはり医者同士は繋がっていてそう言う話には耳を貸さない様だ。医療過誤として弁護士に相談しても何一つしてもらえなかった。大きな病院なら患者相談室があり、苦情を聞いてくれるようになってはいるが、所詮同じ病院のスタッフなので医師の不利になるようなことは取り合っては貰えない。以前大きな大学病院でも内部告発があったが、二重カルテが存在するようで医療機関の闇の部分を垣間見た。

僕が薬漬けにされた医師も有名な医師だ、訴えることすら出来なかった汚い真似をしやがって。こうして僕も泣き寝入りするしかなかった。父や母が真面だったら訴える事も出来たかもしれないが。僕が苦しんでいるのを笑って見て居た父母には味方にはなってもらえなかった。このように僕は全ての人から大きな傷を負わされ、すべてを自分の力で這い上がるしかなかった。でも昨日有料電話相談を利用したが明るく元気にお話しでき、お相手の女性からKさんと話すと楽しいし元気が出ると言われた。内面が暗くても女性と話すと元気が出る。

でも有料電話もこれからは控えないと今回のように金欠に陥る。今はこんな状態だが何とか収入を得る方法を見つけたい。とにかくなりふり構ず行動するのみだ。後はお金を賭けるなら人脈作りに使いたい。とにかく今はコロナが蔓延していて行動範囲が限られるが、近くのヨガ教室も再開したようだし何にでもチャレンジしたい。

とにかく苦しくても助けは来ない。そしてどんな状況でも独りで這い上がるしかない。体力はないがその分気力はある。他人に頼らなくても何とかすると思っている。今までサバイブしてきたように僕の中にブレはない。

児童虐待被害からの回復の戦いを制する 其の64

2021-03-30 02:54:08 | 日記
昨日はいろんな出来事があった。午前中は片道1時間半かけて、かかりつけ医である内科を受診して胃カメラの検査の予約を取った。それからアパートにネズミが出没して糞尿まりれの部屋のネズミ駆除をすることになった、当然転居できると思っていたが、隣の部屋に移るように言われて転居は叶わなかった。隣も古い家で又ネズミ被害が出るような気がする。隣の部屋に移るだけでも免許証など書き変えなければならず、手間がかかるし又ネズミ被害で困ることも予想される。
 
さて内科クリニックだが、主治医の女医さんととても良い関係を築くことが出来るようになって来た。相性もあるがこんなにも意思の疎通ができる関係を築くことが出来てとても嬉しい。今まで通っていた医師とは犬猿の仲だったし、嫌がらせも受けていた。暗い話題が多い仲唯一の明るい話題だ。主治医の女医さんは女医とは思えないくらいてきぱきと仕事をこなし、安心感がある。

昨日は今日が31日だと思っていたが、まだ30日だった。米はあるがおかずは納豆があるのみだ。あと二日はひもじい生活が続く。でもこれも自業自得なので生活を見直さなければならない。以前依存症治療院の患者さんか、切り詰めた生活をして30万円貯めたそうだ。よほど何かを削らない溜まらない金額だ。お金は溜まるかも知れないが生活の質は落ちるだろう。

とにかくピンチの連続で越えなければならないものが多い。でもくじけることなく絶えず前を向いていたい。4月からカウンセリングも始まる。あまり期待していないが取りあえず心の中に溜まったものを吐き出す事は出来ると思う。これから暑くなってくるが暑いのは好きなので、全力で動いてみたい。4月からはチャレンジすることが多い。新しい物を始めるのはリスクもあるが、前に進むチャンスでもある。

体調を崩さない内容に気を付け、新しい事を始めたい。

児童虐待被害者の回復の戦いを制する 其の63

2021-03-28 15:37:20 | 日記
僕を診察した医師は結構いた。けれど児童虐待を見抜いたのは依存症治療院の主治医だけだった。初めて精神科を受診したのは14歳の時で、直ぐ脳波を取るように言われ自律神経の乱れがあるという事だった。暫く安静にする必要があり精神科病棟に入院した。治療は何もなく僅かだが薬を処方された記憶がある。けれど入院生活で実家から離れられ、直ぐ元気を取り戻した。けれど親の事を知らない精神科医はすぐ実家に僕を戻してしまい傷がどんどん深まるばかりだった。その後高校に進学できでもその頃3年間ほど両親に口も利いてもらえず、僕の心の危機は深まった。そしてまた精神科の入院生活が続いた。

今度の入院は大量の安定剤が処方され、また一日3本の注射も打つようになった。その結果薬物依存の状態になり、看護師にK君は注射を見ると目が輝くね、と言われるくらいだった。そんな状態でも何も心のケアはしてもらっていない。以後2年にわたる入院生活でボロボロになった。その後何とか退院するが、母は交通事故で入院しているし、父は母の付き添いで僕は家で一人で暮らしていた。そして21歳の時、また今度は公立病院の精神科に入院した。看護師さんが優しくしてくれたので、あなたは何故僕に優しくしてくれるんですねか、と聞いた事がある。生まれて初めて優しい言葉を掛けてもらった。

その病棟は開放病棟で外出も外泊も自由だった。けれど病棟は乱れ切っていて1万円くらいのお金を賭けて花札をしている人達、ラブホに出かける患者さんたちと皆やりたい放題だった。僕もパチンコ店に入り浸っていた。最初パチンコは父親に連れられて出かけたが、それ以後は依存症ではないらしいがパチンコ店に出入りしていた。何の知識もないその時の主治医は、ようやく趣味が出来ましたね、と言っている状態だった。その後何年も入院生活を送り時間を無駄にしてしまった。

そしてその次の精神科医は診察時間に2時間取ってくれたが、両親ももう年だし自分だけでやるしかない、と言うようなことを言われた。どいつもこいつもろくな精神科医がいない中で、斎藤学氏のAC概念に出会い、依存症治療院に繋がった。ようやく頼りになる精神科医に出会い、僕の回復が始まった。途中EMDR治療を受けに他の専門家の治療を受けたが、興奮状態に陥り酷い目に遭っている。

その医師はKさんは医療サバイバーだね、と言いながら僕をひどい目に遭わせた。けれど自死した友人への罪責感があることが解り、その感情を吐き出したら劇的に回復した。それももう昔の事でとにかく僕は回復の軌道に乗っている。まだ課題はあるが生きる事が楽になり、様々な感情が溢れている。この調子で元気になって行きたい。

児童虐待被害からの回復の戦いを制する 其の62

2021-03-28 13:27:26 | 日記
再び自助グループに付いて書いてみたい。今まで酷い目に遭いながらなんとか生き抜いて自助グループに辿り着いた。症状が酷い人はグループにも参加できないので僕が参加できたという事は、もっと酷い人もいるという事だ。そんなグループだがみんな言いたい放題だった。性的な話しかしない女性もいてファシリテーターに止められる場面もあった。又メンバー間での相性もあり、嫌いな人が話し始めると耳を塞ぐと言う露骨な態度を取る人もいた。そんな嫌な雰囲気でも気持ちが楽になると言う女性もいて、受け取り方の違いに驚いたりもした。

そんな中でえ、そんな話しても良いのと言う女性もいたり何でもさらけ出して良い場でもあった。そんな中で僕はほとんど言葉に出来ず、唯一アメブロの文章でほとんど話したと言って良い。皆に言われたのが悲惨な話だけど、暗さが一切ないと言うものだった。それは僕の楽天性なのか封印している怒りが出てこないのか分からない。怒りが出る人は凄い迫力なので、僕なんか余りにも拙い内容だ。けれどそう言った場でも政治家について話していたり、そんな自分に気づかない人もいた。またある人は凄く回復して行き、でもその女性の話す内容は自慢話ばかりで、鼻について嫌気がさした。

グループ療法が向かないと判断した主治医は、心理士を付けてくれたがそこで虐待について話したかと言うと、虐待に関しては一切話さず楽しいお喋りばかりしていた。過去を回想しなくても楽しい時間が過ごせればそれだけで癒しになった。これからも心理士にはトラウマについては語らないだろう。今まで体験できなかった楽しい時間をもっと見つけて行きたい。

今回は書かなかったが次回は僕を苦しめた精神医療について書いてみたい。

児童虐待被害からの回復の戦いを制する 其の61

2021-03-28 11:59:31 | 日記
以前実家にわずかの間だが父方の祖父母が敷地内にプレハブを建て住んでいたことがある。余り話をした記憶はないが以前一度助けを求めたことがある。その時はヴァイオリンのレッスンの日で4時に校門の前で母親と待ち合わせる事になっていた。けれど4時20分になっても母は現れず、腹を立てた僕は家に戻ってきてしまった。けれど母から痛い目に遭うと思いプレハブに住んでいる祖父母に助けを求めた。けれど祖父母は僕の話を聞き流すだけで助けてはくれず、案の定戻ってきた母に床に叩きつけられる暴力を受けた。その後祖父母と話した時、恨むんならお母さんを恨みなさいよ、とだけ言われた記憶がある。そして父親に関しては本当に優しい子だよ、と父を庇っていた。僕は結局誰からも守ってもらっていない。

父も言動がおかしいし、母は人格障害だし、すべての罪を押し付けられ今すべてを解き明かし、家族の恐ろしさを痛感している。弟もいるが20代に数回会っているが、Kは不登校児そっくりだと言って来た。その後弟もワーカホリックで、最初付き合った女性も看護師で、と言う具合に共依存に染まっていた。結局真実を理解しているのは僕だけだ。けれど弟は大学も出て教員をしているし、女性二人の子供もいる。何の不自由もない。全ての犠牲になったのが僕だ。

こんな僕でも女性には人気がある。有料電話相談で好感度ナンバーワンが僕だそうだ。多くの女性からKさんと話すと楽しいと言われるがそれだけ回復したのだろうか。普段接するのも女性が多いしお喋りでコミュニケーションが取れるのが良い。昔は女性について解らない事ばかりだったが、今はお喋りのコツを掴んだ気がする。それにお喋りの時はこんな硬い話題では話さない。人格障害の母しか体験していないので、母性を求めているのかも知れない。これからも多くの事を女性から学び、男性はしなやかな人と出会いたい。