心の光で照らしながら

日々の気付きや色々

私達は生きながら死に向かっている

2017-06-26 00:34:17 | 日記
私が初めて『死』に直面したのは、私を生んでくれた母の死でした。

それはある日突然の出来事です。

一番この世で自分自身にとって近しい存在である母親の死は、それ以後私の死生観を変えました。

人は何時死ぬか分からないと。

でも実はそれはごくごく当たり前の事であって、普段意識をしていないだけの事なのです。

そして今こうして生きている中でも、私達は死に向かって生きているのです。

何時迎えるか分からないその時をどう生きていくか、改めて考えてみようと思います。

夏至から変わる自分

2017-06-21 23:24:32 | 日記
先月に続き、今月も体調を崩し(現在進行形)公私共になんだか悶々とした日々が続いていました。

なんとか脱却しようと画策しても、それすらも何だかハッキリしない感じ。

どうにかしたくても、どうしようもなく、ただ漠然と生きている様でした。
おまけに体調も悪くなり、心身は本当に繋がっているのだなと痛感しました。

そして迎えた夏至の今日。

私は気付いたのです。

今の自分が見失っているもの。

それは『目標』

いつも私は何かしらの『目標』を持って生きてきました。

それが今は無い事に気付いたのです。

そしてそれに気付いたのと同時に、私は次なる『目標』の地図を自分が手にしている事を知りました。

私はずっとその地図を持っていたにも関わらず、それを『目標』と認知していなかっただけなのです。

途端にその地図はまだ見ぬ私の未来への道標に変わっていきました。

動くのは私。
創造するのも私。

今まで広げる事すらしなかった翼が広げられる事を知り、伸ばし、今羽ばたこうとしている。

私は私の中の無限の可能性に挑戦してみたい!!


自分へ還り着く時

2017-06-07 00:51:18 | 日記
しばらくの間、自分へではなく他人へと向き続いていたのが再び自分の元へと戻ってきた時、なんだか本来の自分に戻ってきた様で安堵する。

でもそれは元に戻った訳ではなく、新たな繋がりという道標を残しての帰還だと思う。

様々な体験をして再び戻ってきた自分のスペースには、また新たな道が創造されているのだ。

戻ったのも束の間、私は再び新たな道へと向かうのだろう。

そしてまた新たな繋がりという道標を携えて私は帰還するのだろう。

私にとって生きる事はその繰り返しなのだ。

愛は憎しみに変わるのか

2017-06-05 23:25:04 | 日記
好きだ、好きだ、好きだー!!と強く思った時、ふと、好きさ余って憎さ百倍って言葉を思い出して、なるほどなと思った事があります。

結局の所、好きも嫌いも同じ事だという事。
発しているエネルギーは全く同じで、そこに上乗せしている感情だったり想念が違うだけなんですね。
だから好きという気持ちが一転憎しみに変わってしまっても、それは別に全然有り得る事なのです。
発しているものそのものは何も変わらない。
その人自身が変わってしまっただけ。

どんだけ愛し合っていても明日は分からないのです。

人はなんて流動的な生き物なのだろうか。

だからこそ人は面白いのかもしれない。

そしてそういう世界を創造しているのは、自分自身なのです。

ちなみに私の場合、憎しみという感情の変わりに、無関心が発動します。
だって好きも憎いも同じエネルギーというのを知ってしまうと、折角使うならば好きな方に全力で使いたいから。
無関心とはそこに有って無いも同じ。
ある意味省エネ(笑)

私は何時でも何処でも好きなものに全エネルギーを投じて生きていきます☆