J’sてんてんてまり

はじまりは黎明期。今は、記憶と記録。

上巳の払え

2011年03月03日 | 緑の仲間

 

上司の払えと変換される、上巳の祓え。

「じょうし」というが「じょうみ」という説もある。

3月の初の巳の日。

禊をする慣習と、ひとがたの慣習の混交らしい。

桃の節句だと思うと晴れ晴れしくも美しいが、巳の日の節句だと知ると、少し呪術めいてくる。

桃も、縁起がいいとは言われながらも、なにやら神話に登場するように、呪術的なところもある。

3月3日には、陰影がある。

 

 

元々3月3日は、年齢・性別関係なく、草や藁〔わら〕で作った人形〔ひとがた〕の体を撫で穢れ〔けがれ〕を移し、健康を祈って災厄を祓うことを目的とした農村儀礼が行われていました。

平安時代頃から、3月の初めに海や山へ出て一日を過ごし身の穢れを洗い流す農村儀礼がありました。田植えの始まりにあたるこの時、田の神を迎える為に、紙で作った人形で体を撫でて穢れを落とした後、海や川に流していたようです。

@日本文化いろは辞典
http://iroha-japan.net/iroha/A03_goseku/02_joshi.html

 

 

 

 

 

上巳の節句は、桃の節句とも呼ばれています。ちょうど旧暦の上巳のころに咲く桃には、邪気を祓う力があるとされ、好んで飾られました。桃は、はるか昔に中国から渡来した植物で、中国では、子孫繁栄をもたらす霊木とされ、その実を不老長寿の仙薬とする伝説もありました。
  室町時代には、上巳の節句に、「桃花酒(とうかしゅ)」という桃の花びらを浮かべたお酒を飲んだと言われています。このお酒を飲むと、顔色がよくなり、ありとあらゆる病気をとりのぞくと信じられていたのです。

@社団法人 日本人形協会
http://www.ningyo-kyokai.or.jp/sekku/jyoushi.html

 

 

 

もともと「上巳」とは、陰暦3月の最初の巳(み)の日の事を指します。中国では川のほとりに男女が集まり、災厄を祓う「上巳の祓い」という行事がおこなわれていました。文人は川の上流から盃を流して、自分のところに流れ着くまでに詩を作るという曲水の宴を催したのです。この上巳の祓いは、魏の時代には3月3日におこなわれるようになり、やがて日本でもこの日に曲水の宴を催すことになったということです。

日本では、古来、巳の日の祓いとして草や紙で「ひとがた」という人の形をつくり、災いを払うために川や海に流していました。やがて中世になると人形が現れ、平安時代宮中では「ひいな遊び」というお人形遊びが盛んになりました。この「ひとがた」と「ひいな遊び」が自然に結びつき、今のひな祭りになったといわれます。
@平安武久
http://www.bukyu.com/seck/s3.html

 

 

中国古代に於いては、上巳の節句には河で禊ぎを行い、汚れを落とし(これを「上巳の祓(じょうしのはらえ)」という)、その後に宴を張る習慣がありました。
@暦のページ
http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp/reki_doc/doc_0726.htm

 

巳のつく日ってなんなのだろう。
そのうち調べなくては。。。。。

http://www.weblio.jp/content/%E5%B7%B3

http://www.ndl.go.jp/koyomi/kotoba/02_rokuyo03.html

http://www.ogura-sousai.co.jp/chishiki/minma.html

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1134933541



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