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1999年32歳で乳がん発覚、2007年に再発した女のぶっちゃけトーク

セカンドオピニオン

2007-11-12 10:56:45 | 初発時の経緯
初発時の経緯 3

手術の話になって急にイキイキし始めたり、温存かどうか手術中に決めるという医

師の話に不信感をもち、二回目の診察時に、セカンドオピニオンということでガン

専門病院に紹介状を書いてもらう。

 その話を持ち出すと、急に事務的になった。同席した母が「そちらでお話伺った

後に、やはり先生に診てもらうために戻るということはできるでしょうか。」と聞

くと、「いいですよ。でも手術後というのでは困りますね。」と迷惑そうに答え

た。私としてもこの医師に見てもらうつもりはなかった。二度の診察で直感的にダ

メだと思った。
 
 ガン専門病院の外科医師との最初の面談。外科の医師は私とほぼ同年代の女医だ

った。表情や態度が堅い。リラックスした雰囲気はまったくない。患者と医者。こ

のキッチリとした構図の中で、少しもはみ出すことが許されないような緊張感。そ

の頃の私は、突然振って湧いたこの不幸のなかで、かなりナーバスになっていたこ

ともあってこの血の通わぬ関係性のなかで、全くの慰めを受けられない相手に身を

ゆだねなければならないことが不安だった。
 
 ここでは、前医と違った治療方針を告げられた。「今すぐに切るのではなく、お

薬で小さくしてから手術しましょう。」というのだ。


大きくなった乳がんには、術前化学療法とういう方法が用いられる。一般的に術後

にリンパ節の転移をみて抗がん剤をするかしないか決めるのだが、私のように腫瘍

が大きくある程度進行した状態で見つかり、リンパ節にも超音波の画像で転移らし

い陰があるとき、手術時リンパの転移を組織検査するまでもなく、抗がん剤の使用

はマストとなるのだ。腫瘍がある状態で、抗がん剤を投与することによって、その

薬が効いているかどうかの判定もできる。腫瘍が小さくなれば、乳房温存も可能に

なる。

私は乳房を温存したかったので、それについては願っても居ないチャンスと感じ

た。ついては薬の専門の医師がいるということで、バトンタッチすることになり腫

瘍内科医の診察室に回された。



再発告知

2007-11-10 14:56:27 | 再発してから
再発 2

PETーCTの結果を聞く診察室の前で、私は聖書のイザヤ53章の

「彼のうち傷によって癒された」という御言葉の一文を何度も

心の中で叫んでいた。私は2004年に病気を通して信仰に

導かれたクリスチャンである。

前回の診察から二ヶ月半たって、再発の兆候というか症状が

徐々に出始めていたのだ。

先ずは胸壁の痛み。中心部に近い部分がズキズキと痛む。そして腰の

右側部分が痛くて、歩を進めようと右足を前に出すのがしんどい。

やはり人間というのは検査結果を聞かないまでも、なんとなく自分で

分かるもんである。

もちろん「もしかしたら再発していないかも?」というはかない望み

を抱くこともあったが、それよりもはるかに勝って

体は何か異常を告げていた。

聞きなれた主治医の声に呼ばれて診察室に入ると、いつもはいない

はずの看護士がたっていた。

主治医が「どうですか?」と硬い表情できく

横にあるコンピューターにPETの画像が映っていて、赤く光って

いる部分がすぐに目に付いた。

検査室に、PETがどんな検査なのか説明しているパンフレット

が置かれていた。そのとき、PETでガンがどのように写るのか

説明しているページがあり、ガンは赤く写っていた。

それと同じように自分の画像も赤く光ってる。

「あ、出たんですね。」

というと、主治医は診断レポートをプリントアウトして

渡してくれた。

そこには縦隔リンパ節、胸壁、肋骨や胸椎、腰椎などの骨、そして

両肺にも転移が考えられる結節があること、胸膜への転移も

疑われることが書いてある。

「・・・多発ですね。」

転移は予想していたが、これだけ多くの場所にあったのは予想外だった。









「私、死ぬんですか?」

2007-11-09 10:11:46 | 初発時の経緯
初発時の経緯 2

検査室から診察室に戻ると、マンモグラフィの画像を見ながら、

医師はがっくりと肩を落とした。

診察台の上で横たわっているこちらからでも、はっきりと解るほどだった。

超音波の検査では乳房だけでなく、脇の下の部分までにいたって、

ゴリゴリと長時間スキャンされた。

検査技師は「何で早くこなかったの?」といっていた。

その様子から、自分がガンであるだろう事は検査後再び診察室に戻って

医師から診断を聞く前に充分予測できた。

医師は器用にマンモグラフィの画像を元にボールペンで

図に書き直してくれて、どのような状態か説明してくれた。

乳首に近い部分に腫瘍があり、そこから乳管を

通って、その先にも腫瘍がある。乳管の中にもガンが詰まっていて、

周りには石灰化の後がある。

「98パーセントガンでしょう。」

組織検査をしていないから微妙な数字をいったようだが、

押しも押されぬガンに間違いないようだ。

なんだかドラマの中の出来事のように、リアリティがない。

「これって腫瘍が一個ではないってことですよね。大分進んでいる

ってことですよね。私、死ぬんですか?」と聞くと、

医師は「ガンだからっていって、皆死ぬってわけじゃないよ。」と

冷静に返した。

そうだ、私が聞きたいのはそんなことじゃない、どうやったら生き

残れるかってことだ。

それにもうすぐ5時だ。保育園の迎えに行かなければならない。

仕事はどうしよう・・。

今後のことを考えると頭が一杯になった。

次の瞬間出た言葉、それは

「私、子供を保育園に迎えに行かないといけないのです。

今後のスケジュールはどうなりますか?」とあまりに現実的な

質問だった。

私は実母が乳がんに罹患したことがあるので、多少知識があった。

これからの検査、術式のこと、手術の日程などを聞く。

結構バタバタなスケジュールで、術式も手術時に開いてから

組織検査をして、乳房温存できるか決めるという。

何よりも、手術の話をする先生の目の輝きようったらなかった。

とってもイキイキしてる。

久々に切るんだろうか?切るのがうれしんだろうか?

そう思うと、なんだかこの男がマンモグラフィの画像の前で

肩を落としていた姿さえ芝居に見えてくる。

「時間もないし、今日何もかも話しても解らないでしょうから、

後日改めて御家族と来て下さい。」といわれ診察室をでる。

どうやって会計を済ましたかもわからない。

まるで映画でも見てるみたいだった。

病院の外に出て、やっと自分に起こったことのスケールの

大きさ、そしてそれを取り消すことのできないのだという

事が責めるように押し寄せてきた。

私はすれ違う人を気にする余裕もなく、声を上げて泣きながら

歩いていた。









再発

2007-11-08 10:31:18 | 再発してから
再発 1

昨日は乳がんが発見された当初の状況を書きましたが、今日は

再発が見つかったときの状況を書いていきます。

発見されてから時系列をおって書いていくとなかなか現在の状況まで

書き進めることができませんので、平衡して書いていくのがよいかと

思ったのです。



腫瘍マーカーという血液検査があるのですが、私は手術前から三種類

とって経過観察に使用されていました。

二年ほど前からひとつのマーカーst439が正常値を超えてきていたのです。

そのマーカーは乳がんにおいてスタンダードなものではなく、人によっては異常な

数値が出ても全く異常が見つからないというような、偽陽性が多いマーカーだった

こともあって主治医からそんなに心配しなくてもよいといわれていました。

実際に二年前三年ぶりにとった時、三年前は正常値7以下であったその数値が48ま

であがっていました。

そのときも一度PETーCTに入って検査したのですが異常は

全く見つからなかったのです。

スッキリしないまま、三カ月おき、六ヶ月おきにマーカーをとっていましたが、

2006年九月には3ケタに上がり119に、そしてその六ヵ月後の2007年三月には

484まではねあがっていました。

そのときには、もうひとつのマーカーCA15-3も正常値をはるかに超えた3ケタ代

を示し、どうかんがえても偽陽性といえる範疇を超えているのが分かりました。

しかし私はその時大事な仕事があり、そこで再発が完全にわかってしまうと

その仕事を乗り切ることができないと思ったのです。

乳がんは再発してしまうと、完治は非常に難しく早く再発を見つけて治療しても

その後の生存期間を有意に延ばすことができないという臨床試験の結果が

世界的な乳がんの治療のコンセンサスを得ており、私の病院でも

再発の検索には消極的です。それなら一ヶ月や二ヶ月検査が遅れてもいいだろう

ということで、それから約二ヵ月後の5月末、二年ぶり2度目のPET-CT

予約をして帰途につきました。


乳がんがみつかった頃のこと

2007-11-07 13:51:06 | 初発時の経緯
初発時の経緯 1

病気のことをつづるために、ブログをやろうなんて思っても見ませんでした。

自分で手記を書こうと思っていてもついつい日々の生活に流されて、

記録する間もなく記憶も薄れていってしまう。やっぱりオンタイムで

書いて行かないと、ダメだって思いました。発病したのは1999年なの

でもう8年前になりますね。娘の授乳中にしこりと乳首の変形が。当時

通っていた母乳マッサージの助産婦に相談、すぐにそこの産婦人科にみ

てもらったのですが、「はっきりわからない、とにかく授乳中はわかり

にくいので。」といわれ、大したこととは思わず乳腺炎かもしれないと

のことで、抗生物質をだされました。それから3カ月くらいそのまま授乳

を続けていましたが、娘が一歳になったのをきっかけに断乳すると、小

さくなったおっぱいにしこりの部分が膨れているのがはっきりわかり、乳

首も変形して直らないまま。それでも一ヶ月くらいは忙しくて病院にいけ

ず、やっと乳腺外来に受診し、当日に即刻乳がんであることを告げられま

した。そのときは既に結構な大きさになっていたのです。