私達は肉体だけでなく、魂を持つ存在です
寿命を迎え肉体は朽ち果てても、魂は死ぬ事無くその先へと向かいます
(その先の先がどうなっているかはまだ私も分かりません)
お金を持ってあの世に行けないのは重々承知の事だと思います
そして本当に大切なものというのは、お金では買えないものだったりします
何処で知ったかは忘れてしまいましたが、どうやらあの世へは今世の新しい体験がとても重要らしいのです
私達の魂は幾度の転生を経ています
そして生きていく中で様々な経験をし、それを魂に刻み込んでいくのです
同じ経験をしてもそれは一つの経験として刻まれていくし、新しい経験ならばまた新たなものとして刻まれていきますよね
その話を知って成程と思いました
その話には併せて、得ではないのか?という疑問もありました
確かに徳を積むという言葉がある様に、積めば積むほど極楽浄土へと行く事が出来るという話は昔からあるものです
でもそれってエネルギー的見方をすれば、自分のした事が返ってくるだけ、因果応報の事を指しています
それが今世なのか、来世以降に返ってくるのかただそれだけの問題という事を考えれば、あの世に持って行けるという風には少し考えづらいかもしれません(個人的感想)
そもそも善悪の采配も歴史の流れに左右されるものというのは、歴史を振り返れば一目瞭然です
罰というのは人間が下せるものでもなく、法治国家という元にただ行われている事なのです
ノンデュアリティの方が、そもそも何も無かったというのは私達に常に在るもの(無いものを在るという言う方をするのもおかしい話ですが)そこに脚色しているのは私自身なのです
こうして感覚として味わえるというのは、とても奇妙で面白い事です
そこで新たな体験をして、更なる高みへと向かっていくそういう生き方が出来るボーナスステージでもあります
折角ならば既存の体験ではなく、何でも良いから新しい体験をしてみる
その一つの動きが今後の人生を大きく変える可能性もあるという事を忘れないで下さい