goo blog サービス終了のお知らせ 

ゴーイングマイウェイの戯言

パソコンに関することなど、作者の趣味が中心のブログです

あれまら丸三年

2007-10-26 22:32:32 | 新潟県中越地震
ここ数日、雑誌会(英語論文を読んで要約発表する)やらで忙しかったので、当日に更新できませんでしたが・・・

新潟県中越地震から丸三年がたちました。

この3年間は長いようで短かったように思います。

先日の中越沖地震では、柏崎刈羽原発で火災も発生しました。

中越地震から復興しつつあるときに降って湧いた風評被害

それでも、一歩一歩復興へ

頑張ってます新潟!

あれから丸2年

2006-10-23 18:16:22 | 新潟県中越地震
二年前の午後5:56
あれから丸二年を先ほど迎えた

67名もの命を奪った中越大震災。

実家の用事で今週末実家に帰ったのだが、久しぶりに小さな振動にドキッとさせられた。
最近では、こんなことはなかったのに。。。

10月23日 午後5:56

この日、この時間

私にとっても忘れられぬ記憶として心に楔が刺さっているのを実感した。

震災翌日

2006-02-27 23:58:02 | 新潟県中越地震
2005.10.24 午前7:00頃

朝は、割とすんなりと起きることができた。
ただし、車中泊だったせいか体はパキポキだったが。。。

まずは、ポットの中のさめたお湯をいただく。
意外とうまい!

被災した家の中に入り、食料を物色する。
釜に入ったご飯やら、ヤカンに入ったままのお茶やら、冷凍食品やらが出てきた。
後は、なべやらカセットコンロやらを部屋から調達。
とりあえず、母がご飯をお茶(麦茶ちっくなやつ)をいれてカセットコンロで暖める。
意外と・・・まずい。。。
非常時なので、味は五の次くらいではある。
とりあえずおなかを膨らませることができた。

停電のため、井戸も使えない(ポンプのため)
水がないのは死活問題である。
というわけで、隣の高校生とともに電気の通っている市内の某かわちにペットボトルの水を買いにちゃりをこぐのであった。。。

=次回へ続く=

車の中で

2006-02-18 20:39:49 | 新潟県中越地震
2005.10.23 午後10:00前後

車の中で、毛布に包まる
が、寒さと興奮のためかすぐには寝れない
そんな時携帯がなった。
電話の相手は米沢のアパートの大家さんだった
今、実家の新潟が大変だよ。
部屋に内線入れたけど繋がらなかったけど知ってるかい?
今、その実家にいて被災しましたと回答
当然大家さんビックリ
簡単に事情を説明し、電話を切った。

その後、携帯の通信状況がよくなったのか友人からのメールを複数受信。
心配してくれてみんな、ありがとう!!といった感じでした。

しかし、このあたりで重大な問題が
携帯の電池がなくなってきたのだ
当然停電でコンセントからは充電できない。
シガーコンセントから充電できるものも持って無い。
つーことで、中学からの友人の電話を受けてまもなくしたとき携帯の電源が無くなった。

その後、ラジオのニュースを聞きつつ、寒い車内で眠りに付いた

=次回へ続く=

車中泊1日目

2005-12-13 22:31:28 | 新潟県中越地震
2004.10.23 午後9:00頃~

このころになると、さすがに寒い。
おのおの車に乗り込む。
長岡は田舎なので、自家用車が必須だ。
大人は、1人1台ペースで持っていたので、分乗する事が出来た。
祖父は、自分の車へ。
両親は、母親の車へ。
うちら兄妹は、父親の車に乗った。

カーラジオから流れてくるニュース
寒い車内・・・
いつライフラインが復旧するかわからないので、若者は、エンジンをかけないで毛布に包まる
しかし、寒いものは寒い。。。
さすがにトイレに行く。

トイレから帰った後、家の中にあったお湯の入ったポットを持ち出した。
ついでに、仏壇のところからバナナを拝借してきた。
これらを車の近くにもって行き、家族に配布した。
お湯を飲んだとき、ただのお湯がこんなにもおいしいのもなのかと感じた。
寒さで冷え切った体にお湯は最高だった。

規模の小さい余震が続く中、夜は進んでいった。

=次回へ続く=

上越新幹線脱線のニュース

2005-11-28 22:50:34 | 新潟県中越地震
2004.10.23 午後8:00前後~

カーラジオをかけて外に居たときだろうか。
はたまた、車に入っていたときだろうか。
正確な時間はうる覚えだが、新幹線脱線の一報がラジオから流れてきた。
このニュースの前に、地震の犠牲者の一報も入っていたときだったので、大変な衝撃を覚えた。
「これは、犠牲者が一気に出てしまう」と。

ラジオから流れる地震のニュース。
しかし、情報が不足していた。
電気がなくテレビがないのが一番の原因だったのかもしれない。
少ない情報の中で、地震の被害の状況などを探っていたと思う。

しばらくすると、脱線した新幹線での犠牲者なしとの一報が入った。
奇跡だと思った。
余震の恐怖などでふさぎがちだった心に、明るい光が差したように感じた。

=次回へ続く=

地鳴りと余震

2005-11-24 22:42:19 | 新潟県中越地震
2004.10.23 午後6:34

大きな地鳴りとともに余震が襲った
最大震度6強。長岡でも震度5強というゆれだった。
地鳴りの後のたてゆれのとき「また揺れるぞー」と叫んでしまった。
M6.5のこの日最大の余震だった。

余震のあいだ、ただただ地面に這いつくばり、「おー」「おー」としか言えなかった
激しい揺れで、引越し先の家の瓦はさらに飛び、大きなサッシが落ちて割れた


2004.10.23 午後6:35~8:00頃

6時台は、この後中規模な余震が2度襲った。
7時台は、中規模の余震が1時間に3回と減ってきた。
毛布に包まりながらも、余震の規模が少し穏やかになったことに安堵する。
7時を過ぎると、近所の主婦が集まって少々会話をするような場面が見られた。
余震が続いているので長くはなかったけれども、少しずつ動揺が収まりつつあるように感じた。
ただし、余震のたびに動揺は走るのは言うまでもない。

夜も押し迫り、ますます寒くなってきた。
毛布をかぶっているといっても、寒いものは寒い。
このころになると、自家用車に避難しはじめるようになる。
長い夜がこれから始まる。。。

=次回へ続く=

外での様子見

2005-11-15 23:09:39 | 新潟県中越地震
2004.10.23 午後6:11-

大きな余震が襲った後、家族で外で固まったまま自信の様子を伺う。
小さな揺れはあるものの、大きな揺れは5分、10分たっても来なかった。
内心ほっとした。
家族とも、興奮気味に「まだ来るか、もう収まるのか」と話していたと思う。

しばらくすると、町内会長が回ってきた。
近くの小学校の体育館をもう少ししたら開放するとの事。
家で壊れて住めない場合は、避難できるとの事だった。
幸い、引越し元の家・引越し先の家共に倒壊はしていなかったので、行かなくても大丈夫そうだったが。。。
これ以上揺さぶられたら、壊れるんじゃないか??と本気で思った。

さっきの大きな余震から23分後の6:34
大きな地鳴りがした
これが地鳴りかぁ~と思った次の瞬間
最大震度6強、長岡市の震度5強の余震が襲った

=次回へ続く=

本日11/16にも広い範囲で震度3を記録する地震がありました。
途中大きくなり長い揺れだったので、中越地震のことが頭をよぎりました・・・。

瓦が飛ぶ

2005-11-09 23:54:27 | 新潟県中越地震
2004.10.23 午後6:11

あたりもだいぶ暗くなってきた。
さすがに、外に避難したといえど外は寒い。
ヘルメットをかぶって家の中にいそいで土足で上がり、毛布類を急いで回収しダッシュで外に来た。
これで少しは寒さをしのげるようになった。

本震から20分後の6:11。
最大震度6強、長岡の震度5弱の余震が発生した。
数十秒間ゆれていたとおもう。
私は、引っ越すはずだった家を見つめた。
激しい余震で、瓦がぽんぽんと飛んでいた
文字通り飛んでいたのである。
幸い、玄関口方面には落ちていなかったが、一歩間違えば、瓦の直撃を受けていたかもしれなかったのだ
ただただ、「おー」「おー」と動揺の声しか上げることが出来なかった。

=次回へ続く=

続発する余震

2005-11-03 22:45:33 | 新潟県中越地震
2004.10.23 午後6:07

なおも余震が襲う。
辺りはだんだん暗くなってきたが、揺れは収まらない。
6:07に最大震度5強の揺れが襲う。
長岡では、震度4くらいだろうか・・・。
いったいどれが本震で、どれが余震だかわからない
この頃には、家族全員で外で一塊になっていた。
妹が、この時間の前後に飼っていたインコを救出してきた。
インコも異常事態と思ったのか、騒がなかった。

家族の安否もわかり、隣の家が気になった。
まだ小学生が居る家庭だった。
中学の時に使っていた自転車のヘルメットを車庫から取り出して、隣の家に向かった。
幸いにも、家に居た2名は無事。
この時点では、他の家族の安否はわからなかったが、すぐに他の家族も帰ってきた。

この頃さっと辺りと見たが、ほとんどの家の人は外に出ていました
あれだけの揺れだったので、当然ですが。。。

こうして、再び家族の居る庭に戻った。

=次回へ続く=