ズィクル(唱名)
スーフィズムの修業方法にズィクルと呼ばれる方法があります。
なにかをありありと心に思い浮かべること、とくにそのものの名を口に唱えることによってそのものの形象を心に呼び起こし、それを心から離さずに長いあいだ保持することです。
浄土教で西方浄土のアミダ仏を心に思い、口に御名を唱える、いわゆる唱名、念仏と形式的に共通する修業方法です。
「ラー・イラーハ・イッラッラー」
「アッラーのほかには神はいない。」
これを繰り返します。
•••中略•••
そのうちに神的な光がいずこからともなく差し込んできて魂に浸透し、ついに魂は溢れるばかりの光明にひたされます。そしてこの純粋光明の領域において、行者は自分の第二の「われ」真我に出会い、そしてそれと完全に一体となります。
このようにして現成した新しい「われ」を、スーフィズムでは「内なる人」とか「光の人」とか呼びます。
井筒俊彦「イスラーム哲学の原像」p75~82 全集5巻p400
カルブの門
礼拝用の絨毯
揺れ動く意識の表面の下に、静かな、物音一つしない領域が開けます。
ここではもはや第一層の
感覚と欲望と情念のざわめきもありません。第ニ層の知性と思惟の波立ちもありません。ひっそりした沈黙と静謐の世界です。
スーフィズムは魂の深みについて語ります。つまり意識の深層を認めます。表層から深層まで五つの層、五つの段階を立てます。
その第三層がナフス・ムトマインナであり、感性、知性の動揺がすっかりおさまり、心が浄化されて、この世のものならぬ静けさのうちに安らいだ状態です。
観想的に集中し、完全な静謐の状態に入った意識、これを特に“カルブ”といいます。
カルブには変貌、変質の意味があり、この段階で魂が本質的に変質してしまうのです。
スーフィは必ずここを通って意識の神的秩序の中へと入って行くのです。
井筒俊彦「イスラーム哲学の原像」p58 全集第5巻p448
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