心の光で照らしながら

日々の気付きや色々

あの世に持って行ける物

2021-11-15 01:11:00 | 日記
私達は肉体だけでなく、魂を持つ存在です
寿命を迎え肉体は朽ち果てても、魂は死ぬ事無くその先へと向かいます
(その先の先がどうなっているかはまだ私も分かりません)

お金を持ってあの世に行けないのは重々承知の事だと思います

そして本当に大切なものというのは、お金では買えないものだったりします

何処で知ったかは忘れてしまいましたが、どうやらあの世へは今世の新しい体験がとても重要らしいのです

私達の魂は幾度の転生を経ています
そして生きていく中で様々な経験をし、それを魂に刻み込んでいくのです
同じ経験をしてもそれは一つの経験として刻まれていくし、新しい経験ならばまた新たなものとして刻まれていきますよね
その話を知って成程と思いました

その話には併せて、得ではないのか?という疑問もありました
確かに徳を積むという言葉がある様に、積めば積むほど極楽浄土へと行く事が出来るという話は昔からあるものです
でもそれってエネルギー的見方をすれば、自分のした事が返ってくるだけ、因果応報の事を指しています
それが今世なのか、来世以降に返ってくるのかただそれだけの問題という事を考えれば、あの世に持って行けるという風には少し考えづらいかもしれません(個人的感想)

そもそも善悪の采配も歴史の流れに左右されるものというのは、歴史を振り返れば一目瞭然です

罰というのは人間が下せるものでもなく、法治国家という元にただ行われている事なのです

ノンデュアリティの方が、そもそも何も無かったというのは私達に常に在るもの(無いものを在るという言う方をするのもおかしい話ですが)そこに脚色しているのは私自身なのです

こうして感覚として味わえるというのは、とても奇妙で面白い事です
そこで新たな体験をして、更なる高みへと向かっていくそういう生き方が出来るボーナスステージでもあります

折角ならば既存の体験ではなく、何でも良いから新しい体験をしてみる

その一つの動きが今後の人生を大きく変える可能性もあるという事を忘れないで下さい
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夢の話

2021-11-09 23:55:07 | 日記
私はほぼ毎日夢を見る人なのですが、夢の内容を覚えてる事は本当に数えるばかり

そんな中でも随分昔に見た夢なのに、よく覚えている夢があります

一番古いものでは私が小学生の頃のもので、教室でいつもの様に授業を受けていると大地震が起きて避難するという夢でした

丁度座っていた席はその時実際に座っていた席で、その夢の中では私は赤いセーターを着ていました
そしてそのセーターも持っていた物なのです
子供ながらそのセーターを現実の世界で着たら、本当に大地震が起こるかもしれないと感じてその後着るのを止めました

予知夢?かどうかは分かりませんが、今もよく覚えている夢体験です(因みに地震も起きてない)

もう一つは成人になってからの夢

最寄り駅ではないのですが、沿線にある駅にで何回か利用した事がある駅が舞台です
ホームから違うホームにある電車に乗る為に急いでいたのですがとてもホームは混んでいて、私は人に押し退けられ乗る事が出来ず、しかも私を押し退けて電車に乗ろうとした人はドアに挟まれた状態のまま電車は出発してしまいました(現実ではあり得ない事ですが)
私は乗れなかった事がショックだったのですが、その後私が乗る予定だったその電車が事故に遭った事を知ります
私はその時、私を押し退けて電車に挟まれつつ乗った人がどうなったのだろうか気になりました
どうやらその人は足は負傷したが、命に別状は無いとの事
その瞬間電車の行く先が私の頭の中でフラッシュバックしたのです

「死神」行き

私を押し退けた人は挟まれた状態(ちゃんと乗車してない)だったから助かった事を知ったのです
そして勿論乗車した人の命は…

私もあの電車に乗っていたら、今頃存在しなかったりして…
今思うと私を押し退けてくれた人は命の恩人ですよね

あと私の祖母(母方)は私の母が亡くなった時に、川の向こう岸に居る母を見つけて声を掛けたけれど「そっちには行けないの」と返事された夢を見たなんて話をしていたので、三途の川って本当にあるのねと思ったものです

夢って不思議、そして面白い(時には怖い)というお話でした

余談
私は酒飲みなのでお酒を飲む夢も見るのですが、そのお酒が本当に美味しくてとても幸せな気分になります(笑)

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言葉

2021-11-05 22:22:00 | 日記

仕事中に流れていたNHKの番組で、ロサンゼルスのユニオン駅に置いてあるピアノを定点カメラで様々な人達の弾く様を映していたのだけど、その一人が言った


「言葉では言い表せない事を音楽を通して表現している」


その一言が私の中で大きく響いて、確かに気持ちを相手に伝えるツールして言葉というのは一番的確で手っ取り早いのかもしれないけれど、その気持ちを100%表しているかというとそうとは言えない場面もある


時に言葉は不自由なのかもしれないと


音楽という目にも見えない、ただ聞くという言葉よりも一見不自由に思える事こそ実は言葉よりも的確にその人の心に届くのかもしれないな…と感じたのでした


実際私達が視覚として捉えているものも、本当にそこにあるかなんて分からないのですから


それと同時に目に見えないだけで、存在しているものも間違いなくそこに在るのです


一見関係ない事が回り回って核心を突いてきたり、この世は摩訶不思議、面白世界なのかもしれません


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